2018年7月1日日曜日

弥彦線~雷雨の跡の夕涼み 115系N40編成

2018年6月30日  E129系の吉田行き列車。242M 燕市の中ノ口川 
下回りが隠れるため喜ばしい場所ではないが橋脚が歴史を感じさせるものなので1カット。
ここの橋もかつては小さなトラスで足回りも見えたようだった。
電化前は架線柱のところに通信線=ハエたたきが取り付けられていた。
思えば車両ばかりに目が行きしかも弥彦線は薄汚れた気動車ばかりだったので撮影する意義を見いだせず記録は残していない。大正時代の橋脚と新鋭平成最晩年生まれのE129系。
燕付近の115系N40編成 弥彦線を走る70系新潟色。245M 近くの小学校の建物の影がかかり微妙な雰囲気になっているが、うれしいことに雑草がきれいに刈り取られて下回りも良く見える。この列車は燕で列車交換をしたものである。午後は1回のみでこの列車は2番線での交換。
三条市の信濃川対岸から。244M 夕日を受けて走る115系N40編成。色も鮮やかに感じる。風景的には雑然としていているがこれも弥彦線の魅力の一つかもしれない。
ローカル線にしてはやや本数が多く時間帯によっては混雑し車窓から見えるものは金属加工の工場と倉庫、新興住宅や、ロードサイドのショッピング街とビジネスホテル・・・
別に最初からこんな風景が広がっていたわけでもなく時代によって変化していったものである。1984年4月の電化までは通勤型気動車が走っていたがその歴史的背景も燕市の洋食器産業の隆盛期と関連する。1970年代に工場街が燕市郊外に移転するまで 弥彦線は輸送の中心であった。その後は輸入品に押されて苦戦する時代になったり、人手不足や後継者難の問題など芳しくない時代に入り現在に至っているが、再び見直されている時代に入りつつあり今後期待される。
信濃川を渡って燕三条に向かう 右手に大きな積乱雲があったが画像に入らない。
1985年の架け替えでトラスになったがそれまでは中ノ口川と同じタイプの鉄橋だった。

進行方向左手には燕三条駅がある。この日国道8号線も289号線も渋滞。上流の
かつての競馬場脇を通る道路も渋滞していた。