2024年12月31日火曜日

愛するひとよそばにいて~消えゆくものへの鎮魂歌 1984年の記憶から EF58146

1980年5月3日 EF58146 〔宮〕 東海道貨物線

1982年8月15日 山陽本線

1984年3月31日 東海道・山陽本線の荷物列車牽引に長らく活躍してきたEF58がEF62に役割を譲って運用が終わった。多くの人々に愛されたEF58が主戦場から退くことは大きな意義を持っていた。2月にダイヤ改正がされ貨物列車の大幅削減、ここには信越本線の高崎~坂城間の列車も含まれていた。余剰EF62を東海道・山陽線に転属させ、暖房方式も蒸気暖房から電気暖房に変更された。1983年の暮れにEF58が東海道・山陽線の定期運用から撤退することは多くに知れ渡り、多数の見送りの人々が沿線に集うことになった。

ダイヤ改正後は各地配置のEF58は下関運転所に集中配置となりEF62の運用開始までの間最後の任務に就くことになった。

厳しい豪雪の1984年の冬EF58は精一杯蒸気を噴き上げて残りの使命を励んでいた。荷物列車の定期運用でEF58の最終となったのは3月29日荷2031レで大阪駅でEF6232に交換されEF58牽引の定期列車が終わった。この列車の牽引機はEF8146であった。この日は晴れのすがすがしい日であったという。(EF58は雨の日も雪の日も果敢に走っていたのであるが)

ずっとそばにいてほしいと願っていた人々に見送られEF58は舞台から去っていった。後任のEF62も2年後1986年10月ダイヤ改正で荷物列車とともに引退した。

沖田祐作 機関車表から履歴

 EF58146 東芝府中工場=302501-1 1957-11-10 E115.0t2CC2(1067)
車歴;1957-11-10製造→納入;国鉄;EF58146→1957-11-20竣工→
配属[達51];関西支社→1957-11-21配置;宮原→1965-03-16借入;広島→
1965-04-05返却→1984-02-01下関→1984-11-05廃車;下関

この機関車はエアフィルターが原型で窓もHゴム化されておらず比較的原型に近い形状だった。

原型の窓の東海道EF58は寒冷地仕様の上越型EF58とは別物と言えるくらいの違いを感じた。この機関車が意識して東海道EF58を見た最初の1両だった。

表題の「愛するひとよそばにいて」・・・とは当時ヒットしていた女性2名のアイドルユニットの曲の中からいただいてみた。EF58が終焉を迎えようとしているこのころヒットした曲でEF58の鎮魂を思い浮かばせた。この曲を聴くと当時の光景が思い浮かぶ。むろん単なる感傷にすぎず、曲とEF58の引退とは全く無関係であるが。

もう40年前の出来事である。

 

2024年12月30日月曜日

大正14年時刻表~越後鉄道


 復刻時刻表から 大正14年(1925)越後鉄道時刻表

白山~柏崎間と弥彦~燕間時刻が掲載。前年の11月1日現在。大正14年4月1日に弥彦線が燕~一ノ木戸間が開通する。この時刻表ではまだ記載されていない。昭和2年(1927)一ノ木戸~越後長沢間が7月開通し10月には鉄道省に買収。越後線と弥彦線となる。

この時刻表では白山~西吉田間が7往復。西吉田~大河津間7往復、大河津~柏崎間6往復で柏崎~比角間に1往復の運転。2等と3等運賃の記載がある。

弥彦~燕間は9往復の運転でほかに区間運転がある。弥彦線はすでに3等車だけとなっていた。


車両は越後鉄道からの引継ぎ車両で運用されていった。弥彦線は1760型蒸気機関車と木造客車で昭和11年(1936)機械式気動車が導入される。

客車は買収当初は越後鉄道からのものが中心でのちに鉄道院基本型も使われているのか?

新潟支社三十年史の鉄道局の開局の頃のリストを見るとナロハ 11500、ナロハフ11800、ナロハフ11850が計8両、さらに22000系のナロ20700が13両、ナロフ21200が3両、ナロフ21250が5両、全室2等のナロ20700が13両、ナロ20850が1両配置され、新潟局は長野、山形、秋田の各地域も管轄のためどこにどの程度配置があったかは分かりつらいが越後線などだと半室車両で足りると考えられる、おそらくは鉄道院基本型の2等室がロングシートのものが入っていたのかもしれない。

昭和15年の時点では越後線も弥彦線も3等だけになっている。

 

 

 

 

2024年12月29日日曜日

GV-E400 冬時雨

2024年12月28日 新潟車両センター新津派出 キハ40系shukuraとキハ110なども待機。


新津駅に到着 磐越西線からの回送 4連 GV-E401-6他

 

