2019年3月31日日曜日

弥彦線115系乗車


2019年3月31日 東三条駅 115系N37編成 寺泊行き224M
信越本線内野行きのE129系 休日は乗車はまばら
北三条駅付近 風雨で眺望はよくない
西燕に到着。吉田まで行きたいが227Mで折り返せないので。

西燕駅舎 駅前は住宅街

西燕まで乗車して115系N38編成とN34編成ペアの227Mで戻る
115系N38編成  休日の6連は空席だらけ

それでも高校生の乗車があったり燕三条で新幹線への乗り継ぎがあったりしていた。
弥彦線の東三条~吉田間は住宅地を走るため風光明媚な場所は無いがそこそこの人口のある地域をつないでいるためかそれなりの乗車はある。



2019年3月29日金曜日

薄闇にたたずむ

2019年3月23日 新津駅で入れ替えのため停車中のEF641051牽引の12系客車
遠目で見るとかつて走っていた寝台特急「出羽」を思い出してしまう。
深夜新津駅で機関車をEF81からEF64に交換して一路上野に向かう列車だった。
1993年12月のダイヤ改正で利用者が減少し廃止されている。

2019年3月28日木曜日

キハ47 1514急行風とEF641051

2019年3月23日 新津駅で急行色風のキハ471514とEF641051が並ぶ。

2019年3月24日日曜日

春の淡雪

2019年3月24日 EF510-514 4061レ?の時間帯 朝起きたら雪が積もっていたので。
彼岸明けの大雪である。
貨物の後の内野行き普通列車 豪快に雪を蹴立ててしぶきが上がる。
この直後の4075レも4076レも来ないので弥彦線へ。
弥彦線227M  本日E129系の代走6連 115系が置き換わったわけではない。
いずれ全普通列車がE129系になることも考えられるが利用減少の進む弥彦線においては6連の定期運用が発生するかどうかはわからない。

弥彦線は非電化時代はキハ35系8両の長編成が朝1往復あった。
これは電化開業まで変わらなかった。電化時に6両に減車され今日に至っている。
また戦後の木造客車が現役だったころにはC12型蒸気機関車が7~8両連ねて走っていたようである。もちろん通勤時間帯の話である。  



2019年3月22日金曜日

115系N37編成+N36編成

2019年3月21日 弥彦線227M  115系N37編成+N36編成

2019年3月21日木曜日

弥彦線 北三条朝市

2019年3月17日 弥彦線北三条駅前 市がたっていたので見学を。弥彦線高架部分は新幹線並みに防音壁があって車両の姿を見ることは難しい。

市は野菜、果物、鮮魚、花、乾物、菓子、衣料など各種。
業者のほか一般の農家の方々も商品を持ち込んで販売されていた。
 弥彦線高架下  右手の駐車場部分はかつての線路跡
高架下は遊歩道となっていて東三条駅まで徒歩で行くこともできる。
駅前の「ステージえんがわ」から燕方向  鍛冶道場の建物を入れて
かつては浄土真宗本願寺派の三条別院があったが現在は鍛冶道場となっている。
左手空き地は三条小学校の跡地 今後図書館が建設されることになっている。

北三条駅前は閑静な住宅地となっている。

2019年3月19日火曜日

EF510-7 3097レ

2019年3月17日 EF510-7 3097レ 改正前と時刻は変わらない。
3098レ EF510-18  7の倍数ではなかった
どうしたわけか貨物が集結する時間帯番号が続きだったり倍数だったりすることも多い。
わざとやっているわけではないのだろうけど不思議だ。青いEF510 も来るときまとまってやってくるし・・・

撮影地近くの道の駅で…農業高校の生徒の力作。苔玉のようだ。
撮影地近くの梅花

2019年3月17日日曜日

ダイヤ改正後も115系は元気です!

2019年3月17日 時刻表を買いに出たついでに。226Mは115系N40編成とN35編成だった。撮影できなかったが寺泊行きは115系N37編成だったようだ。
いつまでも115系が見られるわけではないので大切にしたい時間である。
115系N35編成 後ろのトラスは信濃川橋梁。

上越新幹線は一部にE7系が運転開始。燕三条通過の列車が2本増えて4本になってしまった。速度の引き上げのための処置か?

保内通過の3481Mは115系N36編成弥彦線色。

貨物列車の方は時間帯は変化がなかったようだ。
本日EH200の6082レは運休だった。



2019年3月16日土曜日

ダイヤ改正の日

2017年4月  MAXとき309号 E4系の8両+8両 
本日よりダイヤが改正され上越新幹線にもE7系が投入。新潟~東京間では4往復が運用開始。その一方でMAXE4系の運用が減少した。E4系もあと少しで消えていくことになる。

2019年3月14日木曜日

EF510-509 4095レ

2019年3月10日  EF510-509  4095レ  見違えるくらい汚れのない美しい状態。

2019年3月13日水曜日

115系N36編成+N35編成

2019年3月10日 弥彦線227M 115系N36編成とN35編成 あでやかな黄色が目立つ弥彦線色。

2019年3月12日火曜日

まもなく冬眠から覚める

2019年3月10日 月潟にて 11月下旬から冬の間シートで車両を覆って越冬しているがそろそろシートが外されて通常の保存車の姿になるとおもわれる。
この日保存会の方々が多数保存場所に集結されておられたが越冬の解除のための打ち合わせだったのかもしれない。

