2023年5月30日火曜日

EH200-13 2071レ 榎峠

2022年5月25日 上越線2071レ EH200-13

隅田川発富山貨物行き 化学薬品コンテナが目立つ列車。

2023年5月29日月曜日

曇天柳都shukura

2022年5月  キハ40系柳都shukura
 曇天の中走り去る。キハ40系3連。

2023年5月28日日曜日

夜の新潟駅バスターミナル

2023年5月27日 新潟駅バスターミナル 21時

日中は多数のバスが発着する新潟交通の新潟駅バスターミナルもこの時間帯は閑散としていた。骨組みに歴史を感じさせる新潟駅バスターミナルも新潟駅の工事が進むとそちらに移転しこの場所は解体されることになっている。

2023年5月27日土曜日

新潟県三条市付近のインフラと交通関連の年表

 三条市インフラと交通関連の年表
1872年明治5年 9月三条郵便局開局
1873年明治6年 長谷川源助等により五十嵐川に三条橋(嵐川橋)架橋
1874年明治7年 ガス灯がともる
1875年明治8年 三条町の人口14884人
1875年明治8年 8月1日 信濃川に定期蒸気船就航
1877年明治10年 10月10日 松尾与十郎等尽力で五十嵐川南側築堤完成
1878年明治11年 7月   英国女性探検家イザベラバードが新潟県来県
             (津川~新潟~荒川経由で山形方面へ)
1878年明治11年  9月21日~22日明治天皇が北陸巡幸の途次三条町東別院に宿泊
1881年明治14年         松栄橋(常盤橋)完成
1883年明治16年 6月16日 嵐川橋開通式 前年の水害で流出(三条~長岡間街道)
1885年明治18年 10月4日 瑞雲橋架橋三条から信濃川を渡って燕・弥彦方面の道
1892年明治25年 2月     電信局が郵便局に移されて三条郵便電信局になる
1892年明治25年     下田郷と三条を結ぶ県道の五十嵐川に架橋(籠場大橋)
1894年明治27年 9月21日  三条鮮魚問屋五ノ町に開設(信濃川沿い)
1894年明治27年 10月     三条町議会は嵐南に三条停車場の開設を請願
1894年明治27年 11月     一ノ木戸村議会嵐北に停車場開設決議
1897年明治30年 11月21日  北越鉄道沼垂~一ノ木戸間開業
1898年明治31年 6月16日  北越鉄道長岡~一ノ木戸開業 三条駅と帯織駅開業
1900年明治33年      下田郷と会津を結ぶ八十里越え通行人員18500人/年
1903年明治36年 6月      三条町と町外の電話開通
1907年明治40年 8月1日  鉄道国有法で北越鉄道は国有化信越線となる
1911年明治44年 11月19日 新潟水力電気会社により家庭用電灯が引かれる
1912年大正1年  11月15日 六ノ町に灯用の三条瓦斯株式会社工場設立
1913年大正2年  7月24日  三条駅と弥彦の参宮自動車が運行開始(1年で廃業)
1914年大正3年  11月1日 岩越線(磐越西線)新津~郡山間全通
1917年大正6年      信濃川の蒸気船長岡~三条間廃止
1916年大正5年 3月    栄郷(大面村)大面油田採掘1日ドラム缶300缶
1918年大正7年      下田郷に乗合自動車運転開始三条~荻堀間
1919年大正8年  5月1日  鉄道院仙台鉄道局開設(信越線など管轄)
1920年大正9年  1月   三条町の人口20424人
1920年大正9年      信濃川蒸気船廃業
1921年大正10年 4月17日 南北自動車設立 下田郷八木前~三条町大町間
1924年大正13年  8月22日 瑞雲橋豪雨災害で被災
1924年大正13年 10月  御蔵橋(三条から栄方面)
1924年大正13年  10月  田島橋(一ノ木戸から見附方面)
1925年大正14年 4月10日 越後鉄道弥彦支線一ノ木戸~弥彦間開業
1925年大正14年 4月10日 弥彦支線北三条駅開業
1925年大正14年 10月1日 三条町人口27860人
1926年大正15年 7月28日  五十嵐川洪水 三条駅被災8月2日復旧
1927年昭和2年  7月25日 越後鉄道一ノ木戸~越後長沢間開業
1927年昭和2年  7月25日 越後大崎、大浦、越後長沢駅開業
1927年昭和2年 10月1日  越後鉄道全線国有化 一ノ木戸駅は東三条駅に
1927年昭和2年 10月1日  越後鉄道国有化により弥彦線となる
1928年昭和3年 11月1日 南北自動車数社合併で中越自動車設立(のち越後交通)
1930年昭和3年     栄郷(大面村)大面油田最盛期(以後減少で1963年閉山)
            大面油田~帯織駅に石油輸送の引き込み線設置
