2019年10月14日月曜日

弥彦線燕三条 1978年

1978年11月 弥彦線燕三条 撮影機器はOLYMPUS35SPという家庭用レンズシャッターレンジファインダーカメラ。オート露出のほかマニュアル撮影もできシャッターは1/500でレンズはF1.8(16まで絞れる)逆光には弱い。そんな性能。この写真もオートにしたつもりが間違えてマニュアルになっていたのか露出不足だった。


弥彦線の燕三条駅付近のキハ45、35、17、17?の4連で午前2往復ある越後線の編成の間合い運用だった。線路は現在と違って左手だが燕三条駅開業時には右手になっている。

後ろの真新しい高架橋は長岡まで開通した北陸自動車道。いまや新潟県県央の商業地で多数のお店が並ぶこの界隈は建物は全くなかった。このあたりが賑わうのは平成の時代になってからだった。
DE101675〔東新潟〕牽引貨物列車 弥彦線には1日3往復貨物列車が燕~東三条間に設定されていた。貨物は鋼材やハウスウェア製品、農産品など。
燕の貨物扱い所は燕駅から吉田方向に500メートルくらい進んだ場所に設置されていて貨車が多数ひしめいていた。

DE10の後ろは空だけだが今は電化されてさらに新幹線の燕三条駅ができているのでこのような写真にはならない。

国道289号線 奥の白い橋は北陸自動車道でインターは右手の工事関係の建物に隠れてしまっている。
上越新幹線燕三条駅の建屋の工事。送電線は大きなものに替えられた。左手に弥彦線が走る。
燕三条駅の工事現場。手前に枕木が多数。
鉄道建設公団の看板があった。現在この付近はショッピングセンターがひしめいている。
41年前の燕三条駅付近は水田の中にあって発展には時間がかかった。