2019年11月30日土曜日

北陸新幹線の試練

2002年10月10日 北陸本線入善付近  いまはないE2系長野新幹線のイラスト。
北陸地方に新幹線がやってきたのは2015年3月22日。ようやく首都圏直結が実現したが北陸本線は並行在来線としてJRから切り離されてしまった。旅客の日本海縦貫線もこのとき完全消滅した。
2017年4月6日 上越妙高 E7系「はくたか」
2019年10月の台風19号災害では長野の車両基地が水没し新鋭E7系も10編成(W7系含む)が犠牲になった。
北陸新幹線はいまも本数を減らしての運転となっている。昨日JR東日本から 年末年始に東京へ旅行される方への案内がされ上越新幹線への乗り換えを推奨する旨が記載されていた。当面の間不便を強いられるがはやく元のダイヤに戻ることを願う。

厳しい試練が襲った北陸新幹線・・・・

2019年11月28日木曜日

115系N40編成 快速

2019年11月24日 3374M 115系N40編成 
休日の快速列車。混雑した車内から大勢降りてきた。短い停車時間の後目的地へ向けて発車していった。

2019年11月27日水曜日

小春日和を走る

2019年11月24日 EF510-509牽引4060レ 小雨もやんで日が差して小春日和になった。
銀色のEF510-509も側面に汚れがめだつ。

2019年11月25日月曜日

快速弥彦浪漫最終日

 2019年11月24日 キハ47、48の2連「国鉄急行色」編成の快速「弥彦浪漫」
東三条駅の5分停車を狙って・・・
キハ48523はデッキの残る車両で今となっては急行型のようにも感じる車両。
かつては山形に所属して米坂線などで走っていたが新津に転入してキハ47やキハ40と共通運用された。急行色になったのは2014年2月である。

キハ471514  近郊型スタイルであるが急行色となると一種独特な雰囲気となる。
 1976年に筑豊の登場したキハ66、67のような印象である。
キハ66、67は筑豊で快速などで走り一部急行運用もあった。一般型であるが急行色を纏い冷房装備で車内は転換クロスシートだった。
キハ66、67は増備はかなわず簡略型のキハ40、47が多数増備されることになった。
新潟県内を走るキハ47は1979年に制作されたものが多数を占める。大型化された車両はそれまでの気動車より優越して見えた。座席もシートピッチ拡大がされそれまでの気動車とは異なっていた。
東三条を発車し新潟に向かう。
一般の人の中には珍しい車両なのかという問い合わせがあったが珍しいというより間もなく廃車になるということを答えておいた。すでに登場して40年を過ぎてしまった。
まもなく引退を迎える。

17時20分キハは静かに動き出し闇の中に消えていった。

2019年11月24日日曜日

弥彦菊まつり最終日

2019年11月24日 弥彦公園近くのイチョウの木 まだ鮮やかな黄色。背後の山は冬枯れになってしまった。
弥彦公園のトンネルから 紅葉も残りわずかで冬枯れが支配していた。
わずかに残るもみじ・・・
赤い橋と冬枯れ・・・朝日を受けて一見鮮やかに見えるがほとんどが枯れ葉。まもなく落葉する。
彌彦神社参道では菊まつりが・・・まだ午前7時人の出は少ない。
2019年は5月1日に平成から令和に変わった。御大礼を記念して表現された。
表参道付近

弥彦のしっとりした風情を味わいたいが115系227Mの時間が迫っているので直ちに退散。
115系6連の227Mは東三条よりはN40編成後ろはN37編成だった。

列車が通り過ぎた後南側を見ると上越地方の妙高や白馬岳などの山並みが地平線付近にうっすらと見えた。すべて雪をかぶっていて冬が始まったことを教えていた。
快速「弥彦浪漫」はキハ48523とキハ471514の急行色の編成。40系気動車は急行型ではないがかつて走っていた急行型車両への「オマージュ」として再現されたものである。
弥彦菊まつりも24日までであり快速「弥彦浪漫」の運転もフィナーレとなる。

キハ48といえば小牛田から転入したキハ48503+キハ481513の編成が9月に新型気動車GV-E400の導入により廃車となっている。







2019年11月23日土曜日

弥彦線 新潟運転所吉田支所

1984年2月 弥彦線のキハ30、35の配置区である新潟運転所吉田支所の様子を側道から。
パノラミックウインドウのキハ58が。越後線の間合い待機かまたは休車が出て運用できないキハ30、35の代走のためかわからないが待機していた。電化直前期には検査期限の切れた車両の代走で他形式が入ることがよくあり主にキハ45が入っていたがまれにキハ58なども入っていたようだ。1984年4月5日の電化開業でキハ30、35は運用離脱し転属または廃車となった。弥彦線の越後長沢~東三条の区間はキハ58などに置き換えられて廃止までの最後の1年間を走ることになった。

2019年11月21日木曜日

モハ70102~宮内駅

1978年6月 信越本線(上越線)宮内駅でのスナップ。70系電車モハ70102の様子。
宮内駅の駅名標が古いものであること。駅舎も橋上化前。車内の女子高生の制服が夏服であることなど・・・・

モハ70102は1962年(昭和37年)4月28日長岡第二機関区(現JR東日本長岡車両センター)に明石電車区より転入し1978年8月23日の最終運用まで走り続けた。
1978年8月23日の「さよなら運転」の編成は クハ76049・モハ70016・モハ70011・モハ70102・モハ70022・クハ76064の編成でこの編成は関山~妙高高原の区間で土石流があって(1978年5月18日発生)不通区間発生。そのため車両に不足が発生して急遽廃車予定の編成が信越本線の直江津~関山の区間で運用されることになった。サハ87やサハ85はすでに廃車前提の休車であり編成からはずされたためモハ4両の強力編成で信越本線山岳区間を走るに至った。

