2024年12月24日火曜日

戦前の気動車の黄金期 1940年(昭和15年)

弥彦線 弥彦~越後長沢間 一部列車に機械式気動車(ガソリンカー)が導入されたころ。弥彦線は4往復であった。ほかは木造客車による列車で一部には越後鉄道の買収車も用いられていた。

越後線の白山~柏崎間 気動車は4往復。白山~大河津の運転。

越後線に気動車(ガソリンカー)が配置されたのは1936年(昭和11年)4月1日から。

手持ちの時刻表は復刻版で1925年(大正14年)、1930年(昭和5年)、1934年(昭和9年)、1940年(昭和15年)、1942年(昭和17年)、1944年(昭和19年)である。

1925年はまだ越後鉄道の時代、1930年はまだ気動車はなく、越後鉄道の買収車が使われていたと思う頃、1934年は気動車が登場したころで越後線や弥彦線にはまだ配置されていない時代、1940年は気動車の黄金期と言える時期、ただし日中戦争が勃発して燃料の節約が叫ばれる時代で、早くも減便が開始。また一部にはアルコール併用や木炭ガス併用の開始がされた。

1944年の時刻表では弥彦線の越後長沢~東三条間の時刻が無くなっていたがまだ気動車の運転はあった。越後長沢方面はこの年の10月16日には運転休止で線路撤去、復活は1946年10月1日となっている。この年の時刻表ではわずか3往復で混合列車だったという。1951年からは天然ガス車の運用が始まる。

他1943年には信越本線貨物支線関屋~新潟間の線路を使って越後線西吉田と東新潟港の区間で気動車の工員輸送が行われているほか、終戦後の1945年の暮れには新潟~新津間で気動車の運転が行われている。

参考文献 時刻表復刻版戦前、戦中編 時刻表復刻版戦後編、鉄道と新潟