1930年昭和5年 10月1日 三条町人口31256人
1931年昭和6年  9月1日 上越線高崎~宮内間全通(水上~石打間電化)
1931年昭和6年  9月1日 上野~新潟間急行運転 7時間10分
1934年昭和9年  1月1日  三条市政開始 三条市となる
1935年昭和10年 10月1日  三条市人口 34649人
1936年昭和11年 4月1日  弥彦線に気動車(ガソリンカー)運転
1936年昭和11年 9月11日 新潟鉄道局開設
1939年昭和14年 3月25日 三条郵便局一ノ町に移転
1940年昭和15年 10月1日  三条市人口36541人
1941年昭和16年 12月   鉄道電話設置
1942年昭和17年 11月14日  太平洋戦争激化のため旅行制限が始まる
1943年昭和18年 9月20日 信越本線に保内信号場設置
1944年昭和19年 5月21日 信越本線に東光寺信号場設置
1944年昭和19年  8月   三条駅女子職員モデル駅指定(1949年女子職員引上)
1944年昭和19年 10月16日 弥彦線東三条~越後長沢間一時撤去
1945年昭和20年  6月  強制疎開と疎開道路の建設
1946年昭和21年  3月15日 鉄道省三条自動車区設置
1946年昭和21年 10月1日  弥彦線東三条~越後長沢間復活
1946年昭和21年 10月1日 三条市人口45238人
1946年昭和21年 10月1日 昭和天皇御巡幸 三条中学校に市民奉迎所設置
1947年昭和22年 10月1日 上越線全線電化開業
1949年昭和24年  6月1日 公共事業体日本国有鉄道発足
1949年昭和24年  8月1日 保内信号場は保内駅となる
1950年昭和25年  8月1日 新潟鉄道局は新潟鉄道管理局となる
1951年昭和26年  8月1日 三条自動車営業所設置(1965年10月1日新潟営業所)
1952年昭和27年 10月1日 上野~新潟間急行「越路」6時間
1953年昭和28年 4月1日 東光寺信号場が東光寺駅に格上げ
1954年昭和29年 10月1日 秋田~上野間夜行急行「羽黒」運転
1955年昭和30年  3月31日 長沢、森町、鹿峠各村合併下田村発足
1955年昭和30年 10月1日 三条市の人口68570人
1956年昭和31年  9月30日 大面村と福島村合併栄村となる(1981年10月1日栄町)
1956年昭和31年 10月1日 上野~新潟間急行「佐渡」5時間45分
1958年昭和33年  6月   瑞雲橋永久橋となる(三条~燕~弥彦の県道)
1959年昭和34年  1月26日 信越本線東三条駅鉄筋コンクリートに改築
1959年昭和34年  4月8日  国鉄新潟支社発足のち新潟鉄道管理局
1959年昭和34年 12月23日 県道保内~大面線渡良瀬橋架橋
1959年昭和34年 12月23日 嵐川橋永久橋化(国道8号)
1959年昭和34年 12月23日 県道三条~下田線籠場大橋永久橋
1960年昭和35年  10月1日  三条市人口71594人
1960年昭和35年 12月14日 弥彦線東三条~越後長沢間 貨物営業廃止
1961年昭和36年 1月    昭和36年豪雪
1961年昭和36年  8月5日  集中豪雨 御蔵橋、新大橋 渡良瀬橋 流出
1961年昭和36年 10月1日 特急「白鳥」大阪~青森間新設東三条駅は通過
1962年昭和37年 6月10日 信越本線長岡~新潟間電化特急「とき」運転4時間40分
1962年昭和37年      弥彦線北三条駅改築(寺院建築から鉄筋建築に)
1963年昭和38年  1月   昭和38年豪雪
1964年昭和39年  6月   新潟地震
1964年昭和39年 10月8日  三条市から白根市への信濃川にかかる景雲橋架橋
1964年昭和39年 12月   国道8号線三条大橋(信濃川架橋)
1965年昭和40年 8月31日 信越本線三条駅~東三条駅複線化
1965年昭和40年 10月1日 三条・燕地区都市建設推進協議会結成
1965年昭和40年 10月1日 特急「とき」一部停車特急「白鳥」停車 
1965年昭和40年 10月1日 三条市人口は74080人
1966年昭和41年  7月24日 三条市に自動電話
1968年昭和43年 10月1日 昭和43年10月ダイヤ改正東三条駅特急「とき」停車増加
1969年昭和44年  3月  国鉄貨物営業センター三条支所営業開始
1969年昭和44年  10月 新潟~大阪間特急「北越」運転開始   
1970年昭和45年  4月1日 新潟~三条~只見~いわき間国道289号指定
1970年昭和45年 11月   八十里越の宿場だった下田村の𠮷ケ平集団離村