GV-E402‐5 出区
GV-E402-3入区

ふと新津の気動車が気になり時雨の中見聞。キハ110もわずかに運用が残っているが今後は?すでに登場して30年以上が経過してしまった。

非電化区間は戦前の機械式気動車(ガソリンカー)から始まり、電気式気動車が試作されたが液体式気動車にとってかわられて、国鉄時代の主流となった。

分割民営化後しばらくは液体式気動車が主流で推移したが再び電気式が登場したり、ハイブリット式が出たり、充電池式の電車の登場など混迷の時代に突入した。どれが主流になるのか?歴史は繰り返しているようだった。

時雨の新津駅を散策して年末の用事の処理に戻った。

2024年12月28日土曜日

木造客車の黄金時代

2013年1月2日 鉄道博物館 オハ31型車内

昭和に入って木造客車から鋼製客車に進化した。ただオハ31型の車内はまだ木造車と同じレベルであった。板張り背もたれと二重屋根の車内。

昭和11年の新潟局開設時の鋼体客車はオハ32000型 これはオハ31型、スハフ32800型がスハフ32二重屋根、スハフ34400が通常の屋根のスハフ32だった。以降はオハ35系などもラインナップに加わっていくがまだ優等列車用で普通列車には回ってこないようだった。

昭和初期の地方の普通列車はホハ12000型やナハ22000型など木造客車が中心だった。これは戦後の早い段階でも存在していた。木造客車は1950年代に鋼体化改造の種車となって旧激に姿を消していく。
 

2024年12月26日木曜日

鉄道博物館保存のキハ41307の越後線の時代


 今はない岡田誠一氏の著作「キハ41000とその一族」 1999年ネコパブリッシング

1950年代に越後線西吉田におけるキハ41207  天然ガス車の時代

新潟県内では天然ガス資源があり1947年から天然ガス動力が用いられたが低出力や安全性、コストに問題があって1952年にはディーゼル(DMF13)化されキハ41307となった。

 

故岡田誠一氏の著作を購入した。今所属している研究会のリーダーをされていたこともあった。気動車の解説について評価が高い。 

2024年12月24日火曜日

戦前の気動車の黄金期 1940年(昭和15年)

弥彦線 弥彦~越後長沢間 一部列車に機械式気動車(ガソリンカー)が導入されたころ。弥彦線は4往復であった。ほかは木造客車による列車で一部には越後鉄道の買収車も用いられていた。

越後線の白山~柏崎間 気動車は4往復。白山~大河津の運転。

越後線に気動車(ガソリンカー)が配置されたのは1936年(昭和11年)4月1日から。

手持ちの時刻表は復刻版で1925年(大正14年)、1930年(昭和5年)、1934年(昭和9年)、1940年(昭和15年)、1942年(昭和17年)、1944年(昭和19年)である。

1925年はまだ越後鉄道の時代、1930年はまだ気動車はなく、越後鉄道の買収車が使われていたと思う頃、1934年は気動車が登場したころで越後線や弥彦線にはまだ配置されていない時代、1940年は気動車の黄金期と言える時期、ただし日中戦争が勃発して燃料の節約が叫ばれる時代で、早くも減便が開始。また一部にはアルコール併用や木炭ガス併用の開始がされた。

1944年の時刻表では弥彦線の越後長沢~東三条間の時刻が無くなっていたがまだ気動車の運転はあった。越後長沢方面はこの年の10月16日には運転休止で線路撤去、復活は1946年10月1日となっている。この年の時刻表ではわずか3往復で混合列車だったという。1951年からは天然ガス車の運用が始まる。

他1943年には信越本線貨物支線関屋~新潟間の線路を使って越後線西吉田と東新潟港の区間で気動車の工員輸送が行われているほか、終戦後の1945年の暮れには新潟~新津間で気動車の運転が行われている。

参考文献 時刻表復刻版戦前、戦中編 時刻表復刻版戦後編、鉄道と新潟

2024年12月23日月曜日

越後線と弥彦線を走った可能性のある機械式気動車 キハ41000型

1983年6月 新潟交通電車線 燕 クハ37 画像は非運転台側で運転台側は2枚窓の「新潟交通仕様」となっている。車内はロングシートだった。

履歴(沖田祐作 機関車表から引用)

 キハ41080 新潟鉄工所= 1934-03-00 DC19.78t1A-21067

車歴;1934-03-00製造→納入;国鉄;キハ41080→配属;?→配置;?→1934-06-29現在;尻内→

1941-07-31現在;尻内→1942-01-31現在;長町→1943-03-31現在;長町→

1943-04-13[達第1133/18達発]長町発西吉田支区→1944-01-31現在;西吉田支区→

1947-01-31現在;大館→1949-07-22廃車;大館→譲渡;新潟交通(新潟県);クハ37→廃車



2013年1月2日 鉄道博物館 キハ41307

 この車両は戦前から戦後に西吉田に配置歴があった。ガソリンカーから天然ガスそしてDMF13ディーゼルの履歴がある。クロスシートは小さく、キハ42000型や初期のキハ450000型もこれらを継承している。

