2021年8月28日土曜日

静寂と轟音~信越本線北長岡記念碑


 2021年8月26日 信越本線北長岡駅 通勤時間帯が終わって静かな時間が来た。駅前は工業地帯と住宅地が混在する地域。工業地帯(北越紀州製紙やツガミなど大きな工場が多数ある)へはマイカー通勤が一般的なのか?北長岡駅は無人駅であり一日の乗車も500人に満たないという。しかし国鉄時代は貨物輸送もあり盛況だった、北長岡駅からは専用線が北越紀州製紙の工場まで伸びていて200m程度西に行ったところを走る国道8号線(いまは国道352号線)に踏切もあってそこも工場が複数存在し工業都市長岡を象徴していた。


 城岡停車場記念碑 1898年(明治31年)6月に開通した当時の北越鉄道は長岡駅の次は押切に駅を設置北長岡・・・当時の城岡地域には駅を設置しなかった。工業地帯や住宅がひしめく現在と異なりこの時代は水田が広がっていたという。その後北越鉄道が国有化されたころからこの地区にも工場や住宅が増え始め駅の設置が求められるようになった。それまでは長岡駅まで3キロをを歩いて鉄道利用するしかなかったという。1915年(大正4年)11月1日城岡停車場として開業した地元の方々の請願により設置された駅で大きな石碑が駅前に建てられて今に至っている。北長岡の駅名に変わったのは1951年(昭和26年)7月20日。戦前の昭和12年から駅名変更の請願が行われたが理由は工場進出が進んだこの地域が長岡市外と誤解されることを恐れてのことだった。長岡という「ブランド」が重要な意味を持っていた時代。更なる発展の願いがあった。工業地帯の駅ということで紙、パルプ、石油、鉄鋼の輸送は専用線経由で行われていた。しかし国鉄末期の貨物列車合理化で1984年(昭和59年)2月1日貨物輸送は廃止され翌年分岐器の無い棒線駅となり 1995年(平成7年)4月1日無人駅となった。南長岡駅への移管や鉄道からトラック輸送に移ったためだ。

北長岡駅は同じ信越本線の今も有人駅の三条駅付近よりも住宅が密集しているように感じる。ただ三条駅付近は高等学校が2校あるが北長岡駅付近には高等学校が見当たらない。(中越高等学校の最寄り駅らしいが)このあたりが有人駅と無人駅の分水嶺となったのであろうか?工業地帯の駅のため通勤通学時間帯以外は人の流れもなく静寂に包まれ、時折それを破るように駅舎に隣接する上越新幹線の通過する音が雷鳴のように聞こえるだけだ。


 


 

参考資料 越後の停車場 朝日新聞新潟支局 1981年(昭和56年)朝日出版社 

     五十年史   日本国有鉄道新潟鉄道管理局 1987年(昭和62年)