2019年3月11日月曜日

信越本線快速115系N38編成+N33編成

2019年3月10日 3481M  快速は6連運転。後部にN33編成が。それでもN38編成の方は立ち客が出て混雑していた。
115系N33編成 信越本線で115系6連は1年ぶりくらいに見かけた。
E653系「しらゆき」4号が右手に E653系4連も東日本大震災が無ければ仙台~いわき間の特急として活躍するはずだった。

NHKは東日本大震災関連番組を行っていた。3月11日 14時46分 新潟県では震度4だったが長く続く横揺れはきわめて不気味なものだった。やがて宮城県栗原市で震度7という報道がなされとんでもないこととなったと思ったが被害は10メートルを超える津波が加わって地獄の様相だった。
関東北部から東北の沿岸はインフラが遮断されて、原発事故も加わり国難という事態になった。

上越線~羽越本線~奥羽本線の鉄道ルートには 迂回貨物列車と石油輸送列車が開始さらに磐越西線も石油輸送列車が走り出した。
荒れ果ててしまった東北地方への希望の光となったがこれは3月下旬のことでそこに至るまでも長かった。




2019年3月10日日曜日

EH200-10 6082レ

2019年3月1日   EH200-10牽引6082レ 北越紀州製紙の紙輸送列車。
かつて国鉄時代にはワキ5000で組成の混載貨物750~751レとして運転。 JR移行後1988年(昭和63年)ダイヤ改正で専用貨物5788~5789レとして2010年まで以降はコンテナの2084~2085レとなって2017年から季節貨物(上越線の土曜・休日運休のもの)となっている。1995年頃ワキからワムに変わり2010年まで運転されていた。
夜間の運転だったが2009年より夕方の運転となり上越線では下りが完全な日中便だった。

2019年3月8日金曜日

EF510-501

2019年3月3日 EF510-501 4075レ EF510-502 4076レ

かつて寝台特急北斗星牽引機だったEF510-500番代もいまではすっかり日本海縦貫線の主力メンバーで過去の栄光を捨てて地道に走っている。
これら機関車も車体の汚れが目立ちやすいがそれは縦貫線の激闘の証しでありけっして悪いものではないと考える。
長大編成の貨物列車の先頭に立つかつての特急電機に暗さはない・・・

さて3月23日に三陸鉄道線が全通する(今回はJR山田線が移管されたものである)
多くの人々が列車の復活を待ち望んでいた。
東日本大震災の地獄の苦しみを体験した方々にあっては希望のあかりといってもよい。

当地でも中越、中越沖の地震に見舞われ被害も大きかったが列車の復活は生活が復興していく希望となったという。

列車が定刻に走る光景は平穏、平和の象徴といってよい。
休日の朝は時間が許す限り静かに縦貫線貨物と向き合っている。


2019年3月6日水曜日

EF510-2 3098レ

2019年3月3日 EF510-2牽引3098レ  北海道と九州を結ぶ高速貨物。1988年秋に試験運転され1989年に毎日運転の不定期貨物列車として運転1990年から定期列車となって現在に至る。国内最長のコンテナ貨物列車。

現在北海道新幹線の高速化が検討され貨物列車の減便による運転速度の向上が考えられている。場合によっては貨物列車は船に積み替えるという案もあり予断を許さない状況である。

2019年3月5日火曜日

EH200- 21 6082レ

2019年3月3日  EH200-21牽引6082レ  北越紀州製紙の紙列車 週末は運休だが現在は復活運転を行っているようだ。EH200が当地に姿を見せるようになって10年が経過した。

2019年3月4日月曜日

EF510-510 4061レ

2019年3月3日 EF510-510 4061レ 銀色の車体が朝日に映える。

2019年3月3日日曜日

鯨波雑録

2019年3月2日 EF510-13 4095レ 青い海と赤い機関車 多種多様なコンテナが多数連なる。名古屋貨物~新潟貨物の列車。 

昨年山陰本線で迂回貨物列車の運転がされたがこことよく似た地形のポイントが紹介されていたので興味深く感じた。山陰本線も日本海に沿って走る路線だが山陰地方の物流だけとなり山陽本線から自動車代行でされているため貨物列車は現在ないが国鉄時代はDD51牽引のものが多数存在していた。
 一方こちら信越本線は山陽・近畿エリア~北陸~羽越~ 奥羽~北海道をつなぐ路線であり性質上貨物列車は途切れることはない。
ただ、旅客は沿線人口減少や北陸新幹線開業による利用者の転移、北陸新幹線並行在来線の第三セクター移行を原因としていまは長大編成の列車は無い。このあたりは山陰本線と同様かもしれない。
日中はE129系のワンマン列車が主流。
特急「しらゆき」1号 北陸新幹線のアクセス特急だが利用者は極めて少ないように見える。このE653系4連は本来常磐線いわき~仙台間特急につかわれる予定だったが東日本大震災で運転できないため信越本線特急として走ることになった。今後常磐線が開通したらどうなるか去就が注目される。

*中央のポールから左側 なんとケーブルが新設された。
鯨波駅 海水浴場の最寄り駅 夏場は有人駅となり急行の一部も停車したことがあった。
駅舎にはかわいいクジラの絵が・・・長岡寄り、柿崎寄りそれぞれ2か所にある。
また近くの(鯨波駅から歩いて3~4分)の国道8号線の地下歩道の入り口もクジラである。









2019年3月2日土曜日

115系N40編成  鯨波

2019年3月2日 3371M 長岡行き快速電車。  懐かしの70系新潟色が日本海に映える。