2018年4月8日 上越新幹線燕三条~新潟間 現美新幹線 最近車内をリニューアルしたらしい。カフェがありコーヒーやスイーツがいただけるコーナーがある。
黒い車体に長岡花火をイメージした絵を側面に表し新幹線車両としては異彩を放っている。
2018年4月9日月曜日
2018年4月8日日曜日
春の雪が満開の桜に降り注ぐ
2018年4月8日 東三条に到着した弥彦線227Mの115系N38編成。8時ころから雪が強くなってきた。線路上は一瞬にして白くなった。
屋根も真っ白。4月は冬と春と初夏が同居する厄介な時期。体調に気を付けないと。
信越本線の1323Mは途中に激しく吹雪かれて正面が真っ白になっていた。まさに冬。
越後線と弥彦線が電化開業したのが1984年4月8日。この日の朝も雪が降っていたことを思い出してしまった。この年も豪雪であった。なんとなく似たような年ではある。
東三条駅前の桜は見事満開で神社も祭りということになれば町内の方々総出で花見を兼ねて参加されるのだろうがこの雪と寒さではそれどころではないかもしれない。
屋根も真っ白。4月は冬と春と初夏が同居する厄介な時期。体調に気を付けないと。
信越本線の1323Mは途中に激しく吹雪かれて正面が真っ白になっていた。まさに冬。
越後線と弥彦線が電化開業したのが1984年4月8日。この日の朝も雪が降っていたことを思い出してしまった。この年も豪雪であった。なんとなく似たような年ではある。
東三条駅前の桜は見事満開で神社も祭りということになれば町内の方々総出で花見を兼ねて参加されるのだろうがこの雪と寒さではそれどころではないかもしれない。
2018年4月7日土曜日
消えてゆく白黒フィルム
2017年3月25日 坂町駅 SL村上ひな街道の牽引機関車C57180が方向転換と点検のため坂町機関区跡地の転車台に向かうところ。
無心に機関車を眺める人々。年配者は懐かしみ子供たちは(その親も)力強い蒸気機関車を見て感動する。
蒸気機関車が多くの人々に愛されているのがわかる。
転車台に乗って方向転換を完了。この後は点検と給水。
かつては機関庫もあったが現在は取り壊されて存在しない。荒野のごとくの機関区跡地の転車台で機関車の点検整備が始まる。
おまけ 梅花。 この画像は富士フイルムのネオパンアクロス100というモノクロフィルムを使って撮影してみた。撮影機材はOLYMPUS35SPというコンパクトカメラである。
1969年に発売されおととし押入れの中を掃除していたら出てきたので使ってみたらまだ写るので思い出したように使っている。最近は白黒用のフィルターY1やレンズフードもつけてみた。1960年代に撮影機材だけにもともとが厳めしい外観であるがそれらを付けたらさらに精悍な印象となってしまっていた。このOLYMPUS35SPも都合上コンパクトカメラと言ってみたもののSP=スポット測光があり露出はEE(オート)を使わないばあいEV値を読んで絞りまたはシャッターを合わせて撮影する。完全フルマニュアルも可能でレンズは42㎜ F1.7である。家庭用のほかプロのサブ機も使用者の範疇に含んでいたのかもしれない。
1960年代はまだまだ白黒が主流(カラーはすごく高かった)カラーが安くなるのは昭和の終わり1980年代後半あたりではなかったろうか?平成時代に入ると高速仕上げ、高感度微粒子のネガカラ―が販売されカメラ店だけではなくスーパーでも写真の取次がされ価格もかなり安くなった。場合によっては数時間で同時プリントができたりの時代となった。
かつては家庭の写真も白黒が主流だったようだがこのころになるとカラー写真に駆逐されて使う機会も減っていく。じつは当方も平成時代になってからは白黒はやらなくなったのであるが白黒用のフィルターを見つけたことや写真屋さんのデジタルのモノクロとフイルムのモノクロは違うという言葉 がきっかけでちょっと撮影をしてみた。
フイルム本体も現像代も結構高価であるがそれに見合う楽しみである。しかしその楽しみも先行きが怪しくなってきた。けさのNHKニュースで国産の白黒フィルム=ネオパンアクロスの製造をやめるというニュースが・・・・デジタル主流の昨今を考えるといたしかたないが戦前から戦後そして平成の現代まで写真の普及と発展を担ってきた白黒フィルムが消え去ってしまうのは惜しい気がする。
最近の蒸気機関車でも白黒で撮影すると1960年代後半からの蒸気機関車ブームの時代を彷彿させるから不思議な感じではある。
無心に機関車を眺める人々。年配者は懐かしみ子供たちは(その親も)力強い蒸気機関車を見て感動する。
蒸気機関車が多くの人々に愛されているのがわかる。
