旧頸城鉄道車両の公開も残すところ10月14日と15日のみ。また「くびきのお宝のこす会」設立10周年のイベントも開催され多くの来場者でにぎわっていた。普段は庫の隅っこでじっとしているコッペル2号機も外に出て走り回る。(ただし煙はダミー)
ホジ3が試乗のため動き出す。コッペルと顔を並べるのも久しぶり。
有蓋貨車ワ7が後部に。 頸城鉄道でかつて見られた混合列車の姿。
復元された荷物郵便車ニフ1は子供たちの絵本の読み聞かせ会場となっていた。普段は駅内留置でこども図書館となっている。
コッペル2型・・・自走はできないのでディーゼル機関車のDC92が後押しする。
DC92の運転を担当された方によると死重となっているコッペルを前に後ろには乗客多数の客車2両が連結されてとにかく重たくて運転は大変との事だった。(エンストなどあり)
コッペルを先頭にDC92と無蓋車さらに2軸客車ハ6が満席の乗客を乗せて走る。
短い距離の構内運転であるがそれでも軽便鉄道の乗り心地を体感することができる。
(2軸のハ6に乗るとポイント通過の時に振動が大きく伝わってくる。線路からのゴリゴリという音とディーゼルエンジンの息遣いも・・・・現代にあっては決して快適ではないが、昭和40年代の生活を思い起こしながら楽しむのも悪くはない。
撮影の跡、コッペル先頭の編成に乗車・・・・偶然に1967年=昭和43年9月30日(新黒井~百間町、飯室~浦川原の区間廃止の前日)の乗車された方とお話することができた。乗車されたのは鵜木までの区間で4歳の時だったこと。大瀁小学校に進学され校庭にあった「ホハ3」客車に入って遊んだことを懐かしんでおられた。大瀁小学校はその後移転して(かつてはP&G海洋センター付近)にあったが移転で現在地になったということだった。現在はこの地を離れられ違うところで生活されておられるということだった。奥様と愛犬とともに往時を思い起こされている姿が印象に残った。
ところでこの方に1990年に長野県須坂市の井上地内で「ホハ3」型を目撃したことを伝えたら驚いておられた。いまは須坂市井上のこの場所も大きく変貌して「ホハ3」があった時代を思い出すのは厳しくなってしまった。
構内ではお店が多数並んで「ぽっぽやき」「おやき」「五目おこわ」「くびきの押しずし」 「牛丼」「いくら丼」「ゴーゴーカレー」など多数。野菜なども販売されていた。他に餅つきも行われていた。
お昼の「おこわ」と 「おやき」を買い求めた。
聞いてみるとお店の方々は地元の方が大半の様で頸城鉄道に乗られた方が多かった。
百間町の駅舎がいつまで残っていたか尋ねたが車庫と旧社屋の建物の存在にかすんでしまっているようでいまひとつわからなかった。駅舎が使命を終えてしまった後はとくに利用するわけではないので昭和の何年に解体されたかはもはや記憶には残っていないのかもしれない。
駅舎はシェルのガスステーションと旧本社(資料館となっている。この日設立10周年の記念式典が行われていた)に間に挟まれた場所にあった。 いまも道路が右に一旦曲がってからガスステーションの左を曲がって頸城鉄道の廃線跡を利用した県道に出る構造になっていることそして周辺が舗装されていることを考えると1980年代の早い段階で駅舎は消えていたのかもしれない。
12時過ぎに次の目的地二本木に向かった。