1986年6月 クモヤ90101と115系中間電動車2両とクモヤ90006 (新潟運転所上沼垂支所 撮影会に参加してのもの)
鉄道ピクトリアルの特集は72系旧型国電。首都圏や近畿圏、名古屋周辺で通勤輸送に用いられた20メートル車体で4扉の電車のことである。新潟県内は配置がなかったが写真のクモヤ90型牽引車とクモニ83型荷物電車が国鉄末期まで走っていた。 クモヤ90は181系電車があったころは茶色+湘南+特急の混合などで走ることも多かった。
国鉄が分割民営化されて30年が過ぎた現在これらの車両も存在しない(1両がモハ63638として名古屋のリニア鉄道間に保存されている)
筆者の乗車・撮影履歴は広島鉄道管理局の可部線と金沢管理局の 富山港線のみ。ほか東神奈川電車区で休車になっていたものを見た程度である。
さてなじみのない72系はこれくらいにして雑感を
白土貞夫さんの絵葉書の中の国鉄ローカル線のコーナーがあり第33回は弥彦線。
1916年10月16日越後鉄道の西吉田(現:JR東日本吉田駅)~弥彦駅間開業。
駅舎は今と変わらず。 戦前の観光や行楽は寺社参拝が多かったようでそれらをイメージした駅舎が多く見られた。
弥彦駅も弥彦神社への玄関口であった。またすぐ裏手に弥彦公園があって園内に越後鉄道に携わった久須美東馬の銅像も
絵葉書は周りに建物が無くがらんとしている。(第1枚目)
第2枚目は弥彦駅の構内で今はない対向ホームがあった。通常使用されておらず祭礼や正月の臨時列車をさばくのに使われたかもしれない。
第3枚目は北三条駅であるがこちらは本願寺づくり。仏教建築である。浄土真宗東西本願寺の別院があり「おとり越し」という宗祖親鸞聖人の法要には大勢の参拝客が訪れていたと思われる。
北三条駅は、1962年に改築された。その後1997年に高架開業したため高架駅となりJR東日本の新潟県内唯一の高架駅である。
仏教建築の由来となった北三条駅近くの西本願寺別院は長岡市与板地区に移転してこちらも存在しない。現在は東本願寺別院が残るのみである。
弥彦線と言えば通勤型気動車キハ30、35型が知られているがもし越後鉄道が電化されて開業しそれが国鉄に買収されて戦後の大混雑時代を迎えていれば72系が走っていたかもしれない。その後開業するであろう新潟~長岡間の信越本線を含めて・・・・・
弥彦線は電化が1984年でキハ35系に代わって115系が導入された。クロスシートのある近郊型だったが、すでに大混雑時代を作った燕の洋食器などの産業拠点も駅周辺から郊外に移転して通勤手段はマイカーになっていたので通勤型電車が入り込む余地もなかった。(ロングシートを入れる可能性もなかったわけではないがその場合105系か115系をオールロングシートに改造するかされただろうと思う。4扉の103系が導入されたかどうかはわからない)
1960年代の信越本線新潟~長岡間電化の頃は新津~新潟間の通勤事情は悲惨さを極めていて70系どころか72系を望む声もあったと言われている。 もっとも70系と72系、さらに80系と戦前型を混ぜた編成が走り回っていたかもしれないが・・・・・楽しい妄想である。
新潟県内でも72系が走ったことはあるようで昭和39年(1964年)6月19日に発生した新潟地震で新潟駅の転車台が被災したため首都圏から電車を大量に借り入れて混乱をさばいている。そのなかに三鷹電車区のクハ55、モハ72、クハ76と津田沼電車区のクモハ41、モハ72、クハ79があった。(参考文献 鉄道ピクトリアル2002年2月 特集モハ70系電車より新潟地区で活躍したモハ70系電車の思い出 瀬古龍雄)
今は故人の瀬古龍雄先生の記録から・・・・
三鷹電車区 クハ55523、モハ72853、モハ72854、クハ76036
津田沼電車区 クモハ41047、モハ72167、モハ72229、クハ79206
ほかに新前橋電車区から80系を借りていた(内容省略)