2025年10月5日 EF510-7 3098レ 札幌貨物(タ)~福岡貨物(タ)高速B
西濃運輸コンテナと高鮮度高品質保持物流コンテナ高鮮度高品質物流コンテナ 東札幌日通
このあと行きつけの店に。北海道での高温と豪雨の影響で玉ねぎが不作で値上がりするという記載を見つけた。売り場の玉ねぎはニュージーランド産だった・・・・・
このあと行きつけの店に。北海道での高温と豪雨の影響で玉ねぎが不作で値上がりするという記載を見つけた。売り場の玉ねぎはニュージーランド産だった・・・・・
この日勝田電車区E653系 K70編成国鉄色で団体臨時列車が運転された。
青森を9時10分発上野23時過ぎの到着。14時間の耐久レースである。
上野発青森行きは夜行区間がありかつての寝台特急「あけぼの」をイメージできた。
青森発上野行きは「いなほ」2号、3号と1982年11月15日に運転を開始した特急「鳥海」を思い出させた。
踏切り工事の資材が行きつけの撮影場所に。昨年8月に工事が開始され、架線柱の移動がされた後は動きがなかったが、古い踏切がはがされ、拡張工事が始まった。
資材も搬入されて工事開始を待っていた。
*この踏切りが出来上がると、国道289号と国道403号との結節がスムーズになり利便性が向上するが、のんびり列車ウォッチやウォーキング難しくなるであろう・・・
広島車両所で保管されているのはEF67105のようだがEF67は画像のものしかないので代用する。
左手にEF30も見える。この日の展示は吹田機関区保管車両だった。EF30は横川の碓氷峠鉄道文化むらで 見ることができるが、EF67は解体されるとこの世から完全消滅になるようだ。
ほかにD521も解体されるという。非常の世界に他ならない・・・・
特に珍しくないのか誰も撮影をしていなかった。
EF200も1両広島車両所で保管されている。EF200-10であり、EF500-901と運命を共にするという。
車籍抹消後JR貨物広島車両所で保管されていたがついに解体されることになった。
東北本線系統のEH500、日本海縦貫線のEF510の起点となる形式。EF500は結局試験運用のみで量産はされず引退。後を引き継いだ日本海縦貫線EF510も長期の生産で主流になったのは2016年のダイヤ改正から。EF510も相当な苦労人である。
参考 沖田祐作著 機関車表から
形式=EF500 番号=EF500-901
製 造 所 車 体=川崎重工業兵庫工場
電装品=三菱電機
製 造 年 1990年
軸 配 BBB
重 量 100.6t
定格出力時 6000Kw
電動機形式 FMT1=1000Kw×6
歯 車 比 :=1:4.44
制御 方式 PWM電圧型インバーター制御
台車 形式 FD1 FD2(中間)
車 輪 径 1120㎜
記 事
掲 載 誌 日本製機関車製造銘板・番号集成=渡邊リスト
機関車情報
番号 製造所=製番=電装品製造所 製造年 種別
EF500-901 川崎重工業兵庫工場=806/=三菱電機 1990-07-00 E100.6tBBB(1067)
車歴;1990-07-00製造→納入;JR貨物;EF500-901→1990-08-22配置;新鶴見→
1996-09-16長町機関区→改称;仙台機関区→1998-00-00頃保管;広島車両所→
2001-10-01現在;仙台総合車両所→
2002-03-29廃車;広島車両所(保管場所?)→保管;JR貨物広島車両所
わずかに残っと稲を刈り取る農家さん・・・この列車が通過することには撤収されていた。ミュージックホーンが水田に響き、のどかに走り去る。土曜午後の光景。
