2018年1月20日 MAXとき302号 E4系 8連+8連
乗車は4号車を。いずれ消える二階建て新幹線の旅。
燕三条~大宮間の利用。 今回は昨年の暮れに亡くなった親戚への弔問が目的。
なので前半は慎んだ行動を。(したがって列車の撮影はあまりありません)
親戚もリハビリに励んでいたのであるがなぜか急逝してしまった。
葬儀は1月4日だったが首都圏のメンバーだけで済ませるというので落ち着いたら弔問をする約束をしていた。なお、老母も一緒なのでハードな撮影行はできない。
列車内ではビールとおつまみ(亀田製菓の柿の種)。故人もお酒は好きだったので大目に見てくれるであろう!
新幹線からの風景は浦佐で八海山が霧の中から浮かび上がる光景が見事だったが暗いので撮影はできず。あとはどんより天気の関東平野を走るだけ。
浅間山も富士山も見えなかった。
MAXとき302号内で買い求めたビールとおつまみ!座席は4号車のリクライニング席である。ごくごく普通の新幹線の旅を・・・・飲んでも違反切符は切られないし!
下りのガーラ湯沢に向かう「たにがわ」は自由席は立ちが出ていた。スキーに行く方々だろうか?
大宮は8時22分。ここで老母はトイレタイムそして故人の祭壇に備えるお花を調達。
朝の8時から大宮駅では花屋さんがやっているのをスマホで調べたのでこのお店で仏花を調達。移動は八王子まで205系の「むさしの号」
それまでの間E233系やE231系の電車と貨物EF210牽引の石油列車を眺める。
大宮8時53分発八王子行き「むさしの号」 大宮から東北貨物西浦和から武蔵野線そして国立で中央本線経由で八王子は9時45分着。
親戚宅ではお骨となった故人と対面。静かに手を合わせた。
暮れに亡くなったため火葬場が開いていなくて年を越しての葬儀。さらに葬儀所を見つけるのも一苦労だったとか。
しばしの間故人をしのんでティータイム。思い出話に花を咲かせる。
昼食後個人宅を辞し帰宅となるがせっかくなので都内で精進おとしを!
老母も一緒なので派手撮り鉄はできないので東京駅界隈を散策することに。
ご存知東京駅。八王子で東京経由の乗車券と新幹線特急券を。帰りも自由席で乗る新幹線を特に決めていなかった。なので行けそうで行きにくい皇居を見学することに。
皇居はかなり広いエリアを歩くことに。アップダウンがあり日ごろの運動不足を感じた。
実は二重橋を見たかったのだが全然方向違いのところに行ってしまったようでいったん出て生き直すことに。(大手門からはいけないようだ)なお入場時に警察官の手荷物の検査があった。
客層はほとんどが海外の方々で中国の人が多かった。
一度は見たかった二重橋を撮影できてよかったが老母はあきれていた!(若いころここに来たことがあるようだ!)
東京とくれば銀座、新宿、原宿、渋谷、品川、浅草などがあるがもちろん皇居も重要な観光スポットである!午後から天気も回復して陽光の中散策できた。
帰路はとき333号でE2系10両。自由席であるがそれほどの混雑はなかった。
JR東日本ご自慢の新幹線が一堂に。奥にはJR東海の東海道新幹線も。1964年の開業である老舗の東海道新幹線はいまだに東京駅から乗車したことがありません!
暮れなずむ東京を後に帰路に。夕食は東京駅で買った弁当とお茶。
乗り込みは上野と大宮でそこそこあったが満席にはならなかった。
高崎からは下車が目立った。乗車中の感覚は新幹線というより在来線特急の末端区間の様だった。弁当殻は上毛高原で捨てたが捨て場所を間違えたので通りがかった車販の女性に助けてもらった。
越後湯沢の手前で車販が戻ってきたのでコーヒーを。列車内のコーヒーはおいしい。
聞いたところによると東京~新潟間一日2往復との頃だった。40台前後のベテラン商売人風の女性であった。
車販も在来線からは次々撤退新潟県では「いなほ」に残るのみ。新幹線も列車によっては全くない場合もある。このあたりの普通にみられた光景もいつの間にか貴重になってしまっていく。
上越新幹線も200系12両の時代にはビュッフェがありそこでコーヒーを飲んだり軽食を食べることもできた。2001年の暮れに廃止されたが・・・・
新幹線の車販もいつまであるかという保証もない。なぜなら関東の高崎や大宮、上野、東京の各駅のエキナカも見事何でもありそこで購入して乗るのが当たり前になっているためだ。
小雨舞う燕三条には18時35分着。弔問のミッションも無事終わった。