2018年8月13日 碓氷峠鉄道文化むら キニ58 中央本線のキロ58型グリーン車の部品の一部を流用しキハ40系の車体を乗せた荷物車。1985年のダイヤ改正まで常磐線の荷物輸送に貢献した。1978年度から遊休のグリーン車を部品流用で荷物または荷物と郵便の合造車として改造が行われた。
荷物室はすのこ状の床と窓に破損防止の格子が取り付けられたのが特徴である。
荷物車の業務机といす。椅子はクロスシート。机上には状差しと蛍光灯も完備。机の後ろは洗面台があり机の反対側はロングシートがあるようだ。(大まかに本形式のほかクモニ143やクモユニ143、クモル145などもこんなスペースを持っているようだ 形状は若干異なるが)
荷物車この空間の記憶は高校時代停車している荷物列車のなかにクロスシートと机の空間があり何のための空間なのか不思議に感じた。単に荷物と書類照合の場所といえばそれまでだが。 また1985年3月ダイヤ改正で転属するキハ47の機関車次位にスユニ50が連結されこの空間に車掌が座っていた。机上にはかばんと無線機があり発車間際車掌が機関士に合図を送る光景を見た。業務用席であり一般客の立ち入れない空間の記憶。
荷物車の業務机の椅子部分は回転式1人用とクロスシートのものの2種類あるようで客車でも一定していないようだ。なお、クモニ83は回転式の椅子だった。参考資料「国鉄電車ガイドブック 旧性能電車編(下巻)」浅原信彦 誠文堂新光社刊
郵便車のクモユ141はどうだったのか?図面を探しているが・・・・・(誠文堂新光社の「最後の国鉄電車ガイドブック」には載っていなかった。クモユニ143が業務用として写真が乗っかっているだけ。)
妙義山を背にスニ30 8 とマイネ40 11 スニはモニター屋根。どちらも貴重品。
車内は公開されていない。マイネは1等寝台車の設備がそのまま残っている。
寝台の形状はプルマン式で通路を挟んで寝台があるタイプ。
DD531 かつては新潟地方でもいったん配置されたらしい。北海道で活躍し晩年は新庄で廃車を迎えた。わずか3両の所帯。ハイパワーが却って好ましくない結果を招き山岳路線用の3両のみの製造にとどまりロータリー車はDD14が標準型となった。
オハユニ61-107 荷物と郵便と普通客車の合造車。五能線で1984年2月改正まで走っていた。
オハユニ61の普通客室。背ずりは木製で扇風機もなし。時代を超越した姿。
オハユニ61の郵便室と荷物室の仕切り板付近。
オハユニ61の車端部。車掌用の机といす 状差しなど完備。椅子は回転式。
高崎配置のオハニ3611は椅子はクロスシートとなっているが机上に放送機器が置かれたので雰囲気が異なる。またオハニ3611の荷物室はすのこは撤去されている。
マイネ40-11 一等寝台車で戦後造られアメリカからの観光客輸送に用いられた。
ナハ11-1 軽量客車で全盛期は優等列車に用いられたが劣化も早く1970年代後半には廃車も進んでいた。
EF15165とEF621 EF15は貨物用標準機 新潟県内でも1982年11月ダイヤ改正まで走っていた。晩年は高崎のEF15165とEF15200が残りイベントなどで走ったようだ。
1985年3月31日高崎と水上の区間でイベントがありEF15の重連が走った。
その後引退し高崎に電気機関車を中心とした保存車の殿堂がつくることが検討されたが実現できず、結果として横川に保存となった。