2019年8月26日月曜日

文豪たちの鉄道旅2

有島武郎の旅~大正の磐越西線
2016年5月5日 磐越西線 後藤新平の「宝蔵興焉ほうぞうこうえん」の碑
1914年(大正3年)11月磐越西線郡山~新津間全通!(当初岩越線)
全通により新潟~上野間に直通列車が2往復。(昼行1 夜行1)
信越本線経由より急こう配区間が少ないため時間短縮となり磐越西線が上越線開通までの間新潟~東京の輸送を担うこととなった。

有島武郎は「或る女」「カインの末裔」などの名作がある。

1922年(大正11年)7月 「出張日記」の旅
7月1日上野21時40分 東北本線、磐越西線経由で7月2日10時に新潟に。
2等寝台車利用。

その日は新潟市内のイタリア軒で歓迎会。古町の「大鶴座」で講演会、宿泊は西堀4番町菊屋で1泊(イタリア軒は大正時代はイタリヤ軒という名称)
7月3日新潟19時5分の磐越西線列車で帰京

今はイタリア軒はホテルもあり盛業中である。