2019年5月10日金曜日

日中線記念館 展示品から

2019年5月4日 日中線記念館 硬券の棚 日中線時代はどうだったのか?
いずれにしても現代では硬券は見かけることが極めて難しい。
硬券に日付を入れるダッチングマシーン。後ろの写真はこの界隈で挙式された方々のもののようだ。
さようなら日中線のヘッドマーク
運転取扱心得などの簿冊  
急行「出羽」のサボ 上野~新庄、酒田の区間の運転で奥羽本線、陸羽西線経由の夜行列車。キハ58系気動車で運転。1982年11月15日上越線、羽越本線の寝台特急「出羽」として新にスタートする(同じ時間に走っていた急行「鳥海」を格上げたという説もある)
1993年12月利用者の減少により廃止。

国鉄日中線はわずか3往復しか走らずさらに朝1往復と夕方2往復の運転で日中走らない日中線といわれていた。会津加納までの貨物があるためか廃止まで客車列車だった。
日中線も日光~会津若松~喜多方~米沢の「野岩羽線構想」があったが実現せずその役割は国道121号の高規格道に引き継がれた。野岩鉄道~会津鉄道と列車で走り、会津若松でレンタカーで国道を走り米沢に向かうほかないようだ。