1986年10月 東三条駅。下り急荷4031ㇾ
この年の11月1日荷物列車が廃止されることになった。
大阪21時20分発~青森22時23分着
東三条は9時28分から43分の停車だった。
廃止前であっても多くの荷物の積み下ろしがあった。
2016年1月31日日曜日
まるで東北のような
1984年9月22日 羽越本線水原付近 485系下り鳥海。2041M
新潟県下越地方でも稲を杭にかけて干す光景が見られた。この干し方は一般に東北地方で見られたが新潟県内の一部でも存在した。 新津を14時30分過ぎに出て終点の青森までは前途は長いがこの稲を干す光景を見た乗客は目的地への思いを強くしたのではなかったろうか。
直流の115系や165系などとこの組み合わせを見てみたかったがそれは実現していない。
新潟県下越地方でも稲を杭にかけて干す光景が見られた。この干し方は一般に東北地方で見られたが新潟県内の一部でも存在した。 新津を14時30分過ぎに出て終点の青森までは前途は長いがこの稲を干す光景を見た乗客は目的地への思いを強くしたのではなかったろうか。
直流の115系や165系などとこの組み合わせを見てみたかったがそれは実現していない。
2016年1月30日土曜日
2016年1月24日日曜日
EF65 1048牽引の「あけぼの」1号
1984年12月29日 上野駅7番線 EF651048〔田〕牽引1001レ あけぼの1号
上野(入線20時36分で20時50分発)~福島から奥羽本線経由で青森は9時9分着。
高架の7番線発である。尾久から回送されて到着した直後のため前照灯も尾灯も点灯。
となりに583系がいるが正体が不明。また「あけぼの」と「ゆうづる」はヘッドマークの取り付けがされたと言われていたがこの列車にはなかった。
EF651048は1972年2月17日川重・富士電機で製造、宇都宮運転所配置、1984年2月1日田端機関区転属、1986年11月1日に新鶴見機関区に転属してJR移行を迎える。
1984年の暮れは大雪に見舞われ日本海側は特にひどかった。寝台特急「北陸」などは米原・東海道線経由に迂回したり、東京~富山間の臨時急行も運転されていた。(12系使用)
当時あまり関心のなかったEF65牽引寝台特急であり記憶はあいまいである。撮影時間帯は夕刻上野駅でEF58牽引列車を撮影している。このあとEF58 103〔宇〕牽引「おが」20系を見届けて、東京駅で22時発大阪行き臨時「銀河」51号に乗車している。
富山方面臨時列車は東京駅でEF58160牽引12系見ているが撮影できなかった。
上野(入線20時36分で20時50分発)~福島から奥羽本線経由で青森は9時9分着。
高架の7番線発である。尾久から回送されて到着した直後のため前照灯も尾灯も点灯。
となりに583系がいるが正体が不明。また「あけぼの」と「ゆうづる」はヘッドマークの取り付けがされたと言われていたがこの列車にはなかった。
EF651048は1972年2月17日川重・富士電機で製造、宇都宮運転所配置、1984年2月1日田端機関区転属、1986年11月1日に新鶴見機関区に転属してJR移行を迎える。
1984年の暮れは大雪に見舞われ日本海側は特にひどかった。寝台特急「北陸」などは米原・東海道線経由に迂回したり、東京~富山間の臨時急行も運転されていた。(12系使用)
当時あまり関心のなかったEF65牽引寝台特急であり記憶はあいまいである。撮影時間帯は夕刻上野駅でEF58牽引列車を撮影している。このあとEF58 103〔宇〕牽引「おが」20系を見届けて、東京駅で22時発大阪行き臨時「銀河」51号に乗車している。
富山方面臨時列車は東京駅でEF58160牽引12系見ているが撮影できなかった。
115系N2 新井快速
2016年1月23日 3372M新井快速 湘南色N2編成。
115系はN1が運用が終了で長野に送られた。一方で長野からやってきた長野N9が新潟N40となった。また長野色N33は新潟色(緑色)となった。
115系はN1が運用が終了で長野に送られた。一方で長野からやってきた長野N9が新潟N40となった。また長野色N33は新潟色(緑色)となった。
2016年1月23日土曜日
寝台特急「出羽」と急行「ゆけむり」「草津」
1985年1月3日 上野にて。 169系と並ぶ寝台特急「出羽」1982年11月15日より運転開始。
愛称の「出羽」は上野~福島~山形~酒田を走る気動車急行からの転用で上越線、羽越本線を経由して運転されていた急行「鳥海」の後任。急行「鳥海」は旧型客車編成で寝台車が10系座席車が43系という編成で座席は冷房無というありさまだった。1982年ダイヤ改正で寝台特急に格上げられのちに2段式寝台に更新された。座席はなくなったが多客期は臨時急行「天の川」を上野~酒田間に運転して処置をしていた。
特急型客車の転用は14系の「きたぐに」「能登」「妙高」などは寝台+座席の急行のまま据え置かれたが「鳥海」は寝台特急に格上げということとなった。しかし客足は伸びず1993年には列車そのものが廃止に追い込まれた。(1990年9月に山形新幹線工事に関連して寝台特急「あけぼの」を上越線・羽越本線経由に変更して列車名「鳥海」として運転したが輸送力過剰になったことも原因)
1985年3月改正よりヘッドマークの取り付けが行われるがこの撮影時点ではまだなかった。
撮影もほとんどしていないので筆者にとってまったく印象のない列車ではある。
それ以前の急行「鳥海」には多数お世話になったのであるが・・・・・・
牽引機関車EF641010は高崎第二機関区の所属、となりの165系は新前橋電車区所属で急行「草津」「ゆけむり1号」である。
