1984年3月21日 春分の日 この年の4月8日の電化開業で退役するキハ35など7連の普通列車と吉田行き普通列車の交換がこの駅で行われていた。架線柱が本線のみで交換列車が入ってきている副本線に無いので電化後は交換が無くなることを意味していた。
写真のキハ35など7連の普通列車の北三条駅進入は223D越後長沢行き3連と東三条どまり4連で交換している列車は224D越後長沢発弥彦行き4連であった。
(北三条交換は223D折り返しの226Dと新潟発吉田経由東三条行き225Dの交換があった。225Dは越後線の間合い仕業でキハ47系の運転)
現在北三条駅は高架になっていてこの写真の面影はない。線路が存在するあたりに高架がたって様相は一変している。
223Dが北三条駅6時57分発、224Dは北三条駅を6時56分に発車する。
朝の通勤通学時間帯は本数が多く設定されていた。当時上越新幹線もすでに大宮まで開業しているので乗りつぎにも利便性があったと考えられるが実際は燕三条での駐車場使用が多かったようで在来線乗りつぎはあまり増えなかったようだ。
4月8日の電化によるダイヤ改正で朝の列車は大幅削減され北三条交換は廃止された。
増発は本数の少なかった昼前後に振り分けられていたがJR移行後は臨時列車に格下げになっている。(彌彦神社の祭礼や花見、紅葉時期の週末または初詣の頃に運転)
雪の塊の向こうの建物は浄土真宗本願寺派の西別院で現在は与板の別院と統合され廃止今は三条鍛冶道場となっている。この西別院は洋風の一風変わった寺院であった。弥彦線の踏切りは「西本願寺」で遠く京都を連想させた。(京都の西本願寺には踏切りはありません)