1978年6月 信越本線(上越線)宮内駅でのスナップ。70系電車モハ70102の様子。
宮内駅の駅名標が古いものであること。駅舎も橋上化前。車内の女子高生の制服が夏服であることなど・・・・
モハ70102は1962年(昭和37年)4月28日長岡第二機関区(現JR東日本長岡車両センター)に明石電車区より転入し1978年8月23日の最終運用まで走り続けた。
1978年8月23日の「さよなら運転」の編成は クハ76049・モハ70016・モハ70011・モハ70102・モハ70022・クハ76064の編成でこの編成は関山~妙高高原の区間で土石流があって(1978年5月18日発生)不通区間発生。そのため車両に不足が発生して急遽廃車予定の編成が信越本線の直江津~関山の区間で運用されることになった。サハ87やサハ85はすでに廃車前提の休車であり編成からはずされたためモハ4両の強力編成で信越本線山岳区間を走るに至った。
モハ70102は1963年(昭和38年)の豪雪、翌1964年の新潟地震など災害と闘い続けながら走りとおした生涯であった。