2024年5月27日月曜日

EF510-507 4059レ 寝台特急の記憶


 2024年5月11日 EF510-507 4059レ

最高時速100キロの高速A 4059レ 走行音はかつてこの時間帯に走っていた寝台特急を思わせた。積まれているコンテナも青い北越コーポレーションの中型のものが主流。

軽快な走行音を響かせて 一気に走り去っていった。

2024年5月26日日曜日

EH200-2 DD200-23 配給

2024年5月18日 8788レ 配給 EH200-2とDD200-23

土曜の午後2時台はE001トランスイート四季島、EH200配給、E653系しらゆき(上沼垂色編成あり)、EF510の3093レ、と密度の高いウオッチングを楽しむことができる。

信越本線が幹線であることを象徴する事実。

2024年5月20日月曜日

四季島夜に向かって

 

 

 

2024年5月18日 上り E001トランスイート四季島

車窓からは日没が見える。静かな初夏の夕暮れ

 





2024年5月19日日曜日

しらゆきみずかがみ


 2024年5月18日 E653系  51M 

田植えが終わった水田に列車がうつる。晴天の水田地帯を走る。

2024年5月18日土曜日

上越線旧型客車列車


 
 1999年8月20日 上越線水上 EF5861 オハニ36スハフ42スハフ42の編成

越後湯沢~水上間運転 「レトロトレイン駒子」

盛夏の水上駅で入れ替えが始まった。EF5861のとなりでは115系が停車中。乗り換え客で混雑していた。

 

2024年5月17日金曜日

高鮮度高品質物流

2024年5月11日 3098レ 高鮮度高品質物流コンテナ

札幌市の東札幌日通輸送(株) 運用区間は札幌~名古屋、東京、福岡

コンテナ形式UF45Aー38008  3098レではよく見かけるコンテナである。

2024年5月16日木曜日

四季島夕景


 2024年5月11日 上り E001トランスイート四季島

側面に夕日を受けて走る。暮れ行く越後路を眺めながら信州に向かう。

2024年5月13日月曜日

185系夜行団体列車

2024年5月12日 185系B6編成

上野~新潟間の夜行団体列車。朝6時過ぎ朝日を受けて終着駅に急ぐ。MT54の爆音が響き、かつての夜行列車ムーンライトえちごを思い出させた。

この電車は特急型であるが窓の開閉が可能であり、朝の爽やかな空気を楽しんでいる乗客の姿もあった。

185系の踊り子色は昨年の8月下旬以来である。今月下旬から来月上旬にかけては上越線国境付近の臨時特急として運転される予定である。

2024年5月12日日曜日

新潟駅開業120周年記念列車~EF641053〔群〕旧型客車

2024年5月12日 EF641053〔群〕 9722レ

オハニ3611、オハ472246、オハ472261、スハフ422173、オハ472266、スハフ422234

スハフ422234は青15号塗装。スハフ422173はラウンジカーに改造されている。


 

EF641030 列車の機回しを避けるため新潟車両センター~新潟駅~新津駅の区間連結された。新津で切り離したあと長岡へ回送。一日でEF64を2両見ることができた。

新潟駅ではイベントが行われ、この客車編成も有料撮影会に供されている。

しばらくぶりに充実した撮影をすることができた。このほか準メインで185系の団体列車も45分ほど前に通過している。こちらも昨年以来の見聞。MT54モーターのうなりを久しぶりに楽しんだ。

2024年5月10日金曜日

スハ402102直江津客貨車区


 1984年11月11日 直江津客貨車区

スハ40は35系列スハ42を軽量化してオハ36と改めたのち電気暖房改造で重量が増加してスハ40の形式があてがわれた。 

軽量化は室内の化粧板化で硬質繊維のものに改め、窓枠をアルミに、扉を軽量客車と同じ下降窓付と同じものと交換座席を軽量客車戸同じものとした。

室内灯は蛍光灯(ラビットスタート型超光式)、床下に400VA発電機、連結装置は緩衝器をばねからゴムパッドに変更。重量を2トン程度軽量化しオハ36とした。

オハ36を電気暖房改造した際重量が増加スハ40となった。

近代化改造の礎ともいえる車両であった。

参考文献 鉄道ピクトリアルNo750 特集オハ35系Ⅱ 2004年

2024年5月8日水曜日

直江津客貨車区 オハフ33

1984年11月11日 直江津客貨車区 オハフ33

履歴票を写しに伺った際に許可を得て撮影したもの。左には夜行急行妙高の編成が待機。

構内は狭く、洗浄の台があって個別の形式写真を撮影することはできなかった。
 

2024年5月6日月曜日

真昼の上沼垂色E653系

2024年5月4日  E653系H202 55M

水田に水が張られ田植えが行われている。農作業には最高の季節。撮影後最寄りのスーパーに行くと苗ものが多数あって家庭菜園用に買いに来ている人が多かった。

連休のこの時期あちこちでイベントがあり、鉄道関連でもえちごトキめき鉄道、JR貨物新潟貨物ターミナル一般公開、くびき野レールパーク公開、「SLばんえつ物語」運転など盛りだくさんとなっていた。他413系やET127の田島ルーフィング第2弾「スカ色」、北越急行の旧イベント色復刻がある。

