2024年12月30日月曜日

大正14年時刻表~越後鉄道


 復刻時刻表から 大正14年(1925)越後鉄道時刻表

白山~柏崎間と弥彦~燕間時刻が掲載。前年の11月1日現在。大正14年4月1日に弥彦線が燕~一ノ木戸間が開通する。この時刻表ではまだ記載されていない。昭和2年(1927)一ノ木戸~越後長沢間が7月開通し10月には鉄道省に買収。越後線と弥彦線となる。

この時刻表では白山~西吉田間が7往復。西吉田~大河津間7往復、大河津~柏崎間6往復で柏崎~比角間に1往復の運転。2等と3等運賃の記載がある。

弥彦~燕間は9往復の運転でほかに区間運転がある。弥彦線はすでに3等車だけとなっていた。


車両は越後鉄道からの引継ぎ車両で運用されていった。弥彦線は1760型蒸気機関車と木造客車で昭和11年(1936)機械式気動車が導入される。

客車は買収当初は越後鉄道からのものが中心でのちに鉄道院基本型も使われているのか?

新潟支社三十年史の鉄道局の開局の頃のリストを見るとナロハ 11500、ナロハフ11800、ナロハフ11850が計8両、さらに22000系のナロ20700が13両、ナロフ21200が3両、ナロフ21250が5両、全室2等のナロ20700が13両、ナロ20850が1両配置され、新潟局は長野、山形、秋田の各地域も管轄のためどこにどの程度配置があったかは分かりつらいが越後線などだと半室車両で足りると考えられる、おそらくは鉄道院基本型の2等室がロングシートのものが入っていたのかもしれない。

昭和15年の時点では越後線も弥彦線も3等だけになっている。

 

 

 

 

2024年12月29日日曜日

GV-E400 冬時雨

2024年12月28日 新潟車両センター新津派出 キハ40系shukuraとキハ110なども待機。


新津駅に到着 磐越西線からの回送 4連 GV-E401-6他

 

GV-E402‐5 出区
GV-E402-3入区

ふと新津の気動車が気になり時雨の中見聞。キハ110もわずかに運用が残っているが今後は?すでに登場して30年以上が経過してしまった。

非電化区間は戦前の機械式気動車(ガソリンカー)から始まり、電気式気動車が試作されたが液体式気動車にとってかわられて、国鉄時代の主流となった。

分割民営化後しばらくは液体式気動車が主流で推移したが再び電気式が登場したり、ハイブリット式が出たり、充電池式の電車の登場など混迷の時代に突入した。どれが主流になるのか?歴史は繰り返しているようだった。

時雨の新津駅を散策して年末の用事の処理に戻った。

2024年12月28日土曜日

木造客車の黄金時代

2013年1月2日 鉄道博物館 オハ31型車内

昭和に入って木造客車から鋼製客車に進化した。ただオハ31型の車内はまだ木造車と同じレベルであった。板張り背もたれと二重屋根の車内。

昭和11年の新潟局開設時の鋼体客車はオハ32000型 これはオハ31型、スハフ32800型がスハフ32二重屋根、スハフ34400が通常の屋根のスハフ32だった。以降はオハ35系などもラインナップに加わっていくがまだ優等列車用で普通列車には回ってこないようだった。

昭和初期の地方の普通列車はホハ12000型やナハ22000型など木造客車が中心だった。これは戦後の早い段階でも存在していた。木造客車は1950年代に鋼体化改造の種車となって旧激に姿を消していく。
 

2024年12月26日木曜日

鉄道博物館保存のキハ41307の越後線の時代


 今はない岡田誠一氏の著作「キハ41000とその一族」 1999年ネコパブリッシング

1950年代に越後線西吉田におけるキハ41207  天然ガス車の時代

新潟県内では天然ガス資源があり1947年から天然ガス動力が用いられたが低出力や安全性、コストに問題があって1952年にはディーゼル(DMF13)化されキハ41307となった。

 

故岡田誠一氏の著作を購入した。今所属している研究会のリーダーをされていたこともあった。気動車の解説について評価が高い。 

2024年12月24日火曜日

戦前の気動車の黄金期 1940年(昭和15年)

弥彦線 弥彦~越後長沢間 一部列車に機械式気動車(ガソリンカー)が導入されたころ。弥彦線は4往復であった。ほかは木造客車による列車で一部には越後鉄道の買収車も用いられていた。

越後線の白山~柏崎間 気動車は4往復。白山~大河津の運転。

越後線に気動車(ガソリンカー)が配置されたのは1936年(昭和11年)4月1日から。

手持ちの時刻表は復刻版で1925年(大正14年)、1930年(昭和5年)、1934年(昭和9年)、1940年(昭和15年)、1942年(昭和17年)、1944年(昭和19年)である。

1925年はまだ越後鉄道の時代、1930年はまだ気動車はなく、越後鉄道の買収車が使われていたと思う頃、1934年は気動車が登場したころで越後線や弥彦線にはまだ配置されていない時代、1940年は気動車の黄金期と言える時期、ただし日中戦争が勃発して燃料の節約が叫ばれる時代で、早くも減便が開始。また一部にはアルコール併用や木炭ガス併用の開始がされた。

1944年の時刻表では弥彦線の越後長沢~東三条間の時刻が無くなっていたがまだ気動車の運転はあった。越後長沢方面はこの年の10月16日には運転休止で線路撤去、復活は1946年10月1日となっている。この年の時刻表ではわずか3往復で混合列車だったという。1951年からは天然ガス車の運用が始まる。