 履歴 沖田祐作 機関車表から

キハ41056 川崎車両兵庫工場= 1934-01-30 DC19.78t1A-21067

4300

車歴;1934-01-30製造→納入;国鉄;キハ41056→1934-01-26配属;名古屋局→配置;?→

1934-01-31現在;梅小路→1936-01-31現在;梅小路→1939-01-31現在;西吉田支区→

1943-03-31現在;西吉田支区(本区白山)→1944-01-31現在;中込→

1947-01-31現在;西吉田支区→1948-12-00長野工場改造;キハ41207(天然ガス動力化)→

配属;新潟局→配置;西吉田支区→1951-10-01現在;西吉田支区(本区白山)→

1952-10-01現在;西吉田→1952-11-00長野工場(大宮工場?)改造改番;キハ41307

(機関DMF13型)→配属;?→配置;?→1955-03-31現在;中込→

1957-04-01改番;キハ04-8→配属;長野局→配置;中込→1958-01-11廃車;中込→

譲渡;遠州鉄道(静岡県);キハ802→譲渡;北陸鉄道(石川県);キハ5211→

譲渡;関東鉄道(茨城県);キハ461→分離;筑波鉄道(茨城県)キハ461→廃車



2000年7月   蒲原鉄道クハ10 小さなクロスシートがある。

蒲原鉄道での唯一のクハそしてクロスシート車両であった。この年に蒲原鉄道の鉄道路線は廃止され一時村松駅近くに保存されたが個人所有であり2013年に所有者が亡くなられたことによって管理が難しいという理由で解体されて現存しない。

履歴 沖田祐作 機関車表から

 

キハ41120 川崎車両兵庫工場= 1935-09-00 DC19.78t1A-21067

車歴;1935-09-00製造→納入;国鉄;キハ41120→配属;?→配置;?→1936-01-31現在;長町→

1939-01-31現在;西吉田→1943-03-31現在;西吉田支区(本区白山)→

1944-01-31現在;大館→1947-03-01現在;借入;蒲原鉄道(新潟県);キハ41120→

1949-09-30廃車;大館→譲渡;蒲原鉄道(新潟県);クハ10


機関車表の履歴をまじまじ眺めていると判明した意外な事実。

ほかにキハ42000型も配置され、これも1951年に天然ガス改造され、越後線、弥彦線、信越本線新潟~新津間、磐越西線五泉~新津間などで運用され、さらにディーゼル化された。

これらは液体式キハ45000系列に置き換えられて1955年以降転出している。

2024年12月22日日曜日

昭和15年(1940年)磐越西線時刻表 


 磐越西線時刻表である。1940年のもので会津若松と喜多方の区間の小駅の停車列車が目立つことに注目。新津~会津若松の列車は喜多方を出ると塩川のみ停車で会津若松に向かう。

停留所相当小駅の会津豊川、姥堂、笈川、堂島は1934年11月1日請願駅として開業。ガソリンカーの停車駅となった。1日5往復が停車で新津方面とは系統が分かれていた。

これらの駅では会津若松や喜多方への通勤・通学輸送限定の便宜を図る目的で、1940年以降はガソリンの統制で区間運転のガソリンカーの運転も減少し1944年の時点で2往復が朝晩留まるだけとなった。

戦後は新津方面の客車列車の一部が停車するようになり以降は新津方面直通列車の一部の停車が当たり前となった。1950年では新津方面列車1往復が確認できる。このころの停車本数は4往復で1961年では3往復、1964年9月では2往復に減少となった。

2024年の時点では5往復停車で通型時間帯が中心となっている。新津方面列車の停車もある。

会津豊川、姥堂、笈川、堂島のこれら小駅のつくりは簡素で大糸線などでみられる私鉄買収の電鉄線を思い出させた。

2018年8月11日 磐越西線堂島を通過のDL快速。 踏切のすぐ左手に小さな駅舎がある。磐越西線の喜多方~会津若松間では架線設備が廃止され現在使われていないという。今後は架線柱も撤去されると思われる。



2024年12月20日金曜日

遠くに見えるものは


 2024年12月1日  長岡車両センター(現新潟車両センター派出?)

