2018年6月24日日曜日

解体撤去が進む新潟駅ホーム

2018年6月23日 新潟駅地上ホームの白山方向 電車の留置線あと。
左手の高架部分は今後1番線になる場所
撮影は新潟駅西側の連絡通路から。(新潟駅南口に駐車してそこから歩く。料金は30分まで無料で以降30分ごとに170円)
同じ場所から進行方向右手 越後石山方向 4番線はもう撤去済み。現在は1~3番線の撤去中。
さようなら想い出の地上ホーム  利用者の廃止された地上ホームへの想いが綴られている。この掲示物は新潟駅の改札からすぐのところ1番線跡地に掲示。現在改札から旧地上ホーム跡を見ることはできない。
唯一残った地上ホーム8番~9番へ 右手の白いフェンスの向こうは解体撤去の進むホーム跡である。
左手は東跨線橋で新幹線と新しい高架ホームへの乗り換え通路となる。
8番線から見た2番線撤去の様子。
9番線停車は「しらゆき」4号 右手効果は2番線から発車の列車。地上ホームの線路はすべて撤去となっている。
8~9番線から高架の2~5番線への乗り換えは混雑時相当時間がかかりそうだ。
乗り換え口が東跨線橋のみ。それも狭い。とくにエスカレータのない2番線への乗り換えは苦痛のみかもしれない。ためしにここから高架区間へ行ってみると5分以上かかった。
混雑時は走ることもできないであろうから・・・・

早い完成が待たれる「新型」の新潟駅・・・


追記~新潟駅の記憶
最初に電車で降り立ったのは1970年代だと思う。幼少なので細かい記憶はないが遊園地に連れてもらうために新潟駅で降りたようだ。
バスに乗り換えて目的地に向かったようで大きな駅であることに驚いていた。
バスでは萬代橋のたもとの貨車や古町のビル群、県庁前の電車線路に都会に来たことを感じた。(これ以降新潟駅に関係ないので記述は略す)

新潟駅を本格的に利用するようになったのは高校時代からだろう。
修学旅行に行く途中、万代の大型店舗での買い物が主だった。
鉄道を負うようになってからは乗換駅としても利用、特急「とき」の最後をこの駅で見送った。また混雑が予想された夜行列車をこの駅から乗ったことがある。
かつて各ホームに売店や蕎麦屋がありよく利用した。
最後の地上ホームは2017年春・・・・越後線の電車を利用した。
ことし村上へ行ったが8番線と9番線の列車を利用している。

新潟駅が今の場所にできたのが1958年(昭和33年)4月でそれ以前は改札を出て300メートルくらい歩いた東映ホテルのあたりにあった。北越鉄道時代の名残を残して沼垂から南下していた。羽越本線の90年という書籍に旧新潟駅と現新潟駅の位置関係を示す写真が載っている。田圃を挟んで機関区や客車区も置かれていたようだが旧駅が廃止され一体化しているようだ。(のちの新潟運転所)
旧新潟駅は乗場が1~3番までだったようだ・・・
ここに信越本線、白新線、越後線が乗り入れた。
今の場所に駅ができ新潟市は大発展していったように思う。特に駅前から萬代橋にかけて。
1962年(昭和37年)長岡~新潟間電化特急「とき」運転開始、1972年(昭和47年)10月白新線電化、1984年(昭和59年)4月越後線電化 、1982年(昭和57年)11月上越新幹線開業・・・

今回の高架駅の開業も1958年の現行新潟駅開業に匹敵する革命的なことと言える。ただ在来線が少々こじんまりしたがそれは致し方ないのかもしれない・・・長距離列車も羽越本線方面のみ他は新潟県内で完結する単距離の運転が主体となっているので・・

今年の重要な事実として70系を置き換えのため1978年に当地に配置された115系が静かに引退して全くいなくなったということとまだ未完成ながら高架の新潟駅ができたことこの2点。(現在残っている115系N33~N38・N40編成は2013年以降に長野から転入したものである)