ラベル キハ40 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル キハ40 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年9月16日火曜日

秋晴れの午後~柳都shukura EF510-1 EH200‐15 6082レ

2025年9月15日 上り柳都shukura 8366D
柳都shukuraが出るとEF510-506 3098レが通過する
EF510-1  3097レ 珍しくコンテナあり コキ車4連
EH200-15 6082レ 祝日の復活運転 北越コーポレーションコンテナはなかった。

開け晴れの午後。水田は稲刈りの最中。かなり刈り入れは進んだ。切り株だけの水田もめだつようになってきた。来週は彼岸の入り・・・また夜の長い季節になる。暑さに苦しんでいるが冬至の頃は雪との戦いとなっていると思う。

2025年8月28日木曜日

熱波の柳都shu*kura

2025年8月24日 下り柳都shukura
柳都shukuraは上越妙高~新潟間運転 

刈り取られる直前の水田。黄色く色づいた水田を見ながら列車は通過していった。

今年の稲の作柄はいかに・・・・

昨年9月1日重い腰を上げて乗車した。もう1年が経過・・・・

2014年に登場した越乃shukuraもう11年が経過。そろそろ後任の話題が出そうであるが今のところそう言った話題もない・・・・」 

2025年7月23日水曜日

風っこVSお座トロ 只見線にて

2025年7月19日 キハE120‐1と並ぶキハ48系ビューコースター風っこ
風を感じながら一路終点の只見へ キハ48547+キハ471541 仙ココ

会津鉄道お座トロ 会津田島行き AT350型 

最後尾はキハ40からの改造 AT400型

この季節あえて冷房のない車両に揺られ、開け放たれた窓からの風を感じながら走るのは気持ちがいいことであろう。

 

2025年7月1日火曜日

ケーブルとどう向き合うか?~信越本線鯨波の場合

2025年6月28日 EF510-23 4076レ
EF510-6 4076レ
下り普通 E129系4連
キハ40系 shukura回送
E653系「しらゆき」2号 52M 新井行
E129系 長岡8時3分~直江津8時41分着の普通列車
EF510-508 4091レ 海の青さが出てきた・・・

 

2018年3月ころからケーブルの新設がされた。かなり太いもので見た目もよくない。

ケーブルは流しても消えない厄介者。ただ、場所によっては悪影響も少ないそして広角気味にすると目立たなくなるということだった。あまり深く気にする必要はないのかもしれない。

久しぶりに海を背に走る列車たちを楽しんだ後は越後線の未撮影駅舎などをしながら帰路に就いた。午後は「トランスイート四季島 001系」からスタートである。 

2025年6月17日火曜日

梅雨空の柳都shukura

 



2025年6月15日 上り上越妙高行き 柳都shukura

この付近は第4種踏切りが多くタイフォンを鳴らして通過していった。この日の午前は梅雨空だったが午後に雨が止んだ。


 EF510-19 3098レ 柳都shukuraの10分後くらいの通過。

下り普通 E129系4連

 EF510-509 3097レ 

わずかな時間に多数の列車が通過した。梅雨空も収まったひと時。 

 

2025年4月17日木曜日

柳都shukura

2025年4月13日 E653系「しらゆき」1号 51M H02編成 この塗装が復活して1年。
E129系 下り普通
下り柳都shukura キハ40系 

強風注意報が発令。このあと風雨が強くなった。春に三日の晴れなし。
 

2025年4月11日金曜日

弥彦線臨時快速夜桜shukura

2025年4月10日 キハ40系 夜桜shukura

飲酒立ち飲みエリア
売店車両と立ち飲み限定の部屋
指定席はキハ40552


 行先表示が分水となっている 車内は食事を楽しむ乗客が多数。

毎年恒例の新潟~新津~東三条~吉田~分水間運転の夜桜shukura。ことしは雨の夜桜となりそうだった。それでも帰宅の列車を待つ学生たちと夜桜shukuraの乗客と手を振りあう光景や大勢の帰宅者がいて賑わいを見せるホームの光景を眺め遠い学生時代を思い起こすことができた。

かつて115系があったころはイベントで信越本線~弥彦線への列車の入線もたびたびあったが現在はこの列車だけとなっているようだ。

 

2025年3月14日金曜日

新潟車両センター新津派出

2025年3月8日 GV-E400‐1、キハ111‐201 キハ110‐211
新津派出な並ぶキハ48越乃shukura、キハ110系、GV-E400系 

主力がGV-E400系、古豪キハ48系越乃shukura、キハ110系・・・・3世代が集う。

午前のこの時間気動車の入出庫を眺めて楽しめる時間がある。

2024年11月26日火曜日

柳都shukura 晩秋の越後平野をゆく

2024年11月24日 上り上越妙高行き 柳都shukura
 
水田はすっかり黄色く変わって冬を前に枯れ野へと変わっていく。晩秋の越後平野。霜月から師走へ季節は急激に歩を進める。

2024年10月1日火曜日

彼岸花~柳都shukura

彼岸花 秋分の日の頃に見ごろになる。ときどき蒸し暑い日もあるが、ようやくしのぎやすい気候になった。
 
2024年9月29日 上越妙高に向かう「柳都shukura」
9月も終わりが近い。ほとんどの水田は稲が刈り取られたが、まだ一部残っていて農家は刈り入れの追い込みとなっていた。

