2017年6月25日日曜日

廃線が済んだら廃線だぜ~越後交通長岡線寺泊~大河津界隈

2017年6月18日 くびき野レールパークから帰る道中国道352号~402号線で寺泊へ。ここから越後交通長岡線の廃線の跡を少したどってみた。 寺泊新道付近から廃線跡の道路を経由。道幅が狭い箇所が多い。
越後線の寺泊駅(かつて大河津)との合流点で越後交通長岡線の大河津~寺泊間が昭和48年(1973)年4月16日に廃止になるまで越後線との平面交差区間があり25mを共用していた。(越後線が国有化以前から)越後交通は国鉄に通行料を払い、 国鉄のダイヤ改正ごとに越後交通の長岡線もダイヤを修正していた。
架線柱は廃止後すでに40年は経過しているがまだ残っていて驚いた。右手の道路は越後線の踏切りに向かう。架線柱の下は線路は撤去されていた。
 越後線の寺泊駅の裏手で越後交通長岡線の大河津駅跡地。整地中。線路や信号機の残骸がある。
 越後交通長岡線の大河津駅のホーム跡。昨年くらいまで雑木が生い茂っていたのでホームを見ることはできなかった。
 越後線の寺泊駅本屋をのぞむ。
 整地作業が始まったということは跡地を活用するということであろうか?あるいは売却か?
 JR越後線の寺泊駅から国道116号線を通過して与板方面に移動した付近。
こちらの廃止は昭和50年(1975年)4月1日。廃止の時点でも年間100万人程度の旅客輸送はあったと言われている。
廃止区間は大河津~西長岡の旅客輸送と越後関原~西長岡の貨物輸送。

見事に線路が残っていた。踏切の跡である。道床は線路が外されて枕木が少々。



平成の初めころまでは越後線寺泊の駅構内から越後交通長岡線の廃線がよく見え、国道116号も立体交差区間があり、このあたりも線路そのものがしっかり残っていて架線柱も存在していた。


いまは線路の撤去も進んで道床だけになり一部はそれもなくなっているといわれている。
越後交通長岡線の廃線の撤去が進まなかったことについてもいくつか説があるとされている。
通説は撤去費用が関係しているといわれているが1975年頃はオイルショックの時代でもあり要請があれば復活できる体制を温存しておくともされていた。

それからさらに30年以上経過していよいよそんな話も伝説になってしまった。鉄道を駆逐した自動車の方も進歩して今後は石油燃料に必ずしもよらないものも出てくると思われるし、沿線人口は急速に過疎化が進行。

そのため温存してきた線路も劣化が急激でありもはや必要ないものとなってしまったのであろう。


参考文献:新消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪 上信越5 越後交通長岡線P65~ ネコパブリッシング2011年2月28日 寺田裕一著