1970年昭和45年  4月1日 小出~栃尾~下田~村松~新発田間国道290号指定
1973年昭和48年  7月6日 三条市の人口8万人超える
1975年昭和50年  10月1日  三条市人口81806人
1977年昭和52年 12月20日 国道289号線信濃川の石上大橋開通
1978年昭和53年 9月21日 北陸自動車道新潟~長岡間が開通三条燕インター設置
1978年昭和53年 10月2日 特急「北越」2往復廃止同区間に特急「雷鳥」運転3往復
1980年昭和55年 10月1日 三条市人口85275人
1982年昭和57年  4月1日 県道三条~新津線を国道403号に格上げ
1982年昭和57年11月15日 上越新幹線新潟~大宮間開業燕三条駅開業
1982年昭和57年11月15日 特急「とき」廃止 特急「北越」増発
1984年昭和59年 2月1日 弥彦線の貨物列車廃止
1984年昭和59年 4月8日 弥彦線東三条~弥彦間電化開業
1985年昭和60年 3月14日 上越新幹線上野開業急行「佐渡」「天の川」廃止
1985年昭和60年 10月2日 関越自動車道全通(長岡ジャンクション~東京練馬間)
1985年昭和60年 4月1日 弥彦線東三条~越後長沢間廃止 跡地は国道289号線
1986年昭和61年     国道289号線八十里越区間の改築工事建設省が承認
1986年昭和61年 11月1日 国鉄最後のダイヤ改正 荷物輸送廃止
1987年昭和62年 4月1日 国鉄分割民営化 JR東日本になる
1988年昭和63年     三条市昭栄通りに商業施設パルム建設
1988年昭和63年 7月20日 北陸自動車道新潟~米原間全通
1989年平成1年      国道289号線八十里越え区間工事開始
1991年平成3年  4月  燕三条駅付近に大型スーパー進出し商業拠点化が進む
1991年平成3年  6月20日  上越新幹線東京駅乗り入れ開始
1993年平成5年  4月1日 国道403号線を三条市から栄町経由で松本まで延伸
1997年平成9年  3月23日 北越急行線開業により信越本線の特急の本数が激減
1997年平成9年  9月14日 弥彦線燕三条~東三条駅高架 北三条駅改築
1998年平成10年 3月   東三条駅の貨物輸送が自動車代行となる(2012年廃止)
1998年平成10年 4月   燕三条駅に自動改札導入
2001年平成13年 3月   大阪~青森間特急「白鳥」廃止 特急「雷鳥」も廃止
2004年平成16年 7月13日 新潟福島豪雨災害。五十嵐川氾濫
2004年平成16年 7月13日 豪雨災害で一新橋、常盤橋、御蔵橋、嵐川橋掛替必要
2004年平成16年 10月23日 中越地震で上越新幹線、北陸自動車道が一時不通
2005年平成17年 1月26日 東三条駅自動改札導入
2005年平成17年 5月1日  下田村、栄町と合併し「新三条市」人口107000人
2008年平成20年 3月   三条駅自動改札導入
2012年平成24年 3月   東三条駅貨物自動車代行廃止
2015年平成27年 3月   北陸新幹線開業で直江津から先「えちごトキめき鉄道」      
             移管(北陸本線ひすいラインになる)
2015年平成27年 3月   新潟~金沢間特急「北越」廃止
2017年平成29年 5月4日 JR東日本のクルージング列車「四季島」停車駅となる
2018年平成30年 1月11日 豪雪で上り長岡行き列車が東光寺駅で長時間運転不能
2021年令和3年  1月9日 新潟県豪雪で県内JR全線と一部高速道路の閉鎖  
2021年令和3年  4月   三条市の人口94000人に減少
参考文献など
三条市史(下巻)     三条市       1983年
三条市史 資料編7~8巻  三条市       1983年
写真で見る新潟県の百年  野島出版      1973年
長岡市史 (現代編)   長岡市       1996年
下田村史         下田村       1970年 
栄村史          栄村        1981年
大面村史         大面村       1966年
新潟県の廃線鉄道(瀬古龍雄監修)郷土出版社  2000年
日本国有鉄道百年史 日本国有鉄道       1973年
越後の停車場    朝日新聞社        1981年
越後交通社史    越後交通株式会社     1985年
図説新潟県の街道  郷土出版社        1993年
八十里越え~記録が語る歴史の道 北陸建設弘済会 1996年
新潟の石油天然ガス10話 島津光夫 野島出版  2009年
新潟県の100年交通産業編 新潟日報事業社    1985年

