2018年12月30日日曜日

平成最後の年の瀬前編

2018年12月16日 新津駅から キハ40系shu*kura、国鉄色キハ47、キハ48の2連、リゾートしらかみ(青池編成)、さらにGV-E400型など・・・

年末になり冬型が強くなり時折強風が吹き荒れ、雪も積もってきた・・・
新潟県の年末年始の様相である。先日の天皇誕生日で陛下が最後の誕生日の挨拶をされていた。あと半年たたないうちに平成時代が終わる。長かったような短かったような平成時代・・・
一番の思い出は1996年10月のベルギー国王来日に伴う東北・両毛線で運転されたEF5861牽引の1号編成お召し列車であろう。大勢の撮影者に交じって見送ったのも思い出である。
撮影場所は400名くらいがあつまり、警備の警察官も多数・・・・
激闘の一日であった。1号御料車では両陛下が窓を開け手を振られておられた・・・

ほかEF81置き換えの新型機関車の製造もなかなか難儀であり、平成の初めに登場したEF200、EF500であったが諸処の問題でうまくいかず東海道線などで使うEF200は登場したものの本来の能力を下げて使う始末、交直両用のEF500は量産されず、実用的なスペックのEF210が1996年に登場し派生バージョンとして東北本線のEH200が先に出て、その後山岳用EH200と同時に2001年EF510の1号が登場。その後も増備は遅く完全に置き換わったのは2016年のダイヤ改正からだった。EF510はJR東日本にも登場し「北斗星」「カシオペア」用500番代が15両あるがこれも寝台特急廃止のあおりで短い活躍に終わって貨物に合流でようやくの縦貫線新性能化が実現したが15年以上もかかっている。
EF510も相当な「苦労人」であることに偽りはない。


さて前振りはそれくらいにして本年の見分・・・といっても遠征もほとんどしないうえ撮影者が集結するような場所に出向くこともしてないが・・・

主だったものは1月親戚の弔問で関東へ・・・
久しぶりにEF210のタンクを眺めた・・・また201系の「むさしの」号で武蔵野線を乗車帰りは皇居を探訪 インバウンドさんがあまりに多く圧倒された。このころ新潟県の信越本線で豪雪のため列車が立ち往生し乗客多数が閉じ込められるという事件が発生した。幸い死者はなかった。
この豪雪以降ことしの漢字が「災」であるように 大阪北部の震度6弱の地震、西日本豪雨、40度越えの猛暑、台風21号の大阪付近の災害、北海道胆振地方の震度7の地震と次々起きていく・・・・

こちらでは115系の70系新潟色が一時的に2編成となって仲良く重連運転したり同色交換があったりと楽しませていただいた。
また485系NODOKAが引退した。
 2月は豪雪そして3月は1978年に旧型の70系電車を置き換えた115系がすべて引退した。
現在残っている物は2013年以降に長野から転入した7編成である。ほかL99長野色4連もあったがこれも高崎の115系廃車処理の運用についたのち廃車となっている。

3月は村上にてE653系のはまなす色、瑠璃色、いなほ基本色が並ぶイベントがあり参加。
町屋のおひな様を見聞しつつE653系のカードを集めた。
また 地平の新潟駅の最後の利用となった。4月15日に高架となったためである。
3月25日は羽越本線新津始発となったC57180「SL村上ひな街道」を。坂町の保存機「D51735」の公開もかねて参加。坂町ではOBさんより解説も聞くことができ有意義な春の一日であった。また坂町の転車台も見学した。
このときは押入れから出てきた古いレンズシャッターカメラを使いフイルム撮影を行う。
白黒撮影を行ったが本体価格、現像価格、焼き増しもきわめて高価となり贅沢な行為となってしまった。なお国産フイルムは富士フイルムは製造を行わないアナウンスがされた。戦前、戦中、戦後、と歩んできた白黒フィルムがいよいよ途切れる・・・
4月14日は新潟駅の構内切り替えが行われる前日。長岡方面列車は新潟まで行かないで越後石山止めとなりE653系の「らくらくトレイン信越」は単なる快速「直江津行き」となって運転。仕事帰りE653系に初乗車となった。料金なしでも新潟駅とつながっていないためほぼ空席状態だった。


5月は3日に四季島の新津駅入庫を見聞、また鉄道資料館を訪ねて保存車両内部を見学、東三条で四季島の見送りを・・・雨であったが多くの方が見送りされていた。またC57180のばんえつ物語も見分。
5月4日は月潟駅の保存車の公開を見学、ボランティアさんにいろいろ解説をしていただいた。また115系N40新潟色を越後線で見分。
5月5日はくびき野レールパークを見学し(この日は出店無)午後は越後線で115系。
この日の朝の3371M快速は115系N38湘南色だった。
5月12日は新しくなった新潟駅を見聞。5月26日は越後線、信越本線、飯山線、ほくほく線、只見線の串刺し撮影を行った。新しくなった国道253号線新八箇バイパスも初通行した。この日は旧高柳町の荻ノ島集落を見聞。多数あったかやぶき農家も半減し無人と思われる住宅も。急速な過疎化と高齢化が進んでいることを実感した。
6月は23日に解体が進む新潟駅地平ホームを見聞した。4番線から奥は高架に飲み込まれ1~3番は解体が進行中。思い出多い地平ホームも消え去る直前の見分。
 新潟日報事業社の写真集「新潟の鉄道百年」には旧新潟駅(現新潟駅から5分くらい。代々木ゼミナールの前付近)解体の写真が掲載されているがまたまた新潟駅の解体場面に遭遇できる時が来るとはこの本を購入時点ではまったく想像すらできなかった。


8~9番は取り残された離れ小島となっていた。新幹線と「いなほ」への乗り換えはスムーズになったかもしれないが白新線、信越線と越後線の乗り換えは場合によってはタイトになるケースも多数ある。


7月分は後ほど