2016年12月28日 2084レ EH200-14牽引 隅田川に向かう紙輸送列車。
夜の帳が下り始めた・・・・枯れすすきを見ながら走る。
2016年12月28日水曜日
2016年12月18日日曜日
昭和天皇御召列車全記録
2016年12月11日 「昭和天皇御召列車全記録」という書籍。行きつけの書店の鉄道コーナーを通るたびに探したが見つからなかった。欠品続きかと思い政治コーナーを見ると・・・・しかし新潮社という大手出版社が長期にわたり欠品はありえないだろうし・・・鉄道愛好家が多数購入?でないのか?と思っていたがなんと「昭和天皇実録」の隣に2冊あった。
御召列車は天皇陛下(皇后様、皇太后様をふくむ)が御行啓のときに鉄道利用される際に運転される専用列車である。
この書籍は昭和天皇の皇孫時代から晩年までの記録を記したものである。
明治の皇孫時代、大正の皇太子・摂政時代、昭和戦前、戦後巡幸、象徴天皇時代で構成されている。
「昭和天皇実録」から 鉄道乗車記録を抜き出して年表形式で編集され牽引機関車や編成、日程、同行者、宿泊所が記載されている。
1984年9月27日運転の福島県の磐梯熱海から原宿まで運転のEF5861〔東京〕牽引の新1号編成による昭和天皇・皇后両陛下の御召列車である。
当時の行程は 9月25日原宿~福島、26日福島~翁島、27日は磐梯熱海~原宿で原宿と黒磯の区間が写真のEF5861で東北本線黒磯~福島間がED75121、郡山~翁島(列車は回送で会津若松まで)ED7712という構成。
この列車は「フルムーン御召列車」と呼ばれ昭和天皇・皇后両陛下が1924年(大正13年)の皇太子時代に皇太子妃とともに行啓された地を再び訪問されたことにちなんでいる。
この書籍は昭和天皇の87年のご生涯の24万キロの鉄道利用そしてその目的も記載されているので20世紀の鉄道そして社会史を知ることにつながるようである。
御召列車は天皇陛下(皇后様、皇太后様をふくむ)が御行啓のときに鉄道利用される際に運転される専用列車である。
この書籍は昭和天皇の皇孫時代から晩年までの記録を記したものである。
明治の皇孫時代、大正の皇太子・摂政時代、昭和戦前、戦後巡幸、象徴天皇時代で構成されている。
「昭和天皇実録」から 鉄道乗車記録を抜き出して年表形式で編集され牽引機関車や編成、日程、同行者、宿泊所が記載されている。
1984年9月27日運転の福島県の磐梯熱海から原宿まで運転のEF5861〔東京〕牽引の新1号編成による昭和天皇・皇后両陛下の御召列車である。
当時の行程は 9月25日原宿~福島、26日福島~翁島、27日は磐梯熱海~原宿で原宿と黒磯の区間が写真のEF5861で東北本線黒磯~福島間がED75121、郡山~翁島(列車は回送で会津若松まで)ED7712という構成。
この列車は「フルムーン御召列車」と呼ばれ昭和天皇・皇后両陛下が1924年(大正13年)の皇太子時代に皇太子妃とともに行啓された地を再び訪問されたことにちなんでいる。
この書籍は昭和天皇の87年のご生涯の24万キロの鉄道利用そしてその目的も記載されているので20世紀の鉄道そして社会史を知ることにつながるようである。
2016年12月17日土曜日
冬枯れを走る
2016年12月12日 485系3000番代の糸魚川からの快速列車。2015年3月のダイヤ改正で特急「北越」の廃止を受けて糸魚川~新潟間に1往復設定。 2017年3月4日のダイヤ改正では廃止されることが決定した。485系の老朽化によるものであろう。 E129系2連の土曜休日運転の臨時快速電車が直江津~長岡間に運転されることとなった。(A編成2連)長岡で上越新幹線に接続して新潟方面連絡となる。
2016年12月11日日曜日
719系0番代
2016年5月3日 磐越西線広田にて 719系会津若松行き快速列車。 東北色とあかべぇ色(磐越西線色)との混成4連。磐越西線のローカル輸送は本形式が務める。
磐越西線の電化区間(喜多方~会津若松~郡山間)は東北本線をコンパクトにした感じの路線で車種も豊富で非電化区間より本数が多く幹線らしい印象があった。
国鉄時代は貨物、客車列車がED77、特急あいづ485系、急行ばんだいが455系、急行いいで、あがのがキハ58系これらが入り乱れて走り抜けていった。
JR移行後もそのまま引き継がれたが徐々に形式の単一化が進み、いまは719系だけが走る。
719系は2007年7月からそれまでの455系を置き換え主流となった。
719系そのものは1989年より東北本線(仙台周辺)で使用開始その後急行型455系などを置き換え その後奥羽本線用5000番代(1435㎜)タイプが1991年に登場している。
211系風の顔立ちで3扉近郊型であるが集団見合い型クロスシートとなっている。(一部のみボックスシートで他は固定式ロマンスシート)