2023年5月24日水曜日

485系番台区分4

 Ⅵ ジョイフルトレイン
A,きらきらうえつ 700番代(702番の編成)
2001年から2019年まで羽越本線に運転されていた。クハ484、モハ484、モハ485、クハ485で構成。クハ484はクハ481‐753、モハ484、485は モハ484、485の1078のユニット、クハ485はクハ481‐349だった。車内はシートピッチの広い座席とハイデッカー構造それにミニビュッフェとボックス席などがあり観光客に好評だった。
B,シルフィード~NODOKA (701番編成)
1990年 当初欧風電車シルフィードとして余剰の189系サロ189を改造 485系1000番代の予備の制御装置、主電動機、台車を用い車体は新造。リクライニングシートと前面展望が特徴で発電用エンジンを装備して非電化区間にも進出していた。2001年秋に和式改造されNODOKAとなった。シルフィード時代はクモロ485‐1、モロ485‐1、クロ484‐1という形式でありNODOKAとなり普通車格下げで、クモハ485‐701、モロ484‐701、クハ484-701となった。

2023年5月23日火曜日

485系番台区分3

 Ⅲ 食堂車
サシ481 1969年から1974年まで76両製造。厨房が奇数寄り(デッキ側)、テーブル席が偶数側に40人分通路を挟んで配置。一般的な構造。1968年製造サシ481-15からカーテンをブラインドに変更。水タンク(1000リットル)4基と調理電源として70KVAを装備。回送運転台を両端に設置。前照灯あり。
サシ489‐0番代 上記サシ481の489系用。これらは一部が客車に改造され寝台特急「北斗星」「トワイライトエクスプレス」に使用された。
サシ489‐100番代 特急「とき」181系のサシ181‐102、103を改造したもの。特急「雷鳥」などで使用。1986年12月23日廃車。
Ⅳ 普通車の付随車
サハ481、サハ489  それぞれモーターを持たない付随車。
Ⅴ 電動車
モハ484、485 0番代
1968年から1976年まで製造された。モハ485はパンタグラフ無し、奇数寄り(デッキのある方向)連結面に和式トイレと洗面所がある。定員はモハ485が72、モハ484は64。モハ484はそれまでの481系、483系と同じ形状で登場し冷房がAU12のため交直両用のため屋根上が危機で輻輳している関係で冷房の一部を車站に置いたためで、モハ484‐200番代からは冷房がに変更され客室もモハ485と同じになった。モハ485には200番代の区分は存在しないが200番以降の車両は存在している。
モハ484‐200番代、600番代
モハ485‐97以降とユニットを組む車両。冷房はAU12からAU71A集中型に変更。床置き冷房は無くなり定員がモハ485と同じ72になった。600番代は車掌室と業務用室をデッキとと客室の間に設置し定員は64。座席は非リクライニング。
モハ484、485 1000番代
耐寒耐雪仕様で1976年2月から1979年6月にかけて増備。番号がふたたび一致する。床下機器の集約と台車の耐雪構造等が特徴。モハ484は構造が600番代に準拠し定員が64となった。デッキを挟んで客室寄りに車掌室と業務用室がある。簡易リクライニングが装備され1978年8月以降増備のモハ484、485の1027、クハ481-1013からはロックできるようになった。
モハ484、485 1500番代
1974年5~6月に北海道用485系として増備。特急「いしかり」用として用いられた。落成時特急「白鳥」で試験走行している。耐寒耐雪が北海道の気候に適合せず粉雪による故障が多いため1980年6月に781系と交代し本州(青森~向日町~上沼垂)新津鉄道資料館にあるクハ481-1508が1500番代の制御車である。ユニットは全て一緒に移動している。(クハは上沼垂運転区と青森運転所に分かれていた)
モハ484、4853000番代
1997年特急「はくたか」用に1000番代車を改造し外装、内装、座席を一新したもの。主に秋田の車両を改造して充当されている。性能はほかの485系と同様。機器はMGをSIVとし、CPは三相誘導電動機駆動のものに変更している。上沼垂485系の晩年ではR編成が7本、T編成が7本と拮抗し主力といってよかった。