寝台特急「出羽」 上り2002レは秋田20時発上野6時8分着で18番線、「草津」「ゆけむり1号」は 7時4分発。 こちらは籠原5時7分発上野6時18分着の普通822Mが前運用である。
普通列車822Mはグリーン車開放で「草津」「ゆけむり」1号はグリーン車営業である。
この165系たちも1985年2月26日でグリーン車が不連結さらにダイヤ改正で列車そのもの185系の新特急「たにがわ」「草津」に変わる。185系は新幹線リレー号の転用であった。
東北・上越新幹線開業前のひとこま
2016年1月17日日曜日
485系1500番台特急「鳥海」
1984年9月 羽越本線 485系1500番台特急「鳥海」 1982年11月15日~1985年3月14日の東北・上越新幹線上野開業までの期間の運転。上り2042Mは青森7時56分~新津14時31分~上野18時44分着。下り2041Mは上野10時30分~新津14時32分~青森21時13分着 青森運転所485系の12両編成を使用して運転。新潟駅は経由しない。新幹線開業の恩恵が無い東北地方日本海側の首都圏直通列車であった。当時東北・上越新幹線は大宮までの開業で沿線以外の乗り継ぎは極めて不便な状況で特例的に運転されていた。愛称の「鳥海」は夜行急行列車からの格上げである。
食堂の営業もあり特別急行列車の面影を残していた。1985年以降も臨時列車として運転。編成は7連で秋田~上野間となっている。
食堂の営業もあり特別急行列車の面影を残していた。1985年以降も臨時列車として運転。編成は7連で秋田~上野間となっている。
2016年1月16日土曜日
2016年1月13日水曜日
115系湘南色並 1984年
1984年4月15日 越後線吉田 電化開業直後の様子。115系初期型そして湘南色の並び。
電化開業に当たって、115系は岡山、広島、沼津、松本などから余剰車を集めて行った。中間電動車の先頭車改造も多く行われたのも注目された。
初期型115系は1976年10月のダイヤ改正で70系電車置き換えに登場したが115系1000番台に追われて1978年10月ごろいったん姿を消したがこの電化開業で再び集まりさらに30年活躍することになった。当初は越後線と弥彦線内だったが白新線、羽越線にも1985年以降進出さらにはJR移行後は165系置き換えのため信越本線は直江津まで上越線は水上まで運転区間を伸ばしている。
電化開業に当たって、115系は岡山、広島、沼津、松本などから余剰車を集めて行った。中間電動車の先頭車改造も多く行われたのも注目された。
初期型115系は1976年10月のダイヤ改正で70系電車置き換えに登場したが115系1000番台に追われて1978年10月ごろいったん姿を消したがこの電化開業で再び集まりさらに30年活躍することになった。当初は越後線と弥彦線内だったが白新線、羽越線にも1985年以降進出さらにはJR移行後は165系置き換えのため信越本線は直江津まで上越線は水上まで運転区間を伸ばしている。
2016年1月11日月曜日
115系 新井快速
2016年1月10日 加茂駅にて 115系N6の新井行きの快速列車。モハ114-1067はパンタグラフを2つ上げて冬の期間運転される。架線の霜を除去する目的がある。 新鋭E129系にも一部2つパンタグラフを持つものがあり同様の用途に用いられる。
2016年1月10日日曜日
115系N23編成
2016年1月4日 弥彦線E129系 E127系V12編成は新津製作所に留置されていたのでE129系A13編成が代走。
信越本線439M N23編成。湘南色。
弥彦線E129系と並ぶ。
今の駅名標と湘南色のミスマッチ。
トイモードでクハ115-1015を。古い?電車の雰囲気を楽しむ。
信越本線439M N23編成。湘南色。
弥彦線E129系と並ぶ。
今の駅名標と湘南色のミスマッチ。
トイモードでクハ115-1015を。古い?電車の雰囲気を楽しむ。
2016年1月6日水曜日
2016年1月1日金曜日
改修中の東三条駅
2015年より東三条駅の改装工事が行われている。鍛冶の街のイメージをコンセプトとしているようである。 外観も改札もシックに変わった。
待合室は格子縞の欄間が付いた。
乗車券の発売機もシックに。
駅に足を踏み入れると鍛冶場の土間に入り込んだよう雰囲気が
1月5日からは駅舎の外観の工事が再開する。六角凧をイメージしたものになるらしい。
信越本線と弥彦線のホームも火入れの赤を用いた装飾がされるようだ。
詳細はJR東日本新潟支社のサイトに。
東三条駅とくればまだ現役の国鉄時代の古い跨線橋も見る価値があると思う。
待合室は格子縞の欄間が付いた。
乗車券の発売機もシックに。
駅に足を踏み入れると鍛冶場の土間に入り込んだよう雰囲気が
1月5日からは駅舎の外観の工事が再開する。六角凧をイメージしたものになるらしい。
信越本線と弥彦線のホームも火入れの赤を用いた装飾がされるようだ。
詳細はJR東日本新潟支社のサイトに。
東三条駅とくればまだ現役の国鉄時代の古い跨線橋も見る価値があると思う。
2016年1月1日 信越本線
115系N20他 427M
E653系「おはよう信越」
E129系 426M
115系 429M L12編成
初日の出を拝みに出たついでに信越本線の朝の列車たちを。
115系4連の運用も辛くも残っているという感じであった。
越後線電化当時の0番台は営業から外れ、昨年すべて廃車解体されている。
E653系「おはよう信越」
E129系 426M
115系 429M L12編成
初日の出を拝みに出たついでに信越本線の朝の列車たちを。
115系4連の運用も辛くも残っているという感じであった。
越後線電化当時の0番台は営業から外れ、昨年すべて廃車解体されている。