この日の午前は同居親族の一周忌法要を菩提寺で行った。おもえば1月1日に年始と同時に申し込みを行っている。まだ雪のないころで、その後2月は豪雪、3月は後半から気温が上がって真夏日の日もあった。また雪が降って桜の頃、水田に田起こしが入り、連休前後から田植え。今刈られている水田は5月下旬の田植えのものだ。その後空梅雨の6月、猛暑の7月。
7月終わりに新盆を寺院で勤め、大雨と猛暑が交互にくる8月と9月。彼岸が終わってようやく涼しくなって秋を感じる。
法要はお経と参列者の正信偈の拝読、法話そしてお墓参りで解散とした。
寺院の当院さんの普段通り元気に過ごすことが何よりの供養ですという言葉を胸に日々を過ごしたいと考える・・・・
さて気になるコメの価格、行きつけの直売所で特別栽培コシヒカリ4900円税込み、特別栽培こしいぶき4500円、並みのコシヒカリ4600円だった。
自民党の党首は高市さんが当選。
2088レ通過10分前。夜明けそして朝日。水田の稲は刈り取られて切り株と水たまりが目立つ。
午後行きつけの店に出向く。新米が出たが税込み5,000円弱。 ふと脇を見るとまだ備蓄米があったのでそっちを買ってしまった。
切り株だけの水田と低い山。蒲原鉄道 加茂~村松間の大部分は人口希薄地帯である。並行する道路も貧弱で、このため蒲原鉄道が 重責を担っていた。南蒲原の加茂と中蒲原の村松とは結びつきがそれほど強くなく、鉄道経営は最初から苦戦の連続であったという。
冬は道路が貧弱で除雪が追い付かないことも多く、沿線唯一のスキー場「冬鳥越」に訪れるスキーヤーの輸送もあって増結編成が走ることもあった。
この撮影地は冬鳥越から村松寄りで高松駅(停留場)から歩いて10分程度のところに「金割鉱泉」という温泉設備を備えた宿があった。ラジオでCMも流れていて有名だったと記憶する。蒲原鉄道加茂~村松間では宿から鉄道が見えることで知られていた。
加茂市の図書館にあった「蒲鉄時代」という書籍に、蒲原鉄道の社員が忘年会のため村松を17時台に出る加茂行き電車で高松の「金割鉱泉」を訪れて忘年会を行った記述があった。鉱泉とは低温な温泉であり過熱しないと入浴には適さないものをいう。
入浴の後座敷で宴会となるが今日のような「オードブル・・・本来は前菜という意味だが、これは盛り合わせ料理という意味に使われ前菜から、メイン、デザートまで盛り合わせている)はなく個々のお膳に村松の名物鯉料理一式が乗りそれらで宴席が営まれた。
帰宅は村松行きの終電で普段無人でひっそりしている高松駅で大勢の蒲原鉄道社員が土産の折り詰めをもって乗車する光景は他の乗客を驚かせるものだったらしい・・・・
この「金割鉱泉」は2000年代に経営者が亡くなり廃業されている。
村松の鯉料理は金割鉱泉ではなく村松町三の宮の養鯉場がある料理店でかつて勤務していた職場の各位と忘年会をした際に食べたことがある。鯉のあらいは刺身風のもの、鯉こくはみそ仕立ての汁物、他に鯉の甘露煮を頂いた。泥臭さは全くなく(養鯉場での養殖のため)おいしかった。ほかに「鯉」をたべたのは奥信濃秋山郷の宿であろうか・・・
水田の稲は刈り取られ、切り株だけになった。うだる暑さも収まり、秋の深まりを感じる。これから秋晴れと秋雨を繰り返して冬にむかう。
青空を背に走るE653系「上沼垂色」 最近割引きが始まったのか乗客が幾分増えたように感じる。
北越コーポレーションコンテナを多数積載した高速貨A4059レ。牽引は青いEF510-502牽引。刈り取られる直前の稲との組み合わせ。この4059レは最高時速が100キロであり、最高時速95キロ高速Bの列車より 寝台特急列車のイメージに近い印象となる。
3097レ 最後尾 ブルボンコンテナはなかった
家事や雑用の合間にのんびりと貨物列車をながめる。午後の静かな時間が過ぎていく。
誰もいない場所で話題にならないものを静かに見分するのは最高な至福の時と言えよう。