2014年8月17日日曜日
2014年8月16日土曜日
2014年8月15日金曜日
2014年8月14日木曜日
DD51 1115牽引山陰本線普通客車列車
1983年8月15日 綾部 浜坂発京都行き834レ 福知山客貨車区の客車と米子機関区のDD51のこの付近ではごく一般的な運用形態。機関車のすぐ後ろには軽量客車が。隣にはキハ58系が。
豊岡から宮津線経由で西舞鶴で敦賀からの編成と合体して京都に向かう904D「丹後」4号。
ちなみに筆者は502レ「きたぐに」を敦賀で降りてこの列車(敦賀発京都行き普通列車で東舞鶴までキハ48など一般車両も連結)に乗車。乗り換えの途中のカット。
豊岡から宮津線経由で西舞鶴で敦賀からの編成と合体して京都に向かう904D「丹後」4号。
ちなみに筆者は502レ「きたぐに」を敦賀で降りてこの列車(敦賀発京都行き普通列車で東舞鶴までキハ48など一般車両も連結)に乗車。乗り換えの途中のカット。
2014年8月13日水曜日
2014年8月12日火曜日
EF651002牽引 寝台特急「なは」
1984年8月17日 22ㇾ「なは」 西鹿児島~新大阪間運転。向日町の24系25型編成。牽引はEF651002〔関〕 2月のダイヤ改正で「明星」から変わったものである。それ以前は583系で運転されていた。大型パンタグラフを持つEF651002が牽引する関西の寝台特急は新鮮に見えた。
EF651002は1984年2月6日宇都宮運転所から下関運転所に転属した。
EF651002は1984年2月6日宇都宮運転所から下関運転所に転属した。
2014年8月11日月曜日
軽量客車10系 ナハフ11 1内部
2010年6月 横川の碓氷峠鉄道文化むらに保存されているナハフ111内部。
10系軽量客車はそれまでの鋼体客車(スハ43系)よりも軽量化したものである。
全金属、プラスチック製合板などを用いて明るい近代的な車内となった。
ナハ11は当初から扇風機がある。特急「かもめ」などで使われた。
台車:TR50A製造年月全長:20.0m 自重:24.9t
:昭和32年5月・日本車輌
廃車年月:昭和61年3月
車内のイメージとして急行型車両の完成型といえる。153系、165系急行型、キハ58系もこの車内様式であった。窓際のテーブル、ひじ掛けなど。 この客車は手すりはなく頭をもたれることができる構造となっている。
軽量客車は思ったより老朽化の進行が早く実際には43系客車より先になくなってしまった印象が強いが車内の構造はその後の急行型の標準形態となっている。
10系軽量客車はそれまでの鋼体客車(スハ43系)よりも軽量化したものである。
全金属、プラスチック製合板などを用いて明るい近代的な車内となった。
ナハ11は当初から扇風機がある。特急「かもめ」などで使われた。
台車:TR50A製造年月全長:20.0m 自重:24.9t
:昭和32年5月・日本車輌
廃車年月:昭和61年3月
車内のイメージとして急行型車両の完成型といえる。153系、165系急行型、キハ58系もこの車内様式であった。窓際のテーブル、ひじ掛けなど。 この客車は手すりはなく頭をもたれることができる構造となっている。
軽量客車は思ったより老朽化の進行が早く実際には43系客車より先になくなってしまった印象が強いが車内の構造はその後の急行型の標準形態となっている。
2014年8月10日日曜日
ナハフ10 26~山陰本線普通列車
1983年8月15日 浜坂にて 鳥取~大阪間普通列車724レの後部にナハフ10 26(福フチ)を見つけたので懐かしくなり撮影した。すでに東北本線からも北陸本線からもナハ10系軽量客車の姿はなかったが山陰本線ではまだ多数残っていた。(富山客貨車区に配置はあるが休車で解体される時を待っていた)
1983年配置表によると 福知山にナハ10が58、104、108、2011、2012、ナハ11が39と40そしてナハフ10が26、27、28、ナハフ11が1号、他出雲にナハ11の45という配置。 ナハフ11の1も見かけた。
1983年の夏がこれら10系普通客車の最後の活躍だったようで1984年2月のダイヤ改正で運用から外されたようである。浜坂から餘部まで10系軽量客車を楽しんだのも思い出。
いまナハフ11の1は横川の碓氷峠鉄道文化むらにあって眺めることが可能。
