2022年10月29日 3098レ EF510-515
手前のコスモスも花が少なくなってきた。周辺の木々も紅葉が進んで後は落葉を待つばかり。
晩秋の斜光が列車に反射する。
曇り空と隙間からの斜光。気温はまだ下がっていないがまもなく初冬を迎える。
3098レは札幌と福岡を結ぶ長距離貨物列車でありコンテナには農産品が多数積まれている。
2022年10月29日 3098レ EF510-515
手前のコスモスも花が少なくなってきた。周辺の木々も紅葉が進んで後は落葉を待つばかり。
晩秋の斜光が列車に反射する。
曇り空と隙間からの斜光。気温はまだ下がっていないがまもなく初冬を迎える。
3098レは札幌と福岡を結ぶ長距離貨物列車でありコンテナには農産品が多数積まれている。
ボックス席4組とロングシートの構成。ロングシートには仕切りがある。
ボックス席には大きなテーブルがあり飲食物を置くことが可能。座席間隔は近郊型車両のレベル。座席の座り心地は悪くはなかった。ローカル線向けの車両としてJR西日本の閑散線区に多数配置され1990年代に新潟鐵工所から甲種輸送で送り込まれる光景を見続けたがようやく乗車の機会に恵まれた。
大糸線12時7分発の糸魚川行きは100%を超える乗車だった。普通列車と特急から乗り継いで糸魚川まで乗る人がほとんどだった。大盛況と思えるがこの小さな車体におさまるレベルであり経営的には厳しいと考える。
越後線経由で柏崎にたどり着いた後信越本線に乗り換えるが乗場案内を見ると
この案内表示はJR移行後のもので首都圏ではよく見かけるものだった。設置されてまだ20年は経ってはいないはず。
旅客輸送では日本海縦貫線はもう存在しない。特急「北越」を引き継いだ「しらゆき」も不振が続いている。新潟県内だけの短距離移動者がわずかに乗るだけで空席が目立つ。
特急「しらゆき」は北陸新幹線接続特急としては成功しなかった。こちら方面の多くはマイカーや上越新幹線と北陸新幹線の直接乗り継ぎにシフトしたと言われている・・・いまはない金沢方面の表示が消去されず残っていることがまだ日本海縦貫線があったころの残影に感じた。
柏崎の駅に入る前に上越新幹線と北陸新幹線のアクセス輸送改善のスローガンを見かけたが実現は険しい道のりが想定される・・・・
交換のため停車中。交換の相手は東三条行きのE129系4連。越後線吉田~柏崎間で唯一の4連。ほかはE129系2連ワンマン列車となっている。本年3月のダイヤ改正では合理化が図られていった。
柏崎駅の越後線時刻表。6時30分発東三条行きが4連。他はワンマン2連。
有人駅も吉田~柏崎間では寺泊が委託駅。それ以外の駅は無人駅となってしまった。
分水駅がみどりの窓口終了後無人化となったのはよく知られている。
右手に見えるのは東柏崎の駅舎。駅の場所は市街地にあり古びた集合住宅がみえる。
東柏崎駅から終点柏崎方向 ホーム2面の比較的大きな駅で線路で分断された市街をまたぐ跨線橋がある。(新潟県内には信越本線三条駅、磐越西線五泉駅、高架前の弥彦線北三条駅がこのような構造だった。駅は大きいが乗降客は少なく東柏崎駅も交換設備廃止、駅業務無人化がされている。40年前の1982年11月ダイヤ改正までは新潟直通の急行「ひめかわ」も当駅停車だった。移転して現在はないが市役所がありそれらの利用も多かったようだ。
駅前には商店街もあるらしいが多くはシャッター街と考えられる。
EH200-18とDD200 配8788レ
遅れ3093レ EF510-9
長く続いた秋晴れも終わって初冬を思わせる空模様。遠雷が鳴り秋が間もなく終わることを教えていた。
10月も終わりが近づき気温も下がり雨の日が多くなる。降っては晴れてまた降るという時雨の天気。時々雷鳴が響き冬が近いことを告げている。
水田の稲も刈り取られて切株が目立つ。二番穂も黄色く色づき秋から冬へ移り変わる時期であることを教えてくれている。
特に何もない日で天候も悪いが女性撮影者が黙々とミラーレス機を構えていた。
