E129系4連 237M 東三条行き
弥彦線は産業路線であり1984年2月ダイヤ改正で廃止されるまで貨物列車が3往復あり、同年4月8日に電化開業するまでの間は通勤型気動車キハ35が走っていた。1962年頃燕付近の金属産業の活況がピークを迎えて通勤需要が増えて一般型車両では対応できなくなって通勤型気動車の導入となった。
1966年に燕市の郊外に大規模な工業団地が造成され市街地から近郊に通勤の波が移って現在に至っている。利用者も減少し通学や通院需要が残ったが日中は満席の列車もあるようで一部は新幹線への乗り継ぎであろう。
中ノ口川を渡る列車、富山港線の岩瀬浜付近と類似した雰囲気があり日曜の午後撮影に出てみた。橋梁は足回りが見えないのでここで撮影する人は115系時代なかったと考えられる。
背後のステンレス工場と中ノ口川・・・ E127系がいたころにこのアングルで押さえたかったが手違いで叶わなかった。