北越コーポレーションのコンテナ。6082レでは編成の後ろ方に繋がれている。
日中は貨物列車の姿はないが夕方は上下がこの区間で離合する。ここで貨物列車を見ることができるのもあとすこし。秋分の日を過ぎると秋が一気に進んで日没も早くなる。
日中は貨物列車の姿はないが夕方は上下がこの区間で離合する。ここで貨物列車を見ることができるのもあとすこし。秋分の日を過ぎると秋が一気に進んで日没も早くなる。
E129系のA編成の運用は複雑であり。捕まえるのが至難の業。偶然でも捕まえられたことに感謝するほかはない。
2088ㇾのあと4059レや4061レを待ったが来ない。所用があるので引き上げようと考えたが4076レがあったのでこれを押さえて所用に向かった。久しぶりの銀ガマで汚れも少なく良好なのがありがたい。
2024年8月25日 EH200-16 2088レ
曇りがちで露出が上がらないが何とか見ることができた。2088レを明るい時間で見ることができるのは10月のはじめ頃まで。
上り「しらゆき」3号がわずかな客を乗せて通過。この日のこの時間の貨物列車はまだ復活運転をしておらず見かけることはなかった。農産品直売所に立ち寄ったついでに・・・気温は30度をすでに超えて猛暑になっていた。すっきり晴れる日が少ない湿った夏。それでも稲の作はいいようである。米の不足が解消することを望む。
コンテナが一つも積まれていない。貨車だけを送り込むための列車。盆休期間が9日間。長い休みが終わった。水田は色づいて間もなく収穫。昨年の凶作のため米不足。市場への供給が待たれる。
高架線路とステージえんがわ、図書館まちやま。奥の建物は産婦人科医院の跡地。
暑い日は涼を求めて図書館で書籍と触れ合う人が多い。子供たちは宿題をしたり、試験のための勉強をする。そとには屋外カフェのような場所もあって日差しを避けて読書をする人も多い。この日は暑すぎたのか屋外は人の気配を感じなかった。
山側には積乱雲ができていたが頭上は青空が広がる夏景色・・・弥彦線の午後は2時間ちかく列車が来ない。これは昔と変わらない。
会場となる十日町地域では大地の芸術祭で盛り上がっているのであろうか?
訃報 ”鉄道”を始めるきっかけとなったフランスの偉大な俳優アランドロンが死去。
主演作の一つ、ボルサリーノ2では痛めつけられ、アルコール中毒にされてしまう主人公をアランドロン演じるが、のちに回復し敵に立ち向かっていく場面が印象に残る。
アランドロンの列車内での鮮やかな演技を思い出す。ちょうど70系電車のサロ75のような座席が回転して銃を携えたアランドロンが現れる。まだこの時代70系は身近で欧風様式の格下げ車も健在だった。この座席に座って映画の世界を思い起こしていたのも懐かしい。
盆休前の貨物。この日は運休はなかったが翌日から運休が開始。現在のところまだかなり運休となっている。復活はあす19日からであろう。
昨年の異常気象で店先から米が消滅してしまった。
弥彦線が電化されたのは1984年4月8日。それまではキハ30や35が使われていた。電化で115系が投入されたが各地からの余剰車両で冷房無で1993年頃まで走っていた。完全冷房となったのは1993年からである。その後は115系が主力だったが2015年ダイヤ改正で一部がE127系に代わりそれが2022年まで使われた。また115系も同年に運用を終えている。
非電化時代くたびれたキハ30や35の時代からすると今の弥彦線は贅沢になった感じがするが列車はほとんどワンマン化され無人駅も増えて活気が無くなってしまった。
EF8181〔田〕寝台特急「ゆうづる」185系「新特急たにがわ」211系中電
これらの車種が8月13日未明の上野駅に集結したという。
現在のトレンド高額撮影会である。もっともこれだけのメンバーを集めることは難儀でありけっして高額ではないと考える。
もう先は長くなく今後このような企画を行うことも不可能になるからだ。
