2024年8月31日土曜日

野分を背に走る~上越線貨物列車

2024年8月30日 上越線  2071レ EH200-16


 
台風10号が接近してるため天気がぐずつき、厚い雲が空にかかる。
時々日差しはあるが弱弱しく夏が終わりつつあることを告げていた
EH200-19 6082レ 水田の稲はたわわに実って刈り取りを待っている。昨年の天候不順の影響で店頭から米が消えている。早い収穫と流通がのぞまれる。

 北越コーポレーションのコンテナ。6082レでは編成の後ろ方に繋がれている。

日中は貨物列車の姿はないが夕方は上下がこの区間で離合する。ここで貨物列車を見ることができるのもあとすこし。秋分の日を過ぎると秋が一気に進んで日没も早くなる。

 

2024年8月30日金曜日

E129系A10編成大地の芸術祭

2024年8月24日 E129系A10 大地の芸術祭ラッピング 427M
 EF510-22 4075レ

E129系のA編成の運用は複雑であり。捕まえるのが至難の業。偶然でも捕まえられたことに感謝するほかはない。
 

2024年8月28日水曜日

冬の使者ENR1000

2024年8月24日  ENR1000
保線基地にて。ENR1000側面。この場所で本形式を見かけることは珍しい。冬に備えての訓練?暑い暑いといっても4か月後は深い雪の中にいる可能性が大きい。
 

2024年8月27日火曜日

EF510-510 4076レ

2024年8月25日 EF510-510 4076レ

2088ㇾのあと4059レや4061レを待ったが来ない。所用があるので引き上げようと考えたが4076レがあったのでこれを押さえて所用に向かった。久しぶりの銀ガマで汚れも少なく良好なのがありがたい。
 

2024年8月26日月曜日

EH200-16 2088レ  海上コンテナONE 

 


2024年8月25日 EH200-16 2088レ

タンクコンテナと海上コンテナ ONEの鮮やかなピンクのコンテナがアクセント
日曜発にしてはコンテナが多い。
最後尾からグリーンのコンテナ。

曇りがちで露出が上がらないが何とか見ることができた。2088レを明るい時間で見ることができるのは10月のはじめ頃まで。
 

2024年8月25日日曜日

蒸し暑い晩夏の昼下がり~配給8788レ

2024年8月24日 EH200-9とDD200-6 配8788レ
DD200-6  蒸し暑い空気が支配する晩夏の午後。8月では初めてであろう配8788レがゆっくりと走り去っていった。空は湿った空気で覆われて低い雲が漂う。遠くに積乱雲の塊があって夏がまだ続くことを示していた。
 

2024年8月24日土曜日

猛暑の「しらゆき」3号 53M


 2024年8月18日 E653系 53M

上り「しらゆき」3号がわずかな客を乗せて通過。この日のこの時間の貨物列車はまだ復活運転をしておらず見かけることはなかった。農産品直売所に立ち寄ったついでに・・・気温は30度をすでに超えて猛暑になっていた。すっきり晴れる日が少ない湿った夏。それでも稲の作はいいようである。米の不足が解消することを望む。

2024年8月23日金曜日

コンテナが積まれていない3093レ 盆明け貨物


 2024年8月18日 EF510-508 3093レ

コンテナが一つも積まれていない。貨車だけを送り込むための列車。盆休期間が9日間。長い休みが終わった。水田は色づいて間もなく収穫。昨年の凶作のため米不足。市場への供給が待たれる。

2024年8月22日木曜日

夏の静寂~弥彦線北三条駅付近

2024年8月4日 弥彦線北三条駅付近 

高架線路とステージえんがわ、図書館まちやま。奥の建物は産婦人科医院の跡地。

暑い日は涼を求めて図書館で書籍と触れ合う人が多い。子供たちは宿題をしたり、試験のための勉強をする。そとには屋外カフェのような場所もあって日差しを避けて読書をする人も多い。この日は暑すぎたのか屋外は人の気配を感じなかった。

山側には積乱雲ができていたが頭上は青空が広がる夏景色・・・弥彦線の午後は2時間ちかく列車が来ない。これは昔と変わらない。

2024年8月20日火曜日

大地の芸術祭ラッピング

2024年8月18日 E129系 442M

上り方向に大地の芸術祭ラッピングが。2連に施されているため運用が複雑で見かけることのない編成。

会場となる十日町地域では大地の芸術祭で盛り上がっているのであろうか?