所定より10分以上の遅れ。先にEH200-21牽引の配給8788レがDD200‐16を従えて通過していった。
終点の新津へ向けて急ぐ。背後の丘陵地帯もそろそろ紅葉が見ごろになってきている箇所もある。土曜日午後の上り配給列車。新鋭機の組み合わせのため騒がれることはない。この列車が通過した後下りE001「トランスイート四季島」が通過したが遅れていたため普段より速い速度だった。
東光寺駅から長岡方向。6時近くになり霧が深くなってきた。始発列車。乗車する人は1名降りた人2名。
420M 上り始発。2名が降りただけ。一人はホーム先端に向かったので撮影者だったようだ。これから7時台は貨物列車が4本やってくる。
ただ霧が深いのが厄介なだけ。
明るくなるのが遅くなったため近所での撮影が難しくなりこのあたりまで。田圃の中の無人駅で戦時中に貨物列車を交換するために造られた信号場がのちに駅になった。
今も水田の中の無人駅でありちょっとした秘境駅の風情を感じさせる。2018年冬にこの駅で列車が一晩立ち往生したことでも知られている。
東光寺駅前は駐輪場があるだけで民家はしばらく行かないとない。そこも純然たる農村で商業施設は皆無。
朝焼けを背にEH200-8の貨物列車が走り去っていった。間もなく上り普通列車の始発が来る。
前年の3月ダイヤ改正で客車列車と気動車列車を置き換えて475系とともに北陸本線ローカル輸送の主力となった。国鉄末期は赤い車体に白い帯の塗装だった。
1986年9月 北陸本線 新潟から大阪に向かう特急「雷鳥」
直江津を過ぎて北陸本線に入り西進してゆく。進行方向右手には日本海と米山が望める。今は見ることのできなくなった光景。この付近樹木が伸び視界も聞かなくなっているようだ。
7時間近くかかる長時間の移動だった。しかし電化された線路があれば走ることのできる485系によって時間がかかっても乗り換えずに移動できることはありがたいことだった。
キハ200型気動車と無蓋車 無蓋車にはねじ式連結器のバッファの痕跡が。
五井機関区 小湊鉄道の主力気動車たちが待機をしている。奥には木造の貨車が見えた。成田空港に向かう途中立ち寄った一コマ。
今帰属している客車研究会の1年に一回の見学会が小湊鉄道で今月末行われるが参加できないのでかつての姿をながめて過ごそうと思う。
小湊鉄道のキハ200型の塗装は国鉄型キハ30系の塗装と類似していて、五井機関区の風情も越後線の吉田駅裏の車両基地に似ていて懐かしかった。
新潟からワンマン列車を乗り継いで大糸線南小谷へ。1988年8月以来34年もの年月が流れていたが駅の風情は特に変化はなかった。駅前はわずかな土地に土産物店があるだけ。
ここで酒のつまみになりそうな信州特産の漬物とわさび味の亀田製菓のハッピーターンを買った。店の前は国道148号線が走り左に進むと白馬村へ、右に進むと集落がありここが小谷村の中心かもしれない。車窓からではローソンが中土駅のあたりにあり、他に観光バスが多数停まっているドライブインのような建物が見えた。
駅前を流れる姫川 糸魚川の方向に流れ日本海にそそぐ。左手には小谷村の中心地が。
現在の南小谷駅構内。松本からの電化区間はここで途切れ単線非電化の簡易線規格の急勾配、急曲線の線路が終点まで続く。崖と川に挟まれた地形に沿うように低速で走る区間がほとんどを占め、人口も希薄な地域となる。
1988年に乗車したときはキハ58とキハ52の3連であったが曲線区間では蛇がくねるように走り抜けていた。あとは普通列車であったが車内販売が来たことだった。当時すでにJRになっていたが・・・それ以外の記憶はかなりあいまいになっていた。
いまはキハ58がキハ120に代わったが。
現在の電化区間の主力。E127系100番代 ワンマン運転。最初にこの区間を訪れたのは1980年10月のことで旧型国電が目的であった。この旧型国電も翌年の夏には115系に置き換わり、1998年頃からE127系になっている。
