2017年7月8日 新津にて キハ48とキハ47
新潟県内にキハ40系がやってきたのは1978年10月2日ダイヤ改正から。当初は越後線の朝の通勤時間帯と夕方の通勤時間帯のわずかな運用だった。
70系電車から一気に115系に置き換わった信越本線や上越線に比べると電化されない越後線のキハ47は二軍選手のようだったかもしれない。
1979年にキハ10系を全廃、1980年にキハ20を全廃として主流を目指したがキハ58系という大きな存在があり主役とまではいかなかったようだ。1980年にキハ40も登場したがローカル輸送もキハ58系と案分する感じで国鉄分割民経過を迎える。キハ35系やキハ45系キハ55系は他所からやってきたキハ58系やそもそものローカル線廃止と越後線と弥彦線の電化などで転出。1985年のダイヤ改正以降はキハ47も一部が転出する有様であった。
JR移行後は110系が導入されるも統一されることはなく(新潟地域は・・・・他線区では統一されたのであるが)その後1997年に飯山線にキハ110系投入(秋田リレーのグループ)でキハ52が新津へ。
非力なキハ40、キハ47はこれらの気動車と仲良く手をつないで2009年まで走った。
以降キハE120が8両導入米坂線だけが新型化されたが羽越本線と磐越西線はキハ47がのこることとなり2012年からはキハ48が転入2015年には小牛田に110系などが転入した関係で新津に転入している。近郊型キハ47とローカル向けキハ48が手を携えて走る場面はどことなくキハ58系との共演時代を思わせるものがある。