2020年5月13日水曜日

特急「谷川」の残影

石打駅で見かけた特急「谷川」の14時35分発の看板。 1982年11月15日に上越線水上~上野間の特急として登場したがスキーの輸送で石打まで乗り入れていた時代があった。
1982年11月15日ダイヤ改正では石打14時27分で越後湯沢発14時35分上野到着17時30分。3時間程度の道中だった。



現在は上越線には特急列車の運転は「草津」の乗り入れのみで水上方面への運転はない。
石打の特急「谷川」の看板もよき時代の遺構である。 この看板は石打駅にあったものかどうかはわからないが・・・
JR東日本移行後の昭和63年ダイヤ改正後の新特急谷川6号のものだった。石打の発車は14時36分で上野到着17時35分で看板の時間と一致する。この列車はスキーシーズンの3月13日と19日から21日の運転時刻となっていた。豪雪地帯のこのあたりまだまだスキーは可能で利用も多かったかもしれない。


この谷川号の看板の裏手には
こちらの階段をご利用くださいとあるので「谷川」の看板は廃品利用である。

上越新幹線開業で石打の地位は低下して昨今のスキーの不振もあって低迷しているようだ。
現在、駅前の土産物店は全て廃業している。石打の界隈でお店が開いているのは石打丸山スキー場の近くだけになってしまった。

国鉄時代の上越新幹線開業前も石打はスキーシーズン以外は閑散としていたがそれでも1件だけは店が開いていた記憶がある。集団で石打で列車撮影会を行い 次の大沢駅付近で降りて撮影会の続きをするツアーに参加したが参加者の多くは駅前の店でカップ麺を買い列車に乗り込み次の大沢で降りて食べる段取りだった。一般の客からは奇妙な光景に見えたと思う。
今では懐かしい記憶。いまは店が無いので何かを買って乗り込むこともできない。

*急こう配の有る水上と石打の区間には補助機関車運用があり石打では開放や連結があった。運用を終えた機関車についてつぎの運用までの間撮影が許可された。もちろん許可新線を行ったうえで。
この時代も貨物列車は夜間が多く日中はそれほど多くはなかった。それでも11時から16時の間までで4~5本運転を見かけたが。
石打の補助機関車の連結は1988年のダイヤ改正まで続いていたがその後南長岡に変更され石打での連結はなくなった。
上越線の補助機関車の話も貨物列車はEH200型がらくらく走破する今となっては 遠い時代の話題に過ぎない。