2023年5月18日木曜日

485系番台区分2

 Ⅱ グリーン車(この項目は489系も一緒に扱います)
サロ481‐0番代 1964年10月~1976年2月にかけて133両が製造。デッキ外側に和式トイレと洗面所、内側に車掌室と業務用室、客室はフルリクライニングでシートピッチは1160㎜定員48、冷房は1~52はキノコ型AU12、53~はAU13Eとなっている。台車はTR69Aで115からはブレーキシリンダー改造のTR69Hに変更された。上沼垂運転区に1986年転入のものは初期型が38号で1994年に廃車まで使用。他は100番以降の車両で屋根のエアコンユニットはAU13Eとなっている。
サロ481‐500番代
向日町運転所配置の食堂車サシ481からの改造車。内部をお座敷に改造し「和風車だんらん」として特急「雷鳥」でつかわれ、新潟地区では向日町運転所485系の運用の雷鳥1往復で用いられていたが運用期間は1986年11月から1988年3月までの短い期間だった。「スーパー雷鳥」のグリーン車サロ481‐2000番台に再改造された。
サロ481-1000番代
耐寒耐雪装備の1000番代グリーン車で1976年2月から1979年6月に製造。床下に210KVAのMG(電動発電機)とC2000コンプレッサー装備。秋田運転区配置の「いなほ」で用いられた。
サロ481-1500番代
1978年製造の181系特急「とき」で使用された後青森運転所485系用に配置された。外観は1000番代と同じ。北海道用の1500番代とは無関係。特急「いなほ」「白鳥」などで使用後1985年3月に勝田に転属。最近引退した「リゾートやまどり」に改造されたものもある。
サロ489 
0番代と1000番代がある。どちらも構造はサロ481と同様。0番代は1971~1974に製造。
サロ489‐1000番代は特急「白山」「はくたか」から食堂車が廃止され編成から外されたためMGとCPを備えたもの。容量補充が目的であった。どちらも特急「はくたか」「白山」で使用。
サロ489‐1050番代
サロ481-1052、1053を489系のサロ489‐1051と1052に1990年長野で改造。「あさま」で使用。VIP仕様とされ任務に就いたこともあった。上沼垂には1996年8月転入し予備車的存在だった。