転車台に乗って方向転換を完了。この後は点検と給水。
かつては機関庫もあったが現在は取り壊されて存在しない。荒野のごとくの機関区跡地の転車台で機関車の点検整備が始まる。
おまけ 梅花。 この画像は富士フイルムのネオパンアクロス100というモノクロフィルムを使って撮影してみた。撮影機材はOLYMPUS35SPというコンパクトカメラである。
1969年に発売されおととし押入れの中を掃除していたら出てきたので使ってみたらまだ写るので思い出したように使っている。最近は白黒用のフィルターY1やレンズフードもつけてみた。1960年代に撮影機材だけにもともとが厳めしい外観であるがそれらを付けたらさらに精悍な印象となってしまっていた。このOLYMPUS35SPも都合上コンパクトカメラと言ってみたもののSP=スポット測光があり露出はEE(オート)を使わないばあいEV値を読んで絞りまたはシャッターを合わせて撮影する。完全フルマニュアルも可能でレンズは42㎜ F1.7である。家庭用のほかプロのサブ機も使用者の範疇に含んでいたのかもしれない。
1960年代はまだまだ白黒が主流(カラーはすごく高かった)カラーが安くなるのは昭和の終わり1980年代後半あたりではなかったろうか?平成時代に入ると高速仕上げ、高感度微粒子のネガカラ―が販売されカメラ店だけではなくスーパーでも写真の取次がされ価格もかなり安くなった。場合によっては数時間で同時プリントができたりの時代となった。
かつては家庭の写真も白黒が主流だったようだがこのころになるとカラー写真に駆逐されて使う機会も減っていく。じつは当方も平成時代になってからは白黒はやらなくなったのであるが白黒用のフィルターを見つけたことや写真屋さんのデジタルのモノクロとフイルムのモノクロは違うという言葉 がきっかけでちょっと撮影をしてみた。
フイルム本体も現像代も結構高価であるがそれに見合う楽しみである。しかしその楽しみも先行きが怪しくなってきた。けさのNHKニュースで国産の白黒フィルム=ネオパンアクロスの製造をやめるというニュースが・・・・デジタル主流の昨今を考えるといたしかたないが戦前から戦後そして平成の現代まで写真の普及と発展を担ってきた白黒フィルムが消え去ってしまうのは惜しい気がする。
最近の蒸気機関車でも白黒で撮影すると1960年代後半からの蒸気機関車ブームの時代を彷彿させるから不思議な感じではある。
2018年4月4日水曜日
2018年4月3日火曜日
連合軍専用列車の時代~占領下の鉄道史探索
先日行きつけのブックオフで見つけた1冊。連合軍占領列車に関する記載が多数。
敗戦後、空腹に苦しむあるいは焼け野原に漂う人々、そして状態の悪い列車に乗らざるを得なかった日本人 をしり目に走り抜けた連合軍の専用列車。
多くは状態の良い車両を接収し大改造の上走られていた。この本の表紙に記されたごとく見事な豪華列車。運航時刻も謎で日本人は近づくことも許されなかった列車だった。
さてお気に入りの部分は連合軍の食堂車の記述である。
将兵たちの食事どんなものか興味深い・・・
朝はジュース(オレンジ、グレープフルーツ、トマト)、卵料理(目玉焼き各種、スクランブルエッグ、オムレツ)、トースト、コーヒーまたは紅茶
昼はジュース、子牛のフリカッセ、ニンジン、さやいんげん、バターライス添え、または子牛のロースト、またはローストハム ベーコン、トウモロコシ、玉ねぎの炒め煮添え、スイートポテト、パンとバター、コーヒーまたは紅茶
夜はローストチキン(またはビーフシチュー、ミートローフなど)マッシュポテト、グリーンピース、ホワイトビーンズ炒め煮、レタスとフルーツのサラダ、デザート(アップルパイなど)コーヒーまたは紅茶
スープは缶詰めのこーんクリームスープが多く コンソメスープは扱われなかった。
日本の野菜は下肥えを使っているため生では使わせなかった。
兵隊はチキンと豆類、ポテトが好きで特にマッシュポテトが好まれた。
ほとんどの兵隊は都会的なセンスはなくフランス風のオムレツを出したら「生焼けを食わせやがって」と暴行を受けることもあった・・・・
これらメニューはのちの高度成長では日本人にもなじみ深いものになっていく。
敗戦後、空腹に苦しむあるいは焼け野原に漂う人々、そして状態の悪い列車に乗らざるを得なかった日本人 をしり目に走り抜けた連合軍の専用列車。
多くは状態の良い車両を接収し大改造の上走られていた。この本の表紙に記されたごとく見事な豪華列車。運航時刻も謎で日本人は近づくことも許されなかった列車だった。
さてお気に入りの部分は連合軍の食堂車の記述である。
将兵たちの食事どんなものか興味深い・・・