近時新津でE721系1000番代が作られ719系も30年近い車齢がある関係で去就が注目される。
磐越西線の電化区間(喜多方~会津若松~郡山間)は東北本線をコンパクトにした感じの路線で車種も豊富で非電化区間より本数が多く幹線らしい印象があった。
国鉄時代は貨物、客車列車がED77、特急あいづ485系、急行ばんだいが455系、急行いいで、あがのがキハ58系これらが入り乱れて走り抜けていった。
JR移行後もそのまま引き継がれたが徐々に形式の単一化が進み、いまは719系だけが走る。
719系は2007年7月からそれまでの455系を置き換え主流となった。
719系そのものは1989年より東北本線(仙台周辺)で使用開始その後急行型455系などを置き換え その後奥羽本線用5000番代(1435㎜)タイプが1991年に登場している。
211系風の顔立ちで3扉近郊型であるが集団見合い型クロスシートとなっている。(一部のみボックスシートで他は固定式ロマンスシート)
近時新津でE721系1000番代が作られ719系も30年近い車齢がある関係で去就が注目される。
2016年12月4日日曜日
SLクリスマストレインなど
2016年12月4日 新津駅 DE101680が12系客車から切り離された。冬の晴れた朝太陽の位置がまだ低くまだらな日当たりになっている。
グリーン車スロフ12の座席 3列座席となっている。最後部は展望室。 行先票は新潟~会津若松となっている。
新潟駅へ送り込むためのEF81151〔長岡〕が連結された。
EF510-510〔富山〕牽引の4061レが新津駅に到着。ここで乗務員が交替する。
羽越本線への115系6連の新発田行き。湘南色N2編成。
キハ47とキハ48の編成が待機
主役C57180が庫を出て編成に連結する。
115系N33編成
新潟に向けて回送。
これで今年C57180のシーズンは終了である。
グリーン車スロフ12の座席 3列座席となっている。最後部は展望室。 行先票は新潟~会津若松となっている。
新潟駅へ送り込むためのEF81151〔長岡〕が連結された。
EF510-510〔富山〕牽引の4061レが新津駅に到着。ここで乗務員が交替する。
羽越本線への115系6連の新発田行き。湘南色N2編成。
キハ47とキハ48の編成が待機
主役C57180が庫を出て編成に連結する。
115系N33編成
新潟に向けて回送。
これで今年C57180のシーズンは終了である。
2016年12月3日土曜日
キハ40 560新ニツ
2016年11月26日 キハ40 560 1980年2月富士重工で製造 郡山、小牛田、八戸を経て新津に転入。現在新津では青新潟色キハ40500番代唯一の一両となった。(只見線用は2000番代また残りは赤新潟色と越乃Shu*Kura用である)
2016年11月30日現在 キハ40560、585~587、2020、2023 他552
キハ48の転入と引き換えにキハ40 502、526、534、582~584は郡山(会津若松)転出。
2016年11月30日現在 キハ40560、585~587、2020、2023 他552
キハ48の転入と引き換えにキハ40 502、526、534、582~584は郡山(会津若松)転出。
キハ48 554とキハ48 1545
2016年11月26日 新津 キハ48554
キハ48 554内部 |
キハ48 554は2015年7月2日 小牛田より転入 |
キハ48 1545 2015年7月2日小牛田より転入 |
新津駅5番線に停車しているキハ48554とキハ481545 |
これも米坂線が奥羽本線の新在直通(山形新幹線開業)に関連する工事で米沢で終着となった関連で山形から転入してきた関係で1992年に新津に配置となっている。
その後大きな変化はなかったが只見線が2011年7月の水害で寸断され小出~只見間が新津所属(長岡運用)となりキハ48551が2013年5月22日、キハ481547が2013年5月17日郡山(会津若松)より転入。冷房無の東北+盛岡の組み合わせで走っていたが、小牛田よりキハ48ワンマン仕様が多数転入し只見線用も冷房が取り付けられたものに変更され廃車となった。
小牛田からはキハ48503、538が2015年9月9日、545が9月8日、1513が9月9日、1533と1535は9月8日 554と1545は7月2日であった。 545と1533はデッキ付で只見線用それ以外はワンマン仕様デッキなし、1掛けボックス席有りで新潟近郊用(磐越西線など)
これに伴いいったん消えた青新潟色キハ48が多数復活することとなった。
古株のキハ48523は2002年春まで青新潟色で赤に変更され、2014年3月に急行色になっている。