他1943年には信越本線貨物支線関屋~新潟間の線路を使って越後線西吉田と東新潟港の区間で気動車の工員輸送が行われているほか、終戦後の1945年の暮れには新潟~新津間で気動車の運転が行われている。

参考文献 時刻表復刻版戦前、戦中編 時刻表復刻版戦後編、鉄道と新潟

2024年12月23日月曜日

越後線と弥彦線を走った可能性のある機械式気動車 キハ41000型

1983年6月 新潟交通電車線 燕 クハ37 画像は非運転台側で運転台側は2枚窓の「新潟交通仕様」となっている。車内はロングシートだった。

履歴(沖田祐作 機関車表から引用)

 キハ41080 新潟鉄工所= 1934-03-00 DC19.78t1A-21067

車歴;1934-03-00製造→納入;国鉄;キハ41080→配属;?→配置;?→1934-06-29現在;尻内→

1941-07-31現在;尻内→1942-01-31現在;長町→1943-03-31現在;長町→

1943-04-13[達第1133/18達発]長町発西吉田支区→1944-01-31現在;西吉田支区→

1947-01-31現在;大館→1949-07-22廃車;大館→譲渡;新潟交通(新潟県);クハ37→廃車



2013年1月2日 鉄道博物館 キハ41307

 この車両は戦前から戦後に西吉田に配置歴があった。ガソリンカーから天然ガスそしてDMF13ディーゼルの履歴がある。クロスシートは小さく、キハ42000型や初期のキハ450000型もこれらを継承している。

 履歴 沖田祐作 機関車表から

キハ41056 川崎車両兵庫工場= 1934-01-30 DC19.78t1A-21067

4300

車歴;1934-01-30製造→納入;国鉄;キハ41056→1934-01-26配属;名古屋局→配置;?→

1934-01-31現在;梅小路→1936-01-31現在;梅小路→1939-01-31現在;西吉田支区→

1943-03-31現在;西吉田支区(本区白山)→1944-01-31現在;中込→

1947-01-31現在;西吉田支区→1948-12-00長野工場改造;キハ41207(天然ガス動力化)→

配属;新潟局→配置;西吉田支区→1951-10-01現在;西吉田支区(本区白山)→

1952-10-01現在;西吉田→1952-11-00長野工場(大宮工場?)改造改番;キハ41307

(機関DMF13型)→配属;?→配置;?→1955-03-31現在;中込→

1957-04-01改番;キハ04-8→配属;長野局→配置;中込→1958-01-11廃車;中込→

譲渡;遠州鉄道(静岡県);キハ802→譲渡;北陸鉄道(石川県);キハ5211→

譲渡;関東鉄道(茨城県);キハ461→分離;筑波鉄道(茨城県)キハ461→廃車



2000年7月   蒲原鉄道クハ10 小さなクロスシートがある。

蒲原鉄道での唯一のクハそしてクロスシート車両であった。この年に蒲原鉄道の鉄道路線は廃止され一時村松駅近くに保存されたが個人所有であり2013年に所有者が亡くなられたことによって管理が難しいという理由で解体されて現存しない。

履歴 沖田祐作 機関車表から

 

キハ41120 川崎車両兵庫工場= 1935-09-00 DC19.78t1A-21067

車歴;1935-09-00製造→納入;国鉄;キハ41120→配属;?→配置;?→1936-01-31現在;長町→

1939-01-31現在;西吉田→1943-03-31現在;西吉田支区(本区白山)→

1944-01-31現在;大館→1947-03-01現在;借入;蒲原鉄道(新潟県);キハ41120→

1949-09-30廃車;大館→譲渡;蒲原鉄道(新潟県);クハ10


機関車表の履歴をまじまじ眺めていると判明した意外な事実。

ほかにキハ42000型も配置され、これも1951年に天然ガス改造され、越後線、弥彦線、信越本線新潟~新津間、磐越西線五泉~新津間などで運用され、さらにディーゼル化された。

これらは液体式キハ45000系列に置き換えられて1955年以降転出している。

2024年12月22日日曜日

昭和15年(1940年)磐越西線時刻表 


 磐越西線時刻表である。1940年のもので会津若松と喜多方の区間の小駅の停車列車が目立つことに注目。新津~会津若松の列車は喜多方を出ると塩川のみ停車で会津若松に向かう。

停留所相当小駅の会津豊川、姥堂、笈川、堂島は1934年11月1日請願駅として開業。ガソリンカーの停車駅となった。1日5往復が停車で新津方面とは系統が分かれていた。

これらの駅では会津若松や喜多方への通勤・通学輸送限定の便宜を図る目的で、1940年以降はガソリンの統制で区間運転のガソリンカーの運転も減少し1944年の時点で2往復が朝晩留まるだけとなった。

戦後は新津方面の客車列車の一部が停車するようになり以降は新津方面直通列車の一部の停車が当たり前となった。1950年では新津方面列車1往復が確認できる。このころの停車本数は4往復で1961年では3往復、1964年9月では2往復に減少となった。

2024年の時点では5往復停車で通型時間帯が中心となっている。新津方面列車の停車もある。

会津豊川、姥堂、笈川、堂島のこれら小駅のつくりは簡素で大糸線などでみられる私鉄買収の電鉄線を思い出させた。

2018年8月11日 磐越西線堂島を通過のDL快速。 踏切のすぐ左手に小さな駅舎がある。磐越西線の喜多方~会津若松間では架線設備が廃止され現在使われていないという。今後は架線柱も撤去されると思われる。