2023年5月17日水曜日

485系番台区分1

 新潟県内で見られた485系(含む481系、483系)の番台区分について簡単にまとめてみた。外観上では以下の通りである。なお、489系は485系の信越本線碓氷峠対応車(EF63型電気機関車と強調運転できる)であり485系と連結運転できる事例も多くあるため485系に含める。今回は新潟県内定期列車で見られたもののみを記す。
Ⅰ 先頭車
1,ボンネット先頭車 クハ481‐0番代(MGはボンネット内150KVA)とMG床置き210KVA強化型100番代 同仕様の489系‐0番代と補助機関車連結用の500番代 乗車定員56 0番代は1986年から上沼垂運転区に配置、100番代は特急「雷鳥」で1970年代後半から「北越」「雷鳥」で運用。489系は特急「白山」「はくたか」「北越」などクハ481-100番代はJR西日本向日町運転所配置分は気動車牽引のためスカート部分を改造し各種配線が備えられていた。126号は原型のままで人気が高かった。
2、貫通型(非ボンネット)200番代、489系‐200番代、補助機関車連結用の600番代 (東北本線で秋田方面と仙台方面の特急を併合分割する目的で開発されたため登場。実際は紀勢本線「くろしお」で短期間使われただけ。乗車定員が64となった。特急「白鳥」「いなほ」「雷鳥」「北越」など。489系は以下の300番代と同様に「白山」「はくたか」「北越」など
3、非貫通型(非ボンネット)300番代、489系‐300番代 補助機関車連結用の700番代 併結運転は行われないことになり登場。運転時の隙間風対策のため非貫通型とした。座席は簡易リクライニングとなった。定員は64 特急「白鳥」「いなほ」「鳥海」など。
4,非貫通型(非ボンネット)1000番代
寒冷地豪雪用として登場。特急「とき」用183系1000番代の耐寒耐雪仕様を導入した。特急「いなほ」などで使用。
5,非貫通型(非ボンネット)1500番代 北海道向け 特急「いしかり」に使われた。構造は300番代と同様で運転台屋根上に前照灯2灯が特徴。1980年に781系に置き換えられて本州の特急に用いられた。特急「白鳥」「いなほ」「雷鳥」「北越」など
6,改造車(非ボンネット)
A、クハ481‐700番代 サハ489‐200番代に運転台を取り付けた車両。 上沼垂運転区に753が在籍。外観上は運転台後ろのエアコンユニットの間隔が短く置かれたのが特徴。特急「白鳥」「雷鳥」など(のちに「きらきらうえつ」用に改造)
B,クロ480‐1000番代 金沢運転所のサロ489を1988年先頭車改造したもの。主に特急「北越」に使用。「かがやき」用に座席を1対2に改造した2301がある。
C、クロハ481‐2000番代 クハ481‐200番代改造が2200番代、クハ481‐300番代改造が2300番代となっている。クロハ481-2201はクハ481‐224を1991年に改造。2300番代は1990年である。
D,クロハ481‐300番代、1000番代 それぞれ半室グリーン席を装備したもの。特急「いなほ」「北越」「ムーンライトえちご」で使用された。クロハ481‐303がクハ481‐348を改造したもので他は1000番代からの改造となっている。
7、3000番代
1997年北越急行ほくほく線経由の特急「はくたか」用に改造されたもの。車体、外装、内装を大幅に一新したもの。番号は種車の1000番代に2000を加えたものである。300番代改造車は3000を加えている。

2023年5月16日火曜日

キヤE195 

2023年5月14日 東三条駅 レール卸場にキヤE195‐1115が停車していた。レールが積まれていた。

2023年5月12日金曜日

1985年ダイヤ改正での485系

特急「白鳥」は1往復となり青森から向日町運転所485系に変更された。福井「白鳥」は「いなほ」と「北越」に再編されどちらも編成が減車された。特急「雷鳥」は全て向日町運転所の受け持ちとなり「白鳥」と同様食堂車は廃止され編成は10両編成でTsは1両、食堂車はT(サハ481)になった。なお、サシ481のうち一部はお座敷改造され和風車「だんらん」となったが新潟「雷鳥」や「白鳥」には連結されなかった。
「いなほ」は6連が基本となり1往復が酒田始発となったが1986年11月ダイヤ改正以降はこれが標準になっていく。(1986年改正で9連になる)
「雷鳥」「白鳥」 TcM’M Ts T M’M M’M Tc 向日町運転所
「白山」「北越」 TcM’M Ts TM’M M’M Tc  金沢運転所
「北越」     TcM’M Ts  M’M Tc  金沢運転所
「いなほ」    TcM’M  M’M Tc 青森運転所

 

2023年5月11日木曜日

485系1982年11月14日ダイヤ改正の備忘

 1982年11月15日上越新幹線開業に関するダイヤ改正で485系は大幅な運用変更が行われた。新潟県内では特急「とき」「はくたか」が全廃。特急「いなほ」は急行「羽越」「きたぐに」を格上げして新潟~秋田、青森間特急に再編。「いなほ」のうち青森運転所持ちの1往復は特急「鳥海」として東北新幹線上野駅開業までの間運転されることになった。特急「白鳥」は気動車急行「しらゆき」を格上げして青森~福井間で1往復増発。特急「白山」は特急「雷鳥」「北越」と共通運用のため食堂車が復活した。特急「北越」は「はくたか」廃止分を新潟~金沢間追加し3往復に増強され長岡駅での上越新幹線接続列車の任務を受け持つことになった。
特急「雷鳥」は本数の増加はないが新たに489系での運用が1往復発生した。
4003M「雷鳥」3号と4032M「雷鳥」32号が特急「白山」と共通運用の489系。
Tc M’M M’M Ts Td M’M M’M  Tc
この編成は「北越」3041M1号、3045M5号、3042M2号、3044M4号で3043M3号と3046M6号は向日町運転所485系であった。

