コンクリートポールをやめてH型鋼柱の架線柱、懸垂碍子をやめて長管碍子を架線柱に直接取り付け、トロリー線のみの直接吊架方式の架線。国鉄らしからぬ異様な電化方式だった。
この電化で恩恵があったのは新潟~内野間の越後線新潟市内のみ。直接吊架方式の架線がある区間では列車本数は増えず、減便されたりした。
主力は115系初期型が中心で中間車に運転台を取り付けたものが多数集結して国鉄末期を走っていた。
それから40年、新潟市内は新駅が誕生するがそれ以外の区間は短編成のワンマン列車がはしり合理化も進んでしまった。