当方はイベントを遠目に眺めひたすらミニマム化を行って不用品の処理に明け暮れた。それでもできたのは10分の6くらいかもしれない。屋外の雑木、雑草の処理、室内も掃除をおろそかにして埃がたまり、押し入れや棚は不用品だらけ、なぜか買い物の際にもらうレジ袋やチラシがたくさんあっちこっちから出てくる、さらに年季の入った雑貨や粗品なども。壁にはダイヤ改正前の時刻表や汚れたポスターなども。これらを次々撤収してゴミ袋へ。ごみの収集は所定通り行われているので時間までにごみ置き場へ・・・・来客や親族が来る場所を優先に処理し壊れたバスルームのパーツも一新した。洗面台付近もくたびれたタオルがたくさん、さらに中途半端に残った洗剤や空容器も・・・この連休で出したごみは15袋。

空いた時間は買い物と情報収集だった。 無印良品、コメリパワー、ニトリ、ハードオフなどをめぐって値段を確認ついでに入用なものを購入。

客の来ない部屋や寝室も手入れを行い、不要な書類を次々ゴミに出した。数年間寝かせて何の影響もないものは撤収しても問題ないというセオリーである。

買ったものはホースリール、卓上灯、シャワーセット。代用で済ませているのがTV(壊れたのでワンセグで代用)他フィルムスキャナー。TVは見ることが極めて少ないのでどうするか思案している。

何でこんなことを思いついたかと言えば元日の能登半島地震と1月に東京の親戚宅のあまりに物が少ない整然としている室内を見たことによるものだった・・・・

当方もフェーズが変わり今は国鉄の末期の不要車両の廃車を推進する時期に来たのかもしれない。 多くの車両が運用から外されそして鉄屑に帰っていった。

*たくさん模型があるがどうしよう・・・廃棄の可否を検討しなけならない・・・

2024年5月5日日曜日

田植えが始まった~E653系H202しらゆき


 2024年5月4日 E653系H202 56M

風が出て水鏡にならなかった。(そういったことにはこだわりません)

田んぼは家族総出で田植真っ盛り。一年で一番いい季節を走る。

(この連休は不用品の撤去、樹木の剪定、草取りなど雑用がたくさんあって撮影には出ないことにした。ただ、新しくなった新潟駅のCoColoの前は所用に行くため通った。大勢の人で賑わっていた。もちろん列車利用で所用をしたのは数年ぶりかも。(新潟駅南はほかにドン・キホーテやビッグカメラもある)リサイクルショップ、ホームセンターやあちこちにできた 無印良品、ニトリなど見聞。

ほかに買わなくなった雑誌を図書館で閲覧したり、家回りのミニマム化を推進。これが今年の5月連休。

2024年5月4日土曜日

直江津客貨車区 救援車


 1984年11月 直江津客貨車区 スエ3126 

種車はスハ32572で1938年10月小倉工場で製造 救援車への改造は1967年8月26日新津工場で行われた。

窓上にヘッダが無い変形車(スハ32系としては)で人気が高かった。

2024年5月1日水曜日

オハフ33 2402~1985年2月直江津客貨車区

1985年2月 直江津客貨車区 車庫にいるのはオハフ332402

この状態では番号などわかるはずはないが、手元にある履歴票の写しを見るとS58.5つまり1983年5月に長野工場で全般検査を行った記録があった。そのため当該車両であることが判明した。

履歴票を写したのはいいが、そこで満足してしまい肝心の車両記録写真を全く撮影していないというお粗末な話・・・・この頃のネガを全部調べたが車両写真はなく機関車中心のものばかり・・・何のために履歴票を写したのかわからなかった。

しかし研究会に入会したおかげで権威ある方から解説を頂くことができた。多数の著作を世に送り出しているW先生。(最近では並みロのすべてという著作がある 詳しくはRMライブラリーを)

この失策が原因でW先生にご迷惑をおかけしたとなると反省しなければならいことだ。