2016年5月4日 磐越西線徳沢~豊美間に架かる「徳沢橋梁」をゆく233Dのキハ47型2連。
1978年11月に新潟日報事業社より刊行された「写真集新潟の鉄道百年」のP42~P43「岩越線全通」に記載された写真の一番最後に出ていた場所である。
ちなみにこの本では釜の脇橋梁と記載されていた。しかし実際には釜の脇橋梁は尾登駅と荻野駅との間に架かる橋梁であった。
大正(1914年)11月1日に津川と野沢の区間が全通して岩越線は新津~郡山間が1本の線路でつながった。新潟から東京へはそれまでの信越線経由15時間40分が岩越線経由では12時間47分となってこちらが幹線として脚光を浴びた。(大正13年にはまた信越線経由が早くなり昭和6年(1931年)には上越線が開業して7時間10分で新潟から東京に行けるようになった。
大正6年(1917年)に 磐越西線と改名して今に至るが上越線開業後は新潟と東北との幹線として機能することになる。
この岩越線は阿賀野川に沿って走るため多くの橋梁が作られたが水深が深く(15m)流れも速いため 架空式架桁法という工法が用いられたとある(P43の一番上の写真)
この一番最後の写真はキハ45とキハ20など5連の気動車で蘇生された列車が撮影されている。
またダムも作られて流れは穏やかになっているので急流ではない。
撮影場所は国道459号線から。この徳沢橋梁のあたりは流れの合流点で橋が架かっていてそこからの撮影。すこしいくと新潟県境である。 徳沢というとトラスではない橋梁の方が有名である。
撮影者にとってはトラスは車両が隠れるので好まれない。(もっともいまの「ゆる鉄」ブームでそれもうすまってきたようであるが)