2017年11月5日日曜日

蒲原鉄道クハ10~旧国鉄気動車キハ41120

1999年7月 蒲原鉄道村松駅  クハ10とモハ71の2連  貸切乗車会のための臨時列車。
この写真撮影後10月3日蒲原鉄道は鉄道線の歴史を終えている。

目的はなかなか乗ることのできない旧国鉄機械式気動車キハ 41120改造のクハ10の乗車だった。
後ろのモハ71は村松町内の保育園が貸し切っていた。

国鉄大館機関区で廃車となったキハ41120は1950年(昭和25年)7月に蒲原鉄道にやってきた。
当初は原型のまま(エンジンなどは撤去)はしっていた。
参考のため 原型のキハ41307を 2013年1月2日 大宮の鉄道博物館にて
(なおミッションは機械式から液体式に変わってますので原型ではありません 旧筑波鉄道461号)
モハ71と編成を組むクハ10(2両目)

キハ41120は1930年(昭和5年)川崎車輛で造られて大舘に配置1949年(昭和24年)廃車
1950年(昭和25年)7月蒲原鉄道に。1958年(昭和33年)暖房取り付け。
1961年1月西武鉄道所沢工場で不燃化、片側運転台に改造し貫通扉設置、残った運転台の正面窓が4枚から3枚になった。 乗務員の扉が設置され車内のロングシート部分が拡大された。
1967年6月に窓枠がアルミサッシとなっている。
この姿で蒲原鉄道唯一のクハそしてクロスシート車両として走り続けた。

通常このクハ10は朝の通勤時間帯のみ運転だったようでそれが終わるといつも村松で お休みになっていた。日中は増結しなければならない状況が発生した(団体輸送など)に限られていて、冬以外は加茂線では見かけなかった。
加茂線では冬のスキー列車の増結で一度見ている。3両編成の中間に挟まれて唯一のクロスシートだったので「??!」という感情に襲われた。それまではすべてロングシートだと思っていたので。

さて乗車することがかなったクハ10であるが村松と五泉のわずかな距離を走るのみであり風景は単調で乗り心地は特に悪いということもなかった。(線路が40キログラムレール主流?)
座席が小さくてせまっ苦しいだけが問題なのであるがこれも時代物の車輛ゆえ往時をしのぶアイテムでありむしろ好ましく感じた。
さて、クハ10の相方だったモハ71は旧武蔵野鉄道の デハ1322で(のちの西武鉄道モハ221→モハ215→クハ1211/1927年(昭和2年)日本車両で造られている。1965年7月西武所沢工場で単行仕様に改造されて蒲原鉄道にやってきた。幌をセットしてクハ10と走ることが多かった。

乗車会の時も園児さんたちが幌の向こうからやってきて保母さんに引き戻される光景に遭遇した。

この2両は路線廃止後村松町内の方が村松駅のホーム屋根や架線柱などとともに引き取ったが、2012年ご逝去され保存の難しさから2013年6月解体撤去された。