吉田町史資料編4 近代1 P194から
列車の運行は白山~吉田間 もしくは白山~地蔵堂間に1日往復4回混合列車とし、
機関車3両、客車12両、有害貨車12両、無蓋貨車12両をもってこれを充て、
常時客車列車の編成は三等車3両、高等車1両、郵便緩急合造車1両とし、必要に応じて、
増減せり。
柏崎~石地間列車の運行は開業当初1日往復5回の混合列車とし、乗客そのほか、諸種の状況
に鑑み1日往復4回として、機関車2両、客車8両、有蓋貨車8両、無蓋貨車8両をもって、こ
れに充て、平時列車の編成は三等車2両、高等車1両、郵便緩急合造車1両とし、必要に応じ増減せり。
当時の越後線、弥彦線の前身「越後鉄道」の 列車の概況を吉田町史の資料編から確認した。
編成のうち高等車とは二等車のことのようで、列車そのものも小型タンク機関車と小型の客車の編成だった。いまは貨物列車は運転されていないがこの時代は道路輸送は未発達であり、鉄道がすべてを担っていた。
越後線はのちにタンク機関車をテンダー機関車に更新し、タンク機関車は弥彦線で用いられることになった。