スーパーを覘くと新米が多数置かれてもう不足することはなさそうだが、価格は1.5倍アップしコシヒカリだと昨年の2300円くらいが3300円以上となっていた。

暑さ対策や、そもそもの燃料や肥料の高騰などコストが増えたためという。

2024年9月2日月曜日

初秋の鯛茶漬け~柳都shu*kura

2024年9月1日 9481D 柳都shukura キハ40558

この列車がデビューして10年を経過したが見る(撮影)だけで乗車することが無かったが、JR東日本で運転される最後のキハ40系であることを考慮して乗車した。

車体はかなり魔改造され前面のみがキハ40系で側面は面影が消失、依って人気もなかったようだが車齢も40年を超えいつ引退になってもおかしくない状態と考え重い腰を上げた。

上越妙高から運転され長岡では後続の特急「しらゆき」3号に道を譲ってゆったりとした速度で新潟に向かう。長岡は11時51分発、途中東三条と新津では少し長めに停車新潟には13時5分着。

乗車はワンデー乗車券(1570円と指定券849円)


 

キハ40554の車内。座席間隔は1メートルを超えてグリーン車並みのようだ。リクライニングシートもかなり倒れる。ただ足載せはなく座席は普通車仕様であるが。それでも今まで乗車したキハ40系の中ではかなり豪華な車内で、快速列車そして指定券で乗車できるのがうれしい。(他社だとグリーン車または特急列車扱いである)

キハ40は足回りが空気ばねであり気動車では急行型グリーン車だった今は亡いキロ28より乗り心地が向上していると考えられる。キロ28はコイルバネであり揺れが大きかったかもしれないが。ただこれらが現役一線の頃は誰もそんなことは考えてもいない・・・・

リクライニングシートを倒してそんな気動車の急行があったころを思い起こすのも悪くはない。

2号車のフリースペース。コロナ前はジャズの生演奏がされていたが現在はテープ演奏のようだった。

窓側に立ち飲みが可能な小さな長テーブルがある。飲酒を楽しまれる方は売店でお求めになったお酒をこの上にのせて車窓を愛でながらお召し上がりになっていた。

格子の窓枠が和の趣を演出する。床も木製。皆さん思い思いに酒を交わす。窓側の長テーブルはビュフェを思い起こさせる。


買い求めたのは柏崎名物「鯛茶漬け」 テーブルに乗せてみた。
食事物としてはのどぐろだし茶漬け、他に弁当が多数。

おつまみが多数。価格は800円。カウンターの奥に電子レンジやコーヒーサーバーが置かれ簡単な調理が行える。注文した鯛茶漬け調理中。カウンターの女性酒を注文しないので怪訝な顔をされてしまった。駅に車を置いて運転して移動のため飲酒運転できない。また酒に関心が薄いためである。酒臭い列車と思い今まで敬遠していたがこの日の時点では悪臭は感じず、泥酔している乗客にも遭遇しなかった。

三条市の水田地帯を走る。稲刈りが本格的に始まった。店頭から米が消えて大変な状況の中稲刈りに精を出される農家様に感謝をするしかない。

柳都shukuraは長岡~新潟間は水田地帯を走るのみで絶景はないが黄金の水田は迫力を感じるかもしれない。

東三条で5分停車。自販機に向かう人や改札を出てNEWdaysにて買い物をする人も。

列車は新津から速度を上げ新潟駅は定刻13時5分の到着。列車を降りると高温が襲う。

新潟県内は台風のことを忘れるほど良好な天気だった。


 

上りの上越妙高行き。皆さん黄金の水田地帯の風情を堪能されているのであろうか?

動く列車内で温かい食事をするのも30年以上ぶりのことだった。

お品書き 






2024年7月10日水曜日

只見線キハ40550

2013年7月22日 只見線 キハ40550とキハ40502の2連

2011年7月の水害で小出~只見間と会津川口~会津若松間に分断されていた時代。復旧はさらに9年後。

東北色キハ40と青髭の新潟色キハ40のペアという今考えれば異色の編成。これが当たり前の日常だった。東北色は只見線を運用する郡山の所属だったが小出方面での車両の不足で新津に転入ししばらく東北色で走っていた。

梅雨も終わって緑のじゅうたんのようになった水田地帯を走る。