2024年8月11日 3093レ EF510-514
ふだんは利用客は少ないが旧盆の近いこの日はいくらか乗り手があったようだ。それでも編成の4分の1程度であろう・・・・E129系の2連の快速列車とし、直江津~長岡間の運転でことが足りそうな気がする。マイカーに置き換わって地方の鉄道輸送は減少。さらに人口減少と過疎化・・・厳しい時代である。
今年の夏は梅雨が明けてもすっきりせず雲が多く蒸し暑い。冷夏というわけでもない。とにかく不快。ただそれだけ。とっくに立秋を過ぎているがむろん秋には程遠い。
盆休みもミニマム化のための清掃、草刈り、そして来客への対応ですることが多い。遠征などもすることはできなくなって相当な時間が経過した感じだ。はやくミニマム化を終わらせて健全な姿に戻りたいと思う。
盛夏の花サルスベリが満開。関東以西の地域では猛暑どころか炎暑となっているが日本海側では曇りがちのすっきりしない天候となっている。湿度がきつくまだ梅雨が明けきっていない感じである。それでもサルスベリがさいて盛夏を彩っていた。
昭和の初期ここから東側の丘陵地の大面地区で石油が採掘されトロッコで運ばれていたという。具体的な資料を探しているがなかなか出てこない。
わずかな客を乗せて走る。新潟県 県都 、県央、中越から北陸や近畿への移動は高速道路と空路が担い「しらゆき」のやくわりは薄くなった。
県央から関東、中京、近畿への移動は朝新潟空港の駐車場に車を置いて、新潟駅に移動そこから新幹線で都内へ。以降は中京なら東海道新幹線「のぞみ」または羽田から空路、近畿も同じような運用形態となる。近畿から新潟への帰路は大阪空港から空路が一般的。長岡から北のエリアはこんな出張形態だという。北陸は車での移動となろう。ドライな動き方だがビジネスの移動なんてこんなもので情緒的なものを挟む余地はない。いかに効率よく動けるかそれが勝敗の分かれ目になるという。
北陸新幹線が敦賀に開業した恩恵を受ける新潟県上越妙高や糸魚川は北陸新幹線を利用であるとおもうが途中金沢での乗り換えが必要になる。
北陸新幹線の役割が「かがやき」「はくたか」東京や関東各地から北陸連絡、「つるぎ」北陸地方と近畿及び山陽、中京地区となっていて、それ以外の入込は困難と思われる。
もう、日本海縦貫線的な機能は失われた。そしてよみがえることもないそれが厳しい現実。
ビジネスの流れだけで考えるなら新潟県の中越、新潟市、下越は上越新幹線、新潟空港から空路であり、それ以外の利用方法を探るのは現実的ではないのかもしれない。
18時台の450Mは混雑もなく普段の列車に戻っていた。しばらく水田の中で眺め帰宅。
長岡花火で燕三条のホテルも満室。道の駅「燕三条」は観光客でごった返したという。
おそらく今NHK朝ドラ「虎に翼」の舞台となっている弥彦も混雑したことだろう。
東三条駅駐車場も県外の車が多数停車していた。渋滞を避けて列車移動されたのでは。
保内の道の駅も県外者が目立っていた。さらに中央競馬新潟開催真っ最中とくれば混雑をしないはずもない。
国道8号線もかなり交通量が多かった。1年に1度の大賑わい・・・・
やや古めの模型たちが多数集結して走っていた。583系の「はつかり」とキハ183系「北海」のバトルが見ものだった。
レイアウトはそれほど大きくないが見どころの多い車両が多数集結していた。
キハ183系は北海道の気動車特急で1980年から運用が開始されていた。新潟鐵工所で造られて北海道で生涯を閉じている。
画像の色を北海道では見たことはなかったが新潟鐵工所での製造のため試運転を見たことがあった。 貫通路のない角ばった先頭車両が印象的であった。
炎暑の中冷房のある部屋で往年の名車たちが走る姿を眺めその時代を思い浮かべるのも悪くるはなかった。
山形県の水害で編成が短くコンテナもほとんどない2088レ
オリンピックの陰でほとんど報道されないが状況はどうなっているのか?
昨日長い梅雨が明けて炎暑の季節がやってきた。