1983年配置表によると 福知山にナハ10が58、104、108、2011、2012、ナハ11が39と40そしてナハフ10が26、27、28、ナハフ11が1号、他出雲にナハ11の45という配置。 ナハフ11の1も見かけた。
1983年の夏がこれら10系普通客車の最後の活躍だったようで1984年2月のダイヤ改正で運用から外されたようである。浜坂から餘部まで10系軽量客車を楽しんだのも思い出。
いまナハフ11の1は横川の碓氷峠鉄道文化むらにあって眺めることが可能。
2014年8月9日土曜日
板ガラス輸送用ワム581000
1983年8月15日 綾部 屋根にとってのついたワム80000型を発見。松尾寺常備。この周辺にあるガラス工場の板ガラスを運ぶための「物資別適合貨車」であった。ガラスをクレーンで荷役しやすくした構造となっている。画像の貨車は1967年に後藤工場で改造されたものである。
2014年8月8日金曜日
EF81 59〔酒〕 牽引837レ
1983年12月 羽越本線水原付近 EF8159牽引の新津発秋田行き普通列車。新津11時40分秋田着19時。1982年11月15日改正で旧型客車はこの列車と上り838レ秋田13時10分新津」20時51分着の1往復のみが残存した。新津~酒田間EF81,酒田~秋田間はED75700番台秋田機関区。
1984年の豪雪の前触れで1983年12月下旬でこの大雪であった。
1984年の豪雪の前触れで1983年12月下旬でこの大雪であった。
2014年8月7日木曜日
115系N39(旧L14)
7月31日 444M 115系N39編成 L14編成からサハ115-1002を抜いて新編成N39となった。
サハ115-1002はすぐに廃車になっている。1978年に70系置き換えのため登場したものである。
参考
サハ115-1002
1978.05.25日本車両製造長岡配置
1984.01.19 小山
1985.03.14 新前橋
1988.04.24 上沼垂
1995.12.01 長岡
1999.12.04 上沼垂
2004.04.01 新潟
サハ115-1002はすぐに廃車になっている。1978年に70系置き換えのため登場したものである。
参考
サハ115-1002
1978.05.25日本車両製造長岡配置
1984.01.19 小山
1985.03.14 新前橋
1988.04.24 上沼垂
1995.12.01 長岡
1999.12.04 上沼垂
2004.04.01 新潟
2014年8月4日月曜日
2014年8月3日日曜日
闇夜に仕掛ける~臨時寝台特急「あけぼの」
8月3日 AM1時 東三条~保内間の踏切り 臨時寝台特急「あけぼの」を狙ってみた。
花火臨?115系湘南色 N2かN23
湘南色 115系は窓の明かりでかなり明確に見える。
下り貨物 3099レ EF510牽引
寝台特急「あけぼの」 わずかな踏切の明かりを利用して。ハイビームのためEF81の番号は見えない。
上野に向かって走る。行先の明かりと最後部の電源車の明かりそして尾灯。
下りEF510貨物。
わずか30分程度の時間で多数見分できてよかった。日中とは違う表情を見ることができた。
花火臨?115系湘南色 N2かN23
湘南色 115系は窓の明かりでかなり明確に見える。
下り貨物 3099レ EF510牽引
寝台特急「あけぼの」 わずかな踏切の明かりを利用して。ハイビームのためEF81の番号は見えない。
上野に向かって走る。行先の明かりと最後部の電源車の明かりそして尾灯。
下りEF510貨物。
わずか30分程度の時間で多数見分できてよかった。日中とは違う表情を見ることができた。
2014年8月1日金曜日
EF66 26 高速貨物A 54レ
1988年8月15日 東海道本線 山科付近 新潟行き「雷鳥」13号のすぐあとにお目当ての54レ
「スーパーライナー」が通過。EF66 26が牽引。 盆休のため積まれているのは宅配便コンテナだけ。
山科の盆地は蒸し暑くばて気味であり撮影地近くの薬局で薬を買ったのも思い出。
そこの女性はあまり蒸し暑いのは気にならないとの事であった。
「スーパーライナー」が通過。EF66 26が牽引。 盆休のため積まれているのは宅配便コンテナだけ。
山科の盆地は蒸し暑くばて気味であり撮影地近くの薬局で薬を買ったのも思い出。
そこの女性はあまり蒸し暑いのは気にならないとの事であった。