このダイヤ改正では特急「とき」181系のサロ181‐1100番代(1978年製造)がサロ481‐1500番代に改造され目的を果たした。青森運転所485系に組み込まれ「はつかり」「いなほ」「白鳥」「鳥海」に使われたと考えられるが期間は短く1985年3月ダイヤ改正で勝田電車区に転属し「ひたち」に使われ国鉄時代を終える。一部は団体用の「やまどり」で最近まで運用されたのは周知のとおり。


2023年5月10日水曜日

雑木林と水田

2014年5月21日 下り485系NODOKA 信越本線

緑も濃くなり水田の稲も成長のころ。

2023年5月9日火曜日

1986年11月ダイヤ改正 上沼垂運転区485系の編成

 ←大阪・青森                      新潟→
  クハ481モハ484モハ485サロ481モハ484モハ485モハ484モハ485クハ481
T1  102  251  149  106  1502 1502  241  138  21
T2   30   86   86  107  1503 1503   85   85  27
T3  260  1505  1505  104  1504 1504   66     66    261
T4  258  1507  1507  105  1506 1506   65   65   29
T5   28  1501  1501  38   87  87   83   83   23
T6  1502  1020  1020  124  1012 1012  1011 1011  1503
T7  753  1078   1078  125  1007 1007  1013 1013  1505
T8 1504  1010  1010  114  1068 1068  1024 1024  1507
運用は特急「雷鳥」4003M3号、4013M13号、4018M18号、4030M30号
「白鳥」5001M、5002M 「北越」1003M3号、1008M8号
「雷鳥」向日町運転所 4014M14号、4025M25号 和風車「だんらん」連結
「北越」金沢運転所1002M2号、1011M11号 489系9連
「北越」上記以外金沢運転所 485系7連
「いなほ」2006M6号と2009M9号は秋田運転区それ以外は青森運転所485系。JR移行後の新潟車両センター所属となるクハ481-1508はこの時点では青森運転所に所属している。
クハ481‐753はサハ489に運転台を取り付けて先頭車改造したもので1986年8月7日幡生工場にて改造された。姉妹車クハ481‐701は金沢にあり1985年8月29日松任工場でサハ489‐11を改造しこちらも「北越」に使われていた。分割民営化後はアコモデーション改造が1988年に開始されボンネット車両は自由席に集約された。 

2023年5月8日月曜日

新潟雷鳥がやってきた時代

 

特急「雷鳥」が新潟県に姿を見せたのは1978年10月2日のダイヤ改正からである。それまでの新潟~大阪間気動車急行「越後」501D大阪10時06分発新潟19時27分着、502D新潟8時55分発大阪18時08分着 (キハ57、キハ65などで長野運転所所属)の格上げによるもの。このとき特急「北越」は大阪乗り入れが廃止され金沢~新潟間1往復のみとなった。大阪~新潟間には「雷鳥」2往復が充当され白鳥と合わせ4往復となった。
編成は増発分の12号(4004M)と21号(4007M)は金沢運転所の「しらさぎ」編成。
←大阪・青森     新潟→
Tc M’M TsTs Td M’M T M’M Tc 特徴TsとTd及びTは489系でTdには181系「とき」で使用されたサシ181を改造したサシ489‐101と102を配置していた。この編成は1985年3月15日に向日町運転所485系に変更されるまで続いた。
「北越」大阪乗り入れ廃止分補充は向日町運転所485系で編成は上記と同じで先頭はボンネットが入る。金沢は「白山」「はくたか」にボンネット489系が使われ「雷鳥」「しらさぎ」のクハ481は200番代貫通型と300番代非貫通型だけが配置。