朝はジュース(オレンジ、グレープフルーツ、トマト)、卵料理(目玉焼き各種、スクランブルエッグ、オムレツ)、トースト、コーヒーまたは紅茶
昼はジュース、子牛のフリカッセ、ニンジン、さやいんげん、バターライス添え、または子牛のロースト、またはローストハム ベーコン、トウモロコシ、玉ねぎの炒め煮添え、スイートポテト、パンとバター、コーヒーまたは紅茶
夜はローストチキン(またはビーフシチュー、ミートローフなど)マッシュポテト、グリーンピース、ホワイトビーンズ炒め煮、レタスとフルーツのサラダ、デザート(アップルパイなど)コーヒーまたは紅茶
スープは缶詰めのこーんクリームスープが多く コンソメスープは扱われなかった。
日本の野菜は下肥えを使っているため生では使わせなかった。
兵隊はチキンと豆類、ポテトが好きで特にマッシュポテトが好まれた。
ほとんどの兵隊は都会的なセンスはなくフランス風のオムレツを出したら「生焼けを食わせやがって」と暴行を受けることもあった・・・・
これらメニューはのちの高度成長では日本人にもなじみ深いものになっていく。
2018年4月2日月曜日
越後線寺泊駅付近の越後交通長岡線の遺構
2018年4月1日 越後交通長岡線の廃線跡 越後線寺泊駅付近にて。道路と交わったあたりで線路はなくなっている。
人家の陰に隠れるように線路が見え隠れ
寺泊駅の方向 ブロックが埋め込まれて生活道路になっている。線路もこのまま残ってくれていた方が・・・・
線路が無くなるあたりには水仙が咲いていた。
かつての越後交通長岡線の大河津駅のホーム跡 架線柱の残骸が。
越後交通寺泊線の跡地は柵で囲まれた。 湘南色は115系N38編成。
倒れた信号機は今年も健在だった。
越後交通長岡線の廃線遺構を見ることができうれしく思う。
人家の陰に隠れるように線路が見え隠れ
寺泊駅の方向 ブロックが埋め込まれて生活道路になっている。線路もこのまま残ってくれていた方が・・・・
線路が無くなるあたりには水仙が咲いていた。
かつての越後交通長岡線の大河津駅のホーム跡 架線柱の残骸が。
越後交通寺泊線の跡地は柵で囲まれた。 湘南色は115系N38編成。
倒れた信号機は今年も健在だった。
越後交通長岡線の廃線遺構を見ることができうれしく思う。
2018年4月1日日曜日
越後線と弥彦線の115系
2018年4月1日 弥彦線燕付近 227M N35とN40の6連である。115系の6連は越後線1往復(新潟~吉田~柏崎)と弥彦線1往復(東三条~吉田)
越後線寺泊にて 左手N34は吉田行き(129M)、右手N38は新潟行き(139M)である。
時間がかなり空くので越後交通線の廃線を眺めてから吉田へ。
飯豊の山を背に115系6連の226M吉田行きが。弥彦線では唯一の開けた場所である。
耕される前の水田。すでにあちらこちらでトラクターが動き始め今年の稲作が始まろうとしている。
分水付近の寺泊発新潟行き139M N38
弥彦山を背に走る。かつてEF64のお座敷があった時よくここで撮影していた。それ以来かもしれない。
おまけ~春の花々
東京など関東、富山で桜が満開というが越後の地ではようやく梅が咲いた。
今年は春が遅いがいきなり暑くなる傾向がある。桜が咲いても短命なのでは・・・
寄せ植え・・・・いままでは白い世界で3月なり雪が消えて土のみの正解だったがやっと花が咲き華やかになってきた。
つつじ・・・・保内の緑化木農家が育てたものである。
道の駅にて。
雪割草~ピンクと紫
雪割草~白
越後線寺泊にて 左手N34は吉田行き(129M)、右手N38は新潟行き(139M)である。
時間がかなり空くので越後交通線の廃線を眺めてから吉田へ。
飯豊の山を背に115系6連の226M吉田行きが。弥彦線では唯一の開けた場所である。
耕される前の水田。すでにあちらこちらでトラクターが動き始め今年の稲作が始まろうとしている。
分水付近の寺泊発新潟行き139M N38
弥彦山を背に走る。かつてEF64のお座敷があった時よくここで撮影していた。それ以来かもしれない。
おまけ~春の花々
東京など関東、富山で桜が満開というが越後の地ではようやく梅が咲いた。
今年は春が遅いがいきなり暑くなる傾向がある。桜が咲いても短命なのでは・・・
寄せ植え・・・・いままでは白い世界で3月なり雪が消えて土のみの正解だったがやっと花が咲き華やかになってきた。
つつじ・・・・保内の緑化木農家が育てたものである。
道の駅にて。
雪割草~ピンクと紫
雪割草~白
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