2024年8月19日月曜日

EF510-20 3098レ 盆明け

2024年8月18日 3098レ 盆明けのため積載率は悪い。この北海道から九州へ向かう列車は繁忙期となりコンテナ満載となる。もう石北線では玉ねぎ列車が動き始めたという。

訃報 ”鉄道”を始めるきっかけとなったフランスの偉大な俳優アランドロンが死去。

主演作の一つ、ボルサリーノ2では痛めつけられ、アルコール中毒にされてしまう主人公をアランドロン演じるが、のちに回復し敵に立ち向かっていく場面が印象に残る。

アランドロンの列車内での鮮やかな演技を思い出す。ちょうど70系電車のサロ75のような座席が回転して銃を携えたアランドロンが現れる。まだこの時代70系は身近で欧風様式の格下げ車も健在だった。この座席に座って映画の世界を思い起こしていたのも懐かしい。

2024年8月18日日曜日

EF510-509 盆休前 4075レ

2024年8月10日 EF510-509 4075レ

盆休前の貨物。この日は運休はなかったが翌日から運休が開始。現在のところまだかなり運休となっている。復活はあす19日からであろう。

昨年の異常気象で店先から米が消滅してしまった。
 

2024年8月17日土曜日

弥彦線 223M 盆の早朝

2024年8月14日 吉田 E129系2連 225Mになる編成。2022年3月改正までは115系だった列車。いまでは115系がいたことも忘れ去られた。


223M 吉田駅5番線発東三条行き 5番線発は多くない。かつては電留線であり発着列車はなかった。
223M車内 盆の休日で誰も乗っていない。

西燕付近の水田地帯 弥彦線は市街地を走るため開けた場所は多くない。
燕駅 みどりの窓口もなくなり無人化された。


北三条駅 近くの寺は盆の飾り旗があった。北三条駅付近は寺院が多い。
通学生で賑わうであろうこの列車も空席のみ。
東三条駅中線に到着。東三条中線での客扱は弥彦線1往復のみ。信越本線の列車は貨物列車3093レと4094レが中線に入って発着する。

弥彦線が電化されたのは1984年4月8日。それまではキハ30や35が使われていた。電化で115系が投入されたが各地からの余剰車両で冷房無で1993年頃まで走っていた。完全冷房となったのは1993年からである。その後は115系が主力だったが2015年ダイヤ改正で一部がE127系に代わりそれが2022年まで使われた。また115系も同年に運用を終えている。

非電化時代くたびれたキハ30や35の時代からすると今の弥彦線は贅沢になった感じがするが列車はほとんどワンマン化され無人駅も増えて活気が無くなってしまった。
 

2024年8月15日木曜日

EF8181,185系、211系湘南色





 

EF8181〔田〕寝台特急「ゆうづる」185系「新特急たにがわ」211系中電

これらの車種が8月13日未明の上野駅に集結したという。

現在のトレンド高額撮影会である。もっともこれだけのメンバーを集めることは難儀でありけっして高額ではないと考える。

もう先は長くなく今後このような企画を行うことも不可能になるからだ。

2024年8月14日水曜日

晩夏

 

2024年8月11日  3093レ EF510-514
沿線のひまわり
E653系  55M 「しらゆき」5号

ふだんは利用客は少ないが旧盆の近いこの日はいくらか乗り手があったようだ。それでも編成の4分の1程度であろう・・・・E129系の2連の快速列車とし、直江津~長岡間の運転でことが足りそうな気がする。マイカーに置き換わって地方の鉄道輸送は減少。さらに人口減少と過疎化・・・厳しい時代である。

 

今年の夏は梅雨が明けてもすっきりせず雲が多く蒸し暑い。冷夏というわけでもない。とにかく不快。ただそれだけ。とっくに立秋を過ぎているがむろん秋には程遠い。

盆休みもミニマム化のための清掃、草刈り、そして来客への対応ですることが多い。遠征などもすることはできなくなって相当な時間が経過した感じだ。はやくミニマム化を終わらせて健全な姿に戻りたいと思う。


 


2024年8月13日火曜日

弥彦線サルスベリ 

2024年8月12日 弥彦線北三条駅

盛夏の花サルスベリが満開。関東以西の地域では猛暑どころか炎暑となっているが日本海側では曇りがちのすっきりしない天候となっている。湿度がきつくまだ梅雨が明けきっていない感じである。それでもサルスベリがさいて盛夏を彩っていた。

 

 

