2018年8月13日 横川14時10分普通列車で高崎へ。211系の3+3の6連。混雑もなく快適であった。
高崎到着後は16時33分発の上越線水上行きで帰ることにし、しばらく高崎界隈を眺めてくることに。改札を出て上り方向左手に進んで新幹線の下をくぐってベストリアンデッキに。高崎駅のショッピングセンター街も見事なものである。(新しい新潟駅も比べるとかなり貧相に・・・)
鉄活動なので高崎車両センターを眺めてきたいと思う。雨はやんでいた。
10分程度新幹線高架の道路を経由で左に回って競馬場通りという道に出てさらに高崎線の線路を目指す。競馬場とはかつて高崎にあった地方競馬のことで現在は廃止。三条よりは大きかったような気がする。
さて高崎車両センターのレアな色のキハ111+112 公道から1カット(トリミングしている)1986年に登場したキハ38型にちなんでいる。キハ38はキハ30系とともに高崎で八高線などで走った後八王子~高麗川間電化とキハ110系導入で久留里線に転出しさらにキハE130の投入でいまはミャンマーに転出するに至った。
DD51842(左)とDD51888 高崎車両センターの人気機種。DD51842は御召機関車。
EF6019 右手に少しEF65501奥にEF641052 高崎のスターたちも休息中。
ちなみに市道の踏切から。交通量が多いので自動車にはねられないように注意。
さてここで駅の方に折り返して線路伝いの道に進んで上信電鉄の鉄製貨車とついこの間まで走っていたJR107系。
名車オハニ3611 1986年11月改正までは福知山にあって山陰本線で行商列車として走っていた。車内は魚介類の行商人が香住から豊岡あたりまで利用していた。その後高崎にJR東日本管内でレトロ車両として活躍している。
1956年鋼体化客車のオハニ63のTR11を軽量客車用のTR50と同じ溶接構造を持つTR52に交換して登場した。
座席間隔が急行と同じため急行や特急「さくら」「あさかぜ」などにも用いられた。
伴走車 オヤ12-1 SLの回送で連結される。 塗装は12系色のまま。
高崎駅東口?ベストリアンデッキからの眺め。前橋とともに北関東の雄都である。
この時間まだ雲行きは怪しくなかったが南側から雨雲が近づいてきていたようだ。
このあと土産店で仏前に供える菓子を購入(その前にベストリアンデッキ前のセブンで飲み物を)みどりの窓口で東三条まで普通乗車券のみ購入。3350円なり。通しで買うと4000円だが横川~高崎で500円、今の3350円で計3850円ということでペットボトル1本分浮いたことになる。
高崎16時33分発水上行きに乗車。211系3000番代ロングシート。結構混雑していた。
天気は雨が強くなってきたうえたち客が多数のためペットボトルの飲料を飲んで、横川で買った鉄道ピクトリアル「アーカイブセレクション 国鉄幹線の記録上越線信越線」を読む。列車はできてまだ歴史の浅い高崎問屋町に停車、井野を過ぎて新前橋。お座敷電車宴が停車していた。他は211系のみ。両毛線を右手に分かち山手に進む。遠くに赤城山が裾を広げ丘陵と平地の境目を進んで渋川。吾妻線の乗換駅。幾分車内が空いてきて、利根川を渡って敷島、津久田、岩本、沼田と進む。利根川の流れと鉄橋が多数あって見どころを形成しているさらに険しい岩肌と深い谷筋がここが上越線南部のハイライトであるがあいにくの雷雨で暗くて電車の窓もきれいとは言えないため撮影できず。水上は17時38分到着、ここで長岡行き17時49分発に乗り継ぐ。乗り継ぐ人はかなりあった。
高崎行きの211系と長岡行きのE129系4連。
水上も随分寂しくなった感じがある。行楽客も多くないし駅前の店は閉店している店もあった。
ここ数年で急激に衰退した。
蒸気機関車のをイメージした駅名標 いまや蒸気機関車は重要な観光資源。
水上を出て左手に水上機関区の跡地。わずかにD51745と転車台も。
東京から列車でやってくるといよいよ山深いところにぶち当たり旅の憂いを感じさせる場所にやってきたことになる。雨の日は特に梅雨く感じるかもしれない。
利根川を渡って深い山間へ。新清水トンネルに入って湯檜曽。
湯檜曽の次は「モグラ駅」の土合。何名かの人が降りて行った。下り線は改札口まで462段の階段ででなかればならないことで有名。
新清水トンネルを出ると新潟県に入り土樽。湿気と地上とトンネルとの温度差で窓が曇って外が見えにくくなった。越後中里でがらんとしたスキー場と休憩用の客車を眺め、防雪林や大カーブを通って越後湯沢。新前橋から延々と上越線の撮影聖地を巡ってきたが 越後湯沢で大休止。
18時22分着で18時47分発。新幹線の乗り継ぎの便宜だろうか?
越後湯沢駅前 水上よりこっちが活気がある。ここからタクシーでホテルに向かう人も多いのか?ただ在来線ホームががらんとして活気は全くなかった。
特急「はくたか」もすっかり過去の話。
在来線は改札口の仕切りもなかったのでうっかり切符を見せないで通過してしまい女性駅員に切符を見せろと言われる始末。(新幹線の乗り換え口は自動改札がある)
越後湯沢ではセブンでおにぎりと飲み物と小さな弁当を1個。E129系の中で食べるためである。越後湯沢ではほくほく線電車も停車していたが客扱がされていなかった。
電車に戻ると乗客も増えてラストコースに。
魚野川沿いに走り石打に。全く活気無。スキーは車で来る人がほとんどだろうか?
駅の構造も簡素化が進んで上下本線と電車留置線1本のみ。
塩沢はレトロ街が付近にあるが駅からは見えない。「北越雪譜」の作者鈴木牧之の出身地。
六日町が一応の中心駅でかなり降りていった。ほくほく線列車も待機あり。
すっかり日の暮れた上越線を走り長岡に着いたのは定刻20時2分。長岡到着前にEF510-507の貨物4090レが停車していた。
長岡で新潟行き463M E129系6連に乗り換え東三条着20時36分 久しぶりの在来線の長時間乗車が終わった。