2015年8月30日日曜日

戦禍の幻 蒲鉄のSL運行

8月15日の新潟日報朝刊の「窓」欄に興味深い投書が。(DE1の画像は関係はありません)
1945年(昭和20年)6月中旬当時15歳で東加茂の木工所で軍事関連の業務に従事されていた加茂市の男性の投書からの要約。五泉方面から国鉄のC12型蒸気機関車が電車1両と無蓋貨車1両を牽いて東加茂駅にやってきたという記述が。この男性は鉄道に関心のある方で東加茂駅の駅員さんに問うと「国鉄」の路線が(当時は鉄道省)爆撃を受けて破壊された際蒲原鉄道を輸送に使うための試運転がされたようだ(詳細は新潟日報の投書をご覧ください)
しかし曲線が多く実現に至らなかったとの事。

このころは各地で空襲が行われていて敗色が濃厚な時期であった。
8月1日には長岡の空襲が8月6日には広島そして9日には長崎に原爆が投下15日敗戦を迎えた。

NHKでも戦後70年の特集が組まれて広島電鉄の原爆投下で壊滅的状況の中数日後電車運転を開始し常務に従事した当時10代の女性たちの活躍を取り上げたドラマが放送。
平和な日常の有難さ・・・・・・そしてこの残酷な時代を生きた方々が存命されていることに感動を覚えた。

E129系内部とEF81723貨物など

8月29日 東三条を通過するEF81723〔富山〕牽引の3093レ 右手線路は弥彦線。

EF81723と弥彦線のE129系 弥彦線もE127系とE129系の双方がワンマン運用を務める。
なお、ダイヤ改正で115系Y編成はすべて廃車となって長野車両センターに送られた。
E129系 弥彦線に新車導入は1980年のキハ47以来。キハ30系の運用が主体の弥彦線でも朝の2往復はキハ47が運用されていた。
 新車の匂い漂う車内。セミクロス構造。
 クロスシート部分。115系1000番台より座席間隔はある。 スムーズな乗降のためだとか。
 ロングシート部分。 座り心地はE233系のような感じ。
 座席と車窓のマンションを入れて・・・・
新潟方面列車と長岡方面列車の接続を受けて列車は走り出す。12時8分発弥彦行き。
E653系「しらゆき」3号 上越妙高で北陸新幹線「はくたか」を接続して長岡、新潟を連絡する単距離特急。この時間乗車率は「まずまず」だった。ただ北陸新幹線と在来線の乗り継ぎは年配の方には辛いものがある。新潟日報に投書あり。
奥羽本線全線開通110周年。運んできたのは人だけではない。思い出や夢を乗せて110年。

素敵なポスターが。485系特急「つばさ」はリバイバル運転の485系T18編成。先ごろ先頭のクハ481-1508が新潟市秋葉区の新津鉄道資料館に静態保存された。
D51の姿も味わいがある・・・・

奥羽本線も山形新幹線や秋田新幹線の開業により分断されたが地域輸送に活路を見出している。信越本線も私鉄の「北越鉄道」の区間がJR線として残存して地域輸送主体と変化した。
幹線時代も遠い記憶になってゆく・・・・

午後はNHKの先ごろ世界遺産登録の長崎県の「軍艦島」の特集そして50年前のアニメ?「サンダーバード・・・海上ステーションの危機」そしてブラタモリの「軽井沢」を楽しんだ。


2015年8月23日日曜日

EH500-50大宮配給 8788レ

 本日の配給8788レ EH200-5牽引の門司機関区EH500-50
巨大機関車の組み合わせ。前の日の3097レで東新潟機関区に回送され一晩過ごした後
JR貨物大宮車両所に検査のため入場。
水田の稲も色づいて刈り取られるのを待っていた。