切り株だけの水田と低い山。蒲原鉄道 加茂~村松間の大部分は人口希薄地帯である。並行する道路も貧弱で、このため蒲原鉄道が 重責を担っていた。南蒲原の加茂と中蒲原の村松とは結びつきがそれほど強くなく、鉄道経営は最初から苦戦の連続であったという。
冬は道路が貧弱で除雪が追い付かないことも多く、沿線唯一のスキー場「冬鳥越」に訪れるスキーヤーの輸送もあって増結編成が走ることもあった。
この撮影地は冬鳥越から村松寄りで高松駅(停留場)から歩いて10分程度のところに「金割鉱泉」という温泉設備を備えた宿があった。ラジオでCMも流れていて有名だったと記憶する。蒲原鉄道加茂~村松間では宿から鉄道が見えることで知られていた。
加茂市の図書館にあった「蒲鉄時代」という書籍に、蒲原鉄道の社員が忘年会のため村松を17時台に出る加茂行き電車で高松の「金割鉱泉」を訪れて忘年会を行った記述があった。鉱泉とは低温な温泉であり過熱しないと入浴には適さないものをいう。
入浴の後座敷で宴会となるが今日のような「オードブル・・・本来は前菜という意味だが、これは盛り合わせ料理という意味に使われ前菜から、メイン、デザートまで盛り合わせている)はなく個々のお膳に村松の名物鯉料理一式が乗りそれらで宴席が営まれた。
帰宅は村松行きの終電で普段無人でひっそりしている高松駅で大勢の蒲原鉄道社員が土産の折り詰めをもって乗車する光景は他の乗客を驚かせるものだったらしい・・・・
この「金割鉱泉」は2000年代に経営者が亡くなり廃業されている。
村松の鯉料理は金割鉱泉ではなく村松町三の宮の養鯉場がある料理店でかつて勤務していた職場の各位と忘年会をした際に食べたことがある。鯉のあらいは刺身風のもの、鯉こくはみそ仕立ての汁物、他に鯉の甘露煮を頂いた。泥臭さは全くなく(養鯉場での養殖のため)おいしかった。ほかに「鯉」をたべたのは奥信濃秋山郷の宿であろうか・・・