いなほ14号 E653系
日没の進む新潟県北部の越後寒川駅を特急「いなほ」が通過する。わずかな残照を側面に受けて走る。待避する新津行き普通列車は15分以上の停車。わずかな乗客も日没の海を眺めたり、電話をしたりして過ごしていた。
”鉄暮らし”に関する雑記
日没の進む新潟県北部の越後寒川駅を特急「いなほ」が通過する。わずかな残照を側面に受けて走る。待避する新津行き普通列車は15分以上の停車。わずかな乗客も日没の海を眺めたり、電話をしたりして過ごしていた。
2025年7月13日 新潟車両センター新津派出
11時3分発下り秋田ゆき 基地を出てホームに向かう。新津駅はおもに家族連れで盛況となっていた。
西山駅側線 保線の待機用か? 貨物線の跡か。
かつてこの駅も油田関係の貨物列車が出ていた。貨物列車は1976年9月10日廃止。
柏崎方向 交換可能駅である。かつては中線もあったようだ。石碑・・・駅の新設に尽力された方だろうか?
西山駅は駅裏手を国道116号線が通り、4車線の快適な道路となっている。いまはこちらが主流である。 駅舎側にはそこそこに町がありやめてしまった店もあるがそれなりの人口を抱えていた痕跡を感じる。車社会になる前は越後線が人の移動も貨物の移動もすべて引き受けていた時代を思い起こすことができる。
この西山は朝最後の115系の交換が見られる駅であった。115系を見ようとする人が何名かいて記録に励んでおられた光景を思いだす。115系が消えて3年が経過撮影者の姿を越後線で見ることはなくなった・・・
矢作駅は終点の弥彦駅の存在に霞むような印象の薄い駅である。それでも駅近くには1982年に建てられた大鳥居、弥彦村役場、JAなどの建物が並んで周辺には住宅も多い。
電化は1984年4月8日 H型の柱に長管碍子をつけてき電線を付け、架線は直接吊架線という簡易な電化方式で最高速度は85キロだった。115系で運転されすべて各地から来た車両を改造して用いられた。
水田と農村だけの単調な風景をのどかに走る。越後線吉田~柏崎間は1日8往復程度の運転でワンマン列車が主力