2020年1月26日日曜日

時刻表昭和39年9月号(1964年)

2020年1月26日 書店にて時刻表復刻版1964年9月号を購入。
前の東京オリンピックの1か月前のもので東海道新幹線開業直前のものである。
東海道本線には特別急行「こだま」「つばめ」「はと」「富士」「おおとり」「ひびき」が最後の活躍をしていた。
さて日本海縦貫線や上越線は・・・
気になるものを見つけた。それは急行「日本海」の新潟経由の記載のある1964年9月号と新津から羽越本線へ直通する1964年10月号のことである。(終点青森は17時29分)
1964年9月版は新津7時44分着48分発新潟は8時9分着で8時20分発白新線経由で青森へ向かう。(新発田着は8時48分)
1964年10月号 東海道新幹線開業後。 日本海は現在羽越本線経由になっています。という記述に注意。
新津は7時41分到着で8時1分発。新津で車両の一部を切り離す。(上り大阪行きは連結をする。新津には客車基地があった)日本海は12両編成で寝台車が3両連結され青森行きでは12号車の2等寝台車と10号車の1等寝台車が切り離された。(新潟経由の場合は編成向きが逆となり機関車が1号車に連結される)新津から羽越本線直通の場合は新発田が8時34分着である。

さて急行日本海は1961年10月改正で新潟経由となっているがどうして羽越本線経由に戻ったのか?
1964年6月6日に新潟地震があり新潟駅周辺は大きな被害を受けた。それが理由だろうか?
各種資料を引っ張り出してもこの件について記載したものがなかった。
そこで図書館で「国有鉄道新潟支社三十年史」を閲覧することにした。

加茂市の図書館にあることを知っていたので係の方に郷土資料室を開錠してもらい閲覧する手続きをして第1編総説を開いて昭和39年の箇所を見ると1964年6月16日(昭和39年)
新潟地震発生M7.7 震度5 死者26名 液状化で信越本線、越後線は甚大な被害。
白山駅の築堤崩壊、新潟駅の東側の跨線橋が入れ替え中の気動車を押しつぶし、万代貨物駅は液状化で使い物にならなくなり復旧できなかった。(新貨物駅設置)
鉄道以外では昭和石油のコンビナート火災、信濃川にかかる昭和大橋の崩落、鉄筋コンクリート造りのアパートの倒壊など・・・・

復旧は6月19日に笹口の仮駅に70系普通電車が、6月24日には仮復旧した新潟駅に列車が乗り入れた。新潟の鉄道100年P115には夜行急行列車「越後」165系が到着するところが載っている。復旧当初は地下道が被災しているので遮断機のある地平を利用するほかなかった。越後線復旧は7月12日。羽越本線全通は7月29日であった。
さらに追い打ちをかけるように豪雨災害も起きてダイヤは混乱を続けた。
こちらも大災害で死者13名、浸水家屋6000戸。

1964年10月ダイヤ改正は東海道新幹線開業と東京オリンピックの華やかな話題に注目が集まったが地震や水害などの復旧は苦戦を極めていたようだった。

当地では急行「赤倉」に1等車1両増結、磐越西線急行「いいで」に1等車新設、急行「天の川」の座席を廃止して寝台車増結し完全な寝台専用列車となった。

1964年の年始から3月は雪が少なかったようだが年末は雪が多かったとされる。
新潟地震の復旧が完全に終わったのは12月26日で復旧の式典が行われている。
この時点で「日本海」のダイヤも所定に戻ったと思われる。
新潟地震復旧のため時刻訂正 

1964年10月号の付録と思われる
1964年9月号もこれらの付録が添付されていたのかもしれない。