2023年5月7日日曜日

塚山峠を訪ねて

2014年5月4日 キハ40系「 越乃Shu*Kura」 そろそろ後継が出るのか?
塚山駅 2004年の中越地震で被災し建て替えられた。無人駅。

長岡市越路支所 塚野山活性センターにおいて隅田哀氏の写真展が行われているので鑑賞のため出かけてみた。1982年5月号の鉄道ファン誌に「塚山峠を訪ねて」という文章があり、この界隈が取り上げられていた。山間を走る列車の様子が鮮明に描かれ印象的であり、以降このあたりで撮影を行うきっかけとなった。

館内には今はないEF81牽引列車や485系特急などが多数展示され渋海川橋梁を俯瞰する列車や近くになる木造の小学校の校舎の後ろを走る列車も紹介されていた。

開館前にE653系特急「しらゆき」とキハ40系「越乃Shu*Kura」の様子も撮影した。

最近はこの付近に来ることはほとんどなかったがこの写真展が来訪の機会となった。撮影地は田植えが始まろうとして農家の方々は準備に余念がなかった。峠の小さな集落にようやく田植えの季節が来て新緑も濃くなっていくひと時をながめ往年の時代を懐かしみ帰宅した。

(画像は2014年のもの)

2023年5月6日土曜日

719系快速6連 フルーティア

 


2017年5月6日 磐越西線広田 719系6連 会津若松行き快速最後部フルーティア


 

2007年に455系を置き換えた719系も部品流用車だったため老朽化が早く進んで、2017年にはほとんどの運用がE721系に置き換わっていた。現在は観光列車719系「フルーティア」編成のみが残存し最後の活躍をしている。2023年度での引退が発表されている。

 

2023年5月5日金曜日

薫風軽便~くびき野レールパーク

2017年5月5日 旧頸城鉄道ホジ3 上越市くびき野レールパーク

こどもの日の公開運転。 伝説の存在であった頸城鉄道車両が動く光景を見た日。背後の丘は新緑に覆われ初夏の風情。水田では田植が進んでいた。1971年に廃止になる前はこのホジ3も初夏の風を受けて走っていた。遠い日の幻想。

2023年5月4日木曜日

千里中央駅~大阪モノレール ウメサオタダオ展への旅 2011年5月4日

2011年5月4日 千里中央駅

万博跡地にある国立民族学博物館に向かう際に利用。


 

太陽の塔

国立民族学博物館 2010年老衰にて亡くなられた民族学者、文化人類学者の梅棹忠夫氏を偲んで行われた企画展。「ウメサオタダオ展」


全ては打ちかけの碁なのだ・・・・

情報カード・・・別名京大カード ウメサオタダオ氏が情報を整理に用いたツール。著作「知的生産の技術」は大ベストセラーとなり今もそれは色あせない。スマートフォンやパソコンなどまだ夢の世界の時代に考案された。


愛用のNikonF2 

急行「きたぐに」もなくなり遠征をすることもなくなった。ここを訪れてから12年が経過した。


2023年5月3日水曜日

特急「北星」の忘れ形見~青塗りワサフ8800

1981年6月 東三条を発車するEF58137〔高二〕 荷2041レ 夜を徹して走ってきた荷物列車。積み荷の多くは新聞であると考えられる。EF58のすぐ後ろには青い車両が、マニ44と似ているがこれは貨車のワサフ8000で塗装が青かったのはかつて20系寝台特急「北星」に連結されていたため青塗りとなったとされる。寝台特急という観点で見るとどこか風格にかけるようだった。その後14系客車に置き換えられて姿を消した。 岡田誠一氏の著作国鉄鋼製客車Ⅱ P176によるとワサフ8800~8802は特急「北星」併結可能な仕様で1974年製造AREBブレーキ装備で車体が青15号に塗装、1987年廃車とある。1980年版配置表では東京北局隅田川客貨車区にワサフ8800~8802の記載があった。 車体が濃く見えたのは建物の影かと思ったが東三条駅のこの付近に高い建物はなく客車の車体そのものだったようだ。この画像を撮影してから40年を超えているが新たな発見がありおどろいている。

2023年5月2日火曜日

海を背に走る

1982年6月 信越本線 鯨波海岸を走る 編成中に通風車を見かけた。これらに出会うことは極めてまれだった。

2023年5月1日月曜日

モハ480‐1~特急「有明」博多

1981年1月 鹿児島本線 博多

 1964.10.27川崎車輛製造で向日町配置、1975年3月10日鹿児島転属、1983年12月26日廃車