用事を済ませ帰宅する途中、ふと公道から構内をみると懐かしいマークを掲げたEF81138が見えた。大勢の人の動きがあるのでなにかイベントでもしているようだった。

2010年代に入るまでは当たり前に見られた光景だったが、夜行列車の相次ぐ廃止で見られなくなった。

*画像は2009年4月8日のもの

 

現在「喪中」であり華やかな場所に近づくのは許されないため数秒程度眺めると次の目的地の寺院へ向かった・・・


2024年12月17日火曜日

ダイヤ改正で特急「しらゆき」の時刻が変わる

2024年11月4日 E653系「しらゆき」」2号 52M

2025年3月のダイヤ改正で利用が低迷している特急「しらゆき」の時刻の変更がされることになった。

下りは朝の列車が廃し現行の3号53Mが1号となる。夜の8号が廃止、新潟発16時台となる。

夜の上越妙高発が復活し下り「しらゆき」7号となる。北陸新幹線からの接続の利便性を図るものである。

2024年12月16日月曜日

新潟鉄道局開局前のボギー客車

2024年12月15日 国鉄新潟支社三十年史から

昭和11(1936)年7月3日に開局する前のボギー客車の一覧表。

大まかにみると私鉄買収車、鉄道院基本型(木造車 ホハ12000やナハ22000などの系列)

オハ31型鋼製客車、スハ32型鋼製客車であろうか。

鋼製客車は幹線の急行など。木造車はローカル列車という運用だったと考えられる。

このころ支線区にはガソリンカー(機械式気動車)が入り始め、越後線や弥彦線に運用を開始している。 

11年の時刻表は無いが、15年(1940年)では越後線で4往復、弥彦線でも4往復運転されている。ただ、昭和12年(1937年)日華事変が起こりガソリンなど石油の輸入規制などが行われ、終戦の頃にはいったん運用が無くなったとされている。それまでの間、木炭やアルコール併用などがされていたようだったが。

2024年12月9日月曜日

がんばろう!能登北陸!EF510-15

2024年12月1日 EF510-15 4061レ 窓下に頑張ろう能登北陸の表示が。
三条市本町「丸井今井邸」の紅葉。旧宅の紅葉見事。

 

EF510のがんばろうマークは相当数あるようだ。旧北斗星、カシオペア組はヘッドマークで赤いEF510はステッカーとなっている。

2024年12月8日日曜日

戦前の時刻表を入手してみました


2024年12月8日 復刻時刻表戦前編 日本交通公社

戦前の時刻が知りたくて入手。手持ちの時刻表は1964年9月が一番古いがそれ以前のものはない。

図書館をめぐっても出てこない。フリマアプリを動かすと手ごろな価格で出ていたので、購入。当初の発売価格程度で入手できた。

年表や歴史解説などではいまひとつわかりつらいことが一気に判明した。今調べていることは戦前の気動車のこと。

先週新津の図書館で国鉄新潟支社「三十年史」を閲覧、戦前に西吉田支区に機械式気動車(ガソリン車)が配置され越後線や弥彦線の一部列車に使われていた。

今はない弥彦線東三条~越後長沢間の列車運用を知ることが主たる目的で、昭和5年の時点ではすべて客車、機関車は越後鉄道からの買収のもの。以降、ガソリン車が一部の運用に入った。

昭和9年(1934年)時点では気動車の記載はないが、昭和15年の時点で弥彦線で3往復、越後線で4往復気動車の記載があった。気動車の運用開始は昭和11年(1936年)からであり、好評を持って迎えられたようだった。

東三条と越後長沢の区間は午後2往復の運用だったようだ。他は蒸気機関車の牽引する列車だった。

この区間は昭和19年(1944年)10月には線路を撤去され、終戦後昭和21年(1946年)線路復活となって3往復の運転が再開した。この時点では混合列車のため蒸気機関車に戻ったと思われる。以降は越後線も弥彦線も気動車が主流となり高度成長期を迎える。このころにはキハ17系の全盛期となっている。

参考

 http://ef510001.blogspot.com/2023/05/blog-post_27.html

 

 


2024年12月5日木曜日

小春日和の日


 2024年11月10日 EF510-511  4076レ

弥彦山とEF510 青い車体は汚れが目立ってこの機関車の栄光の時代があったことを思うと現状はどこか凄惨に感じる。屋根がさびで覆われ一層わびしい姿となっている。

日本海沿岸地域の厳しい気候をそのまま温暖地へ伝えるそんな役割すら持っているのか?

ここ2週間程度初頭の雪起こしと雨の日で列車を見ることはかなわなくなっている。

一方で戦前の輸送についての見聞を始めたのでそれらの資料を見る時間を充当のため、なかなかEF510の見聞は厳しくなるかもしれない。

EF510は最近一部の機関車に元日におきた能登半島地震と9月の豪雨災害からの復興を願う表記が取り付けられているという。

2024年12月3日火曜日

気が付くと師走


 2023年12月3日 E129系

雨ばかりの日が続く。冬型の気圧配置が多くなり、みぞれの日も多くなってきた。

気が付くと師走。あとわずかで新しい年が始まる。