水田もすっかり枯れてきた
115系N37編成と33編成 227M弥彦公園にて1
弥彦公園にて2
弥彦公園にて3
弥彦公園にて4
弥彦は多くの観光客でにぎわっていたコロナの方もかなり落ち着いていたため県外からの方々も多かった。紅葉は盛りを過ぎたためか鮮やかさはなかった。時雨が来れば散ってしまうその前の最後の晴天に映えているそんな紅葉だった。
しらゆき4号115系N36編成 3481M
弥彦は多くの観光客でにぎわっていたコロナの方もかなり落ち着いていたため県外からの方々も多かった。紅葉は盛りを過ぎたためか鮮やかさはなかった。時雨が来れば散ってしまうその前の最後の晴天に映えているそんな紅葉だった。
しらゆき4号案内員女性 より「しらゆき号」が到着すると同時に発車しますというメッセージが。
二本木駅のスノーシェッド この中に入って後ろ向きに動き出す。二本木駅はスイッチバック駅。
レンガ庫の内部 油脂類の保管が行われていた。
二本木を後に終点妙高高原へ 妙高山の裾野が旅愁をそそる。大田切からの関川遠望 1978年5月この付近を土石流が発生し信越本線(当時)が長期にわたり不通になり多数の犠牲者が出る災害があった。妙高高原駅 北陸新幹線開業後は一気に衰退したが一軒だけ商店がありここでお土産を購入。しなの鉄道115系とET122の並び めったに見られない光景。関山にて 左の女性が案内員さん 長い道中お世話になりました。
直江津は定刻に到着しお世話になった方々に一礼し帰途に就いた。かえりは「しらゆき7号」で、久しぶりに在来線の特急を楽しんだ 。
D51レールパークのD51827と車掌車改造の客車 一日4本の運転
筒石にて
EF510牽引の3093レをすれ違いざまに 脇におられた女性の案内員Nさんに見せたら目を丸くされていた。
2021年10月31日 直江津駅でのET127系V1編成(田島ルーフィングのラッピング)と国鉄交直流急行色413系との並び 鉄道車両に関心がない人が見れば同じに見える配色の電車の並び。
小学生の頃磐越西線喜多方で見た455系交直流急行色の急行「ばんだい」をみて70系の色と勘違いしたことを思い出してしまった。70系電車の色は左手の赤と黄色の配色、右手の交流急行色と同じに見えたことだった。
クハ455-701車内 座席は大型テーブルがセットされていて特別仕様車となっていた。朝から夕まで455という旅行商品に対応したもので沿線の名物料理を楽しむためのもの。
座席は413系と異なり座り心地はかつての急行型のものだった。8月のまだ自由席の頃に乗車できてよかった。国鉄の電車急行の時代を思い起こすことができた。
テーブルがセットされた特別席には乗らないで413系最後部に乗車してモーターやジョイントを楽しむことにする。
上越妙高までにわずかな区間を乗車した。この日のヘッドマークは「くずりゅう」北陸本線の金沢と米原の区間を走った急行列車で1985年3月14日のダイヤ改正で廃止されている。
一路妙高高原へ向かう列車を見送る。直江津駅から乗車の方々もこの上越妙高で下車されていた。
妙高山と駅前広場の樹木 妙高山はすでに冠雪し樹木も紅葉していた。別件があるので一旦下車して直江津に引き返した。