2024年8月10日土曜日

EF510-501 4076レ

2024年8月4日 EF510-501 4076レ

 水田の小駅 帯織駅  下り新潟行き普通列車と離合。

昭和の初期ここから東側の丘陵地の大面地区で石油が採掘されトロッコで運ばれていたという。具体的な資料を探しているがなかなか出てこない。

2024年8月8日木曜日

EF510-8 4059レ

2024年8月4日 EF510-8 4059レ

色づく水田を横目に走る。線路わきの畑では農家の方々が収穫作業に余念がない。遠くにはラジコンが飛んでいるのが見え、薬剤散布をされているようだった。

2024年8月6日火曜日

客のいない「しらゆき」

2024年8月4日 51M 「しらゆき」1号

わずかな客を乗せて走る。新潟県 県都 、県央、中越から北陸や近畿への移動は高速道路と空路が担い「しらゆき」のやくわりは薄くなった。

県央から関東、中京、近畿への移動は朝新潟空港の駐車場に車を置いて、新潟駅に移動そこから新幹線で都内へ。以降は中京なら東海道新幹線「のぞみ」または羽田から空路、近畿も同じような運用形態となる。近畿から新潟への帰路は大阪空港から空路が一般的。長岡から北のエリアはこんな出張形態だという。北陸は車での移動となろう。ドライな動き方だがビジネスの移動なんてこんなもので情緒的なものを挟む余地はない。いかに効率よく動けるかそれが勝敗の分かれ目になるという。

北陸新幹線が敦賀に開業した恩恵を受ける新潟県上越妙高や糸魚川は北陸新幹線を利用であるとおもうが途中金沢での乗り換えが必要になる。

北陸新幹線の役割が「かがやき」「はくたか」東京や関東各地から北陸連絡、「つるぎ」北陸地方と近畿及び山陽、中京地区となっていて、それ以外の入込は困難と思われる。

もう、日本海縦貫線的な機能は失われた。そしてよみがえることもないそれが厳しい現実。

ビジネスの流れだけで考えるなら新潟県の中越、新潟市、下越は上越新幹線、新潟空港から空路であり、それ以外の利用方法を探るのは現実的ではないのかもしれない。


2024年8月5日月曜日

なつのあさ

2024年8月4日 E129系 427M

水田が色づき8月下旬に稲刈りを迎える。夏休みのため通学生の姿はなく、空席の目立つ列車。畑では農家の人々が野菜の収穫に精を出す。

静かななつのあさ・・・・
 

2024年8月4日日曜日

E129系 炎暑の夕涼みと長岡花火への出陣列車

2024年8月3日  上り 446M 土曜日は東三条駅を出ると空席が目立つが今日は逆に都会の通勤電車並みの混雑。発車後も多くの客がホームに残っていた。浴衣美人も多い。
直江津行き快速 3374M こちらは混雑を見越して2両増結。この1本前の448Mは4連であり更なる大混雑。この混雑をかき分けて「長岡花火」ご観覧のため出陣される方々多数。
快速列車発車の4分後 東三条駅始発長岡行き臨時。 混みあう定期電車を避けてゆったりくつろぎながら出陣の方たちには朗報だった。
長岡花火出陣列車 4本 東三条駅2番線はふだん弥彦線が1本のみのため大変レアな記載となる。そういえば新津方面と弥彦線への乗り入れ列車も115系が全廃後は激減したような気がする。

18時台の450Mは混雑もなく普段の列車に戻っていた。しばらく水田の中で眺め帰宅。

長岡花火で燕三条のホテルも満室。道の駅「燕三条」は観光客でごった返したという。

おそらく今NHK朝ドラ「虎に翼」の舞台となっている弥彦も混雑したことだろう。

東三条駅駐車場も県外の車が多数停車していた。渋滞を避けて列車移動されたのでは。

保内の道の駅も県外者が目立っていた。さらに中央競馬新潟開催真っ最中とくれば混雑をしないはずもない。

国道8号線もかなり交通量が多かった。1年に1度の大賑わい・・・・

2024年8月3日土曜日

炎暑の週末は模型を楽しむのがいい

2024年8月3日 道の駅保内 園芸の里
模型の運転会を見学。最近模型もやっていなかったので久々である。

やや古めの模型たちが多数集結して走っていた。583系の「はつかり」とキハ183系「北海」のバトルが見ものだった。

レイアウトはそれほど大きくないが見どころの多い車両が多数集結していた。

キハ183系は北海道の気動車特急で1980年から運用が開始されていた。新潟鐵工所で造られて北海道で生涯を閉じている。

画像の色を北海道では見たことはなかったが新潟鐵工所での製造のため試運転を見たことがあった。 貫通路のない角ばった先頭車両が印象的であった。

炎暑の中冷房のある部屋で往年の名車たちが走る姿を眺めその時代を思い浮かべるのも悪くるはなかった。

2024年8月2日金曜日

EH200-6 2088レ

2024年7月27日 EH200-6 2088レ

山形県の水害で編成が短くコンテナもほとんどない2088レ

オリンピックの陰でほとんど報道されないが状況はどうなっているのか?


昨日長い梅雨が明けて炎暑の季節がやってきた。