雨も上がって澄み切った空が広がる。朝の上り貨物列車は定刻に通過していった。天候不良が多いこの時期には珍しい好天。
このあと残っていた家事を済ませた。伐採した木の枝と葉を分離してゴミに出し、遠隔地の親族や友人にお歳暮を発送・・・・
雨も上がって澄み切った空が広がる。朝の上り貨物列車は定刻に通過していった。天候不良が多いこの時期には珍しい好天。
このあと残っていた家事を済ませた。伐採した木の枝と葉を分離してゴミに出し、遠隔地の親族や友人にお歳暮を発送・・・・
雨が上がって背後の丘陵地が紅葉していることが確認できた。だいぶ色がくすんでいるがまだ枯れていない。肉眼では鮮やかに見えた。民家の庭先のカエデやドウダンツツジも鮮やかだった。
もうすぐ散っていくであろうこれらの名残りの紅葉を背に列車は走り去っていった。
保線車両のいる場所に鎮座。厳冬を前にひなたぼっこ。柏崎からここに回送されてきたのか?
吉田と柏崎の間に雪の積もる区間があってそこの除雪に使われるのか?
1980年代ここにラッセル機関車DE15がいたのを見たことを思い出した。
先頭車のパンタグラフが二つ上昇。霜が降りる頃になった。気圧配置は冬型で空には雪を降らす雲がひしめいていた。
所用のため下田郷へ。紅葉は終わりかかっていたが一部にまだ鮮やかさを保っていたものもあった。また県境の山は雪に覆われ白くなっていた。もうすぐ雪が静かに里へやってくる。
背後の丘陵地に日光が当たって紅葉が判別できた。紅葉から冬枯れに移行する時期。
この時期としては強い寒気が近づいていて平地も積雪するという。先週タイヤ交換は行ったが。長い冬が間もなく始まる。
雨が上がったひとときいつもように走る列車。
雲が切れた背後の丘陵地。色づいた樹々。冬枯れでありまもなく冬が来る。
2023年11月19日 55M しらゆき5号
背後の丘陵地がようやく紅葉。鮮やかなのはわずか数日で枯れ葉になる。
天候は不安定で時折激しい雨が降る中特急「しらゆき」が走り去っていった。
丘陵地は雨に煙ってかすんでしまった。冬の始まりの景色。
雨のやみ目をついてEF510-510の3093レが通過。天然名水コンテナが積まれていた。
立冬を過ぎ冬の走りの天候となった。激しい雨が降ったりやんだり・・・これらはやがて白い世界の入り口となる。
秋を彩った草花も色あせてもうすぐ冬が来ることを知る。低気圧が日本海を進行し東側で発達し西には高気圧が張り出す冬型の日が多くなる。風雨が続き、それが雪に変わる。明るい時間も短く陰鬱な時期である。
すすきとからめて・・・朝晩の冷え込みが厳しくなり枯れすすきになりつつある。背後の丘陵地の紅葉も進んでいるが枯れ葉になっている物が多い。雨の少ない猛暑と長引く暑さで紅葉も「不作」。山の木の実もとれないため熊が跋扈して社会問題となっている。
短い時間列車たちを眺めて帰宅して家事に戻る。冬囲いと雑木の整理・・・・そろそろタイヤ交換も考えなければならない。
全てのホームにE129系が停車。各方面への列車が一望できた。朝7時前空いている踏切りから見聞。休日だから人の気配はなかったがウイークディは混雑をするのであろう。
国鉄時代は左手に車両基地があったがいまはなく、空いているホームと中線を使って車両の留置を行っている。
115系があったころもこんな光景が見られたがそれも遠い記憶になりつつある。
この区間最後の定期特急「しらゆき」 乗客数は少なく存在意義が疑われる。
当初5往復が現在4往復度の列車も空席が目立つ。現在自由席の廃止が進んでいるがこの列車から自由席をなくすと乗車する客はさらに減少するであろう。
当初は北陸新幹線のアクセス列車として始まったが高速道路を走った方が早いということでマイカー移動に乗客を奪われ苦戦を続けている。
日本海縦貫線の高速貨は太平洋側の列車と比べると地味ではあるがときに変わり者が流れ込んでくることもある。
EF510-500番台トップナンバー。かつてはJR東日本に所属し東北本線で寝台特急「北斗星」を牽引していた。今も塗装はそのころのままで栄光の時代を伝えている。機関車のすぐ後ろには記念コンテナもあった。
晩秋の象徴のセイタカアワダチソウが広がる信越本線。
すっかりスタンダードになった信越本線普通列車の主役。メインの貨物列車の間に眺めるだけのことが多いがトップナンバーが来ると嬉しくなる。後ろは2連A編成121番の編成。 一回だけB1編成とA1編成がつながっているのを見た記憶があるがE129系は運用が複雑でめったに遭遇できない。
11月にしては気温が高い日が続く。20℃を越え午後には25℃となった。しかし秋が終わりに近いことを告げていた。桜やけやきの紅葉は見ごろ。これが終ると冬の始まりとなる。
晴れる日は少なくなり冷たい雨の日ばかりになる。
晩秋の水田は黄色に変わった。まもなく冬が来ることを示しているが季節外れの暑さとなった。
雨の予報だったが天候は晴れになり青空を背に赤い機関車が貨物列車を牽引し行きかっていた。
貨物列車の合間に家事をこなす。伸びすぎた木の枝を落として冬支度・・・
1981年にこの塗装で登場した185系はそれまでの特急塗装とは異なり斬新さを感じた。しかし座席がリクライニングしないことや通勤時間帯は普通列車として運用されるなど国鉄末期の荒れた時代を象徴する存在であった。登場後40年以上が経過静かにその姿も消えようとしているようだ。
4059レは高速貨Aであり最高速度100キロで走行する。ただしこの日は30分遅れての通過であった。