庭坂をでた列車はここから米沢手前まで険しい最急勾配38‰「板谷峠」を走ることになる。赤岩、板谷、峠、大沢の各駅はスイッチバック駅であったが1990年山形新幹線乗り入れ工事に際して廃止されている。 頂上は峠駅付近標高は625m(スイッチバックの各駅は1949年(昭和24年)9月に通過線がさらに1968年9月22日に直流から交流に変更庭坂~赤岩と大沢~関根の区間が複線化
1970年(昭和45年)6月30日赤岩~板谷間複線化残りの板谷~峠間複線化は1971年(昭和46年9月17日であった。(直流電化は1949年4月24日でEF16 1~12が投入のちにEF64に代わった)
この区間の列車に乗った際の感想は庭坂を出たところの大カーブの展望と次々やってくるスイッチバックの駅そして無人の山間の風景であろう。旧型客車の列車で振り回されたのも今は楽しい記憶。
仙山線山寺付近を行く455系「仙山」 1984年11月3日
山形~宮城県境の面白山付近にサミットがある。最急勾配は33‰
1983年10月 奥羽本線庭坂付近 485系「つばさ」福島と秋田の区間を結ぶ東北新幹線とのアクセス列車が中心だった。(一部上野直通あり他山形~上野間の「やまばと」もあった)
1982年7月 信越本線関山付近 EF62 6牽引普通列車がスイッチバックを出て長野に向かう。
直江津~長野間の322レ 新井から豊野まで25‰の勾配がある。サミットは黒姫付近。 標高は672m関山駅は手前の二本木駅とともにスイッチバックで明治19年(1886年)8月15日 直江津~関山間の直江津線開通と同時に設置。1985年10月28日長野寄りに新駅が作られスイッチバックは廃止。2015年3月の北陸新幹線開業後「えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン」として再出発。妙高高原と長野の区間は「しなの鉄道北しなの線」となっている。
上越線を走る特急「とき」183系 町並みは越後湯沢付近。石打と水上の区間清水峠越え。勾配は20‰ 標高は677m土樽~土合間の茂倉信号場付近がサミット。
現在貨物列車はEH200がすべて牽引しているがそれまではEF641000番代重連それ以前の1980年10月ダイヤ改正前はEF16とEF15重連 一部旅客列車はEF16とEF58重連であった。戦時中はEF13などが使われていた。清水トンネルは1931年(昭和6年)9月1日完成で延長は9,702m。湯檜曾と松川のループ線がある。半径は400m。1967年(昭和42年)9月28日新清水トンネル13,500mが開通勾配は20‰ この区間のEF16は20~31で20~29が水上機関区に配置。長岡運転所に11と12そして30と31が配置されていた。1978年のダイヤ改正までは直江津~長岡操車場間運用があり昭和40年代には新潟付近にも運用されていた。
EF16とEF15そしてEF16とEF58が汽笛を鳴らして協調運転する光景が 印象深い。夜の石打の光景である。今はそれもないが。
1981年1月3日 山陽本線瀬野 列車から撮影
瀬野八越えである。22.5‰ EF59重連の貨物列車の後押しで知られている。
置き換えにEF60改造のEF61200番代もあった。 いまは瀬野機関区は痕跡もないようだ。
EF59の置き換えはEF67が担ったがEF60からの改造車はすでになくEF65からの改造車が少し残っているようだ。あとはEF210-300番代「押し太郎」が重責を担っている。
1980年12月31日福山から広島まで乗った普通列車。福山の時点では満席の列車も気が付くと筆者だけ。暗闇に浮かぶEF59の姿は不気味ではあったがいよいよ広島まで遠路やってきた実感というか旅愁を感じたのも思い出。その日は広島で夜行列車の撮影を深夜まで行った。 蒸気を空に吐き出して移動するEF58やEF61のすがたが印象に残っているが闇にたたずむEF59のすがたも見事であった。
以上がピクトリアルの特集にまつわる個人的な雑感