キハ120の発車は12時7分。乗り継ぎ乗り継ぎで新潟に帰らなかればならない。目的地の新潟大学前駅は18時を回ったあたり。6時間越えの道中である。新宿行きのあずさ46号となるE353系と糸魚川行きのキハ120、松本に向かうE127系100番代。今の南小谷駅でも華やいだ光景。
糸魚川から10時31分426Ðで南小谷折り返し427Dとしたのはこの光景を見るためだった。
もちろん1本早い列車でやってきて周辺で撮影を楽しむということや鉄道を離れて塩の道を見聞するということも考えられたがこの日は思ったほど気温が上がらず長く外にいようという気が起きなかった・・・
えちごトキめき鉄道ひすいラインの早川の鉄橋から雪を頂いた山が見えたがもしかしたら初冠雪だったのであろうか。
対向列車との交換。糸魚川から南小谷までの区間で交換可能な駅は当駅のみ。
糸魚川をわずか10人程度の乗客で発車その後も乗客は増えなかった。姫川と
山々に挟まれた険しい地形を徐行しながら進む。姫川は水量が少なく、ブロック状のコンクリートの塊が目に付いた。
住宅街に夜明けが・・・3連休の中日
新潟大学前駅から見た新潟市西区のようす。駅前は工事が行われている。
吉田行きの始発電車。E129系2連ワンマン運転。
この電車で吉田、柏崎、直江津、糸魚川と乗り換えて35年ぶりに大糸線に揺られてきたいと思う。乗車する電車たちは全てワンマン運転である。
列車はまだ薄暗い中を走り、新潟市内で夜を過ごしたと思われる人が降りていき、代わりに部活動に向かうであろう学生が乗ってきたが混雑することはなかった。
東側の山手から太陽が顔を出しそれを撮影する人もあった。列車内で夜明けを迎えるのは夜行列車のようでもある。
吉田駅でわずかな時間の接続で柏崎方面列車に乗車。すぐにメロディが流れて列車は発車した。こちらも乗客は少なく乗り降りの全くない駅も多くあった。また乗客は多くは高校生ばかりだった。
8月の豪雨災害で不通区間が発生して磐越西線は会津若松まで列車で行くことができなくなっており復旧は来春となっている。紅葉の美しい磐越西線沿線の風景を列車から眺めることができなくなった。
キハ111‐203のユニットが待機。キハ110系は単行運転可能なキハ110が多数新津運輸区に配置されていてキハ111+キハ112のユニットは201~203のわずか3編成にとどまっている。
一方電気式気動車GV-E400系は2連ユニットのGV-E401とGV-E402の編成が16編成あり110系とは逆に単行のGV-E400が少なくなっている。
キハ40系のほとんどが消えた新津運輸区であるがキハ110系もこれから変動が起きる可能性も否定できないので注意が必要であろう。
只見線からの列車が大幅に遅れたので出迎えができず参加の有志メンバーと相談して自由行動の時間となったので六日町駅前の図書館を散策することにした。ここで郷土資料などを少しながめ、隣接するスーパーで昼食を買い、ホームで北越急行ほくほく線の列車たちを眺める。
ゆめぞら号HK100-8 入れ換え中。
わずか30分程度ホームからほくほく線電車たちを見聞し小出に向かう。
車窓からの八海山や越後駒ケ岳がくっきり見え快晴の空に映えていた。
遠目には国鉄時代の国労のビラを貼りまくっていた春闘の頃の電車を思い出してしまった。
加茂市で秋に行われていた「AKARIBA」あかりばが復活した。青海神社付近と加茂山公園に行灯が多数並び幻想的な空間を彩っている。
コロナウィルスのため2019年に行われたのを最後に休止されていたがようやく再開したので見学してみた。(昨年は日帰り入浴施設美人の湯で小規模開催)
青海神社参道
茶屋(和菓子屋)周辺屏風 10月になっても真夏日 浴衣の人も
青海神社拝殿
キッチンカー ローストチキン
蒲原鉄道モハ61
展示されているあかりの数も多くなく例年より地味な開催であったが、ここはとにかく復活したことを喜び見学を終了して加茂駅に戻る。
加茂駅発車
EF510-21 4070レ