2024年1月26日金曜日

雑踏の旅愁 中央特快E233系 山手線E235系

 

2024年1月20日  サロE233 中央線豊田

E233系特快で西八王子から新宿経由で山手線大崎に向かう。西八王子駅はみどりの窓口はなく遠距離切符も指定券も自動券売機で買わなければならなくなっていた。東京都内の駅も窓口がなく不便になったと叔母が言っていたことを思い出した。スマホでの購入が増え窓口もあまり利用されなくなりそれにコロナが加わって合理化が一気に進んでしまった。

西八王子からの乗車はさほど多くないが、八王子から大勢の乗り込みがあり通路も立ち客で埋まった。やや緩めの通勤電車の風情。その先もこのような感じで新宿まで続くことになった。途中豊田でサロE233を見つける。両開き扉の通勤型グリーン車。料金は通常のグリーン車と同じ。ただ東京~高尾の短距離区間。101系、103系、201系と通勤型の主戦場であり、東海道線や横須賀線のようにグリーン車が繋がれることはなかった。もちろん中央線の国電のグリーン車など想像したこともない。「国電区間」の通勤型グリーン車はこんど中央線に来たときは乗車してみたい。(青梅鉄道公園を見てみたいと思うがまだ実現していない)

E233系は「特快」ということで気前よく中間駅を通過して主要駅のみの停車。ロングシートの通勤型から外を見ることは難しいが建て込んだ街並みと時折見える雑木林に武蔵野を走っていることを実感した。叔母は前日はきれいに晴れてあったかだったと言っていた。この日は曇り空で雨が時折降る冬の東京とは思えない天候。

車窓進行方向はE233系と特急の「あずさ」「かいじ」のE353系とすれ違うのみ。三鷹からは緩行線の黄色い帯のE231系も加わってにぎやかになる。(他私鉄の電車もある)

かつて関西へよく行っていたころは207系や223系から485系や683系などを眺め、同じような近郊区間の雰囲気を感じていたことを思い出していた。こちらはもう12年もご無沙汰になってしまった。(当方の好みが秘境でも大都会でもなく近郊という事か?)

中野を過ぎてビルだけが車窓を支配するようになると新宿に到着ここでE235系に乗り換え午後のメインミッションの大崎に向かう。山手線も土曜午後のせいか朝の通勤時間帯並みに混雑していた。原宿や渋谷で人の入れ替えがあったが乗車人数は変わらなかった。

雪の積もる「さいはての地」に住む者は高層ビル群と雪のない冬と都会の雑踏に旅愁を感じる。 

西八王子を出てから50分余り大都会のど真ん中の駅大崎に降りる、会場はすぐ最寄りのゲートシティ大崎で行われる。改札を出て連絡通路を会場へ急ぐ。途中「市」が開かれていてアンバランスに感じる。各地から出てきた方々が各地の水産品や農産品を販売されていた。時間が無いので見るだけ。

会場はわかりにくくあちこち降りたり登ったり警備員や警察官に聞き直してようやく会場にたどり着いたときは完全に遅刻していた。

会場に着くとすでに発表は始まっており7名のメンバーが会報をてに発表を聞いていた。いつもはオンライン参加であるが今回はアウェー会場にてライブ参加である。後ろのすいている机に荷を置いて発表を聞く。

商業誌をにぎわしているメンバーがここに3名、オンラインに数名で雲の上の方々。

*当方のこの会合への参加はたとえが悪いが地方競馬の最低クラスの馬(当方のこと)が中央競馬オープンクラス=最上級(会場にいらっしゃった方)のレースに参加するようなものである。(もしくは相撲の序の口が幕内力士と取り組むようなこと)

最初の発表は宮内庁文書館で入手された資料関連の発表で明治天皇の時代の件。

15時に休憩この際に主催者に遅刻したことを詫び、西八王子で作成した自己紹介を記した資料を参加者に手渡す。主催者は叱責するようなこともなく、遠方からの参加を歓迎する旨と自己紹介をお願いします。との指示があった。自己紹介は苦手なのでとにかく資料に記載したとおりに行ったが机の上には冷や汗が多数たまっていた。

今回ライブ参加にしたのはオンラインで解決できない問題がありその解決方法を相談することだったがその件についても解決できた。ふだん聞いているだけで声も上げないものがやってくるとは思ってもおられなかったようだった。会合は17時前に終了し帰宅の途に就く。懇親会のご案内も頂いたが翌日の予定もあり今回は見合わせた。再び遅刻したことをお詫びし再会できることを願い会場を後にした。


E235系 モハE235‐1

新宿方面に走り去るE235系 山手線大崎

会場から大崎の駅に向かう道すがらまだ市が開いていたので、野菜を買う。価格はグラム単位なので市の女性にはかってもらい値段を確定してもらった。

市の裏手には東海道新幹線そして品川の町が広がっていた。日没しイルミネーション点灯し大都会の華やかな夜が始まった。大崎でE235系トップナンバーを見聞。

品川からは東海道本線に並走。慣れ親しんだ電車区や客車区、機関区はなくなったが留置線にはE257系やサンライズ285系があった。山手線の電車は東海道線上り電車や東海道新幹線とひっきりなしにすれ違い東京に到着。

東北新幹線E5系やまびこ 東京駅

東京駅17時40分「とき」337号で帰路に就く。車内に荷物を置いて売店で職場の女性たちへのお土産を買い車内に戻った瞬間扉が閉まり列車は動き始めた。車窓には大都会の街灯りが広がった。あわただしい道中の記憶をさらに脳裏に刻むため車窓を眺める。長編成の電車が走る光景とはお別れ、荒涼とした雪原に帰らなければならない。

東京発後車内放送後車内販売の案内がありまだ車販があるとは思わなかったが高崎を出ると車販がやってきたのでコーヒーを飲みながら旅の終わりを感じた。

東京~燕三条間は1時間50分程度。料金のことを考えなければ糸魚川、会津若松、黒姫、小国、村上市山北と同じくらい。もっとも車で下道であれば毎日これくらいの時間をかけて通勤しているが・・・おかげで休日は家事雑用とごろ寝タイムのみでおわってしまう。

燕三条駅には定刻到着。叔母のところに謝辞をつたえるメールを入れるとおつかれさまのへんじが返ってきた。