モハ70102は1963年(昭和38年)の豪雪、翌1964年の新潟地震など災害と闘い続けながら走りとおした生涯であった。

2019年11月20日水曜日

霜月寒い朝~115系N40編成

2019年11月17日 弥彦線 115系N40編成 227M 先頭は115系N34編成
八幡宮のけやきも鮮やかになってきた。紅葉は里に下りてきてまもなく初冬を迎える。
弥彦線高架下から八幡宮のけやきを・・・
青空と桜の紅葉 天候は変わりやすいがこの時間は晴れて青空となった。
北三条駅から見た三条小学校跡地の紅葉。三条小学校は廃校となって建物も解体済み。
跡地は図書館となる。校庭にあったと思われる樹木が色づいた。
北三条駅から真宗大谷派三条別院の方角を。桜やイチョウが鮮やか
弥彦線北三条駅前の六斎市 2と7が付く日に行われる。日曜のため出足は好調。
北三条駅前 ステージえんがわ付近 青果物、鮮魚、乾物、雑貨などのテントが多数ひしめく。初冬の寒い朝にもかかわらず大勢の人が押し寄せていた。
仏前に供える餅菓子を買って帰路に就いた。





2019年11月19日火曜日

キハ47国鉄色(首都圏色)弥彦浪漫

2019年11月17日 弥彦線 新潟から新津経由で弥彦に向かう異色の列車。
引退間近のキハ47首都圏色での運転。
キハ47系の弥彦線での運用は1979年から1984年4月の電化開業前の6年間程度。越後線の間合い運用で午前中の2往復で走っていた。一部列車はキハ30系と連結した長大編成もあった。電化後は見かけることは無くなったがそれ以来の久しぶりの運用だった。

2019年11月18日月曜日

渋柿と115系湘南色

2019年11月17日 3481M 115系N38編成の快速列車 渋柿と湘南色
115系の方は乗客が多数で 混雑していた。この時間になると朝の冷たい空気がいくらか暖かいものとなり小春日和を感じた。

2019年11月17日日曜日

キハ48523と紅葉

2001年11月 磐越西線五十島 キハ48523 新津行き232D 背後の山が色づいていた。
現在急行色に塗られているキハ48523の第一次新潟色時代。日常的な運用を黙々とこなしていた。

2019年11月15日金曜日

弥彦大鳥居と列車

1983年11月 弥彦線 大鳥居と当時主力だったキハ35系気動車。鳥居付近は現在宅地化が進んでこのようなのどかな雰囲気ではない。

2019年11月14日木曜日

183系マリンシティ草津

1997年11月3日 高崎線 横浜からの183系特急「マリンシティ草津」

2019年11月13日水曜日

EL奥利根号

1979年11月3日 高崎線 EF5861牽引12系のEL奥利根号。高崎でD51498と交替して上り列車の時間まで高崎運転所で待機をした。

2019年11月11日月曜日

行く秋を走る

2019年11月10日 115系N36編成の快速 3481M 柿を入れて。
弥彦線燕駅 色づいた樹木と115系N33編成
快速「弥彦浪漫」 115系N33編成
上りきらきらうえつ 快速『越後紅葉ライトアップ号』
国鉄色キハ472連の快速「飯山線紅葉満喫号」下り。十日町を11時45分に発車し新潟には15時25分に到着する極めて鈍足なダイヤ設定。

午後は今年限りで引退する「きらきらうえつ」と「キハ47国鉄色編成」へのはなむけなのか薄日が差してきて天気は回復し背後の色づいた樹木や渋柿があかるく映えた。しかし気温は上がらず冬がそこに来ていることを感じた。



2019年11月10日日曜日

飯山線紅葉満喫号

2019年11月10日 飯山線十日町行きの国鉄色キハ47514+キハ47515の2連
東三条では後続の「しらゆき2号」を待避するため乗客の方々が降りて撮影をしていた。
この編成の活躍もあと1か月となった。

2019年11月9日土曜日

弥彦線115系2連

1984年 東三条の弥彦線ホームで発車を待つ115系2連。McM´cの編成だった。
電動中間車両に運転台を取り付けた車両であった。短編成の2連はおもに弥彦~吉田間で運用されていたが一部が吉田~東三条間にも乗り入れていた。

2019年11月8日金曜日

EF510-510 4091レ

2019年11月3日 EF510-510牽引の4091レ 色づいた樹木を見ながら走る。

2019年11月7日木曜日

蒲原鉄道全線廃止から20年

2019年11月4日 蒲原鉄道村松車庫 手前の建物は変電所だった建物である。
低い鉄塔がありかつての名残を示す。
五泉方面の線路は左手建物付近にあったが今はその痕跡を見ることはかなわない。中央の奥の部分には留置線があって日中走らない車両が置かれていた。
路線廃止後も今、冬鳥越にいるED1と解体されて現存しないモハ31が保管されていた。
かつて乗場があった付近。いまはその時代を思い出すのも難しい。
村松駅のバス停 蒲原鉄道の主力はバス事業。ただし今は高速バスと観光バスに限られる。
新潟に向かう高速バス。 後部には行先表示板が。列車の行先表示板を思い出す。

村松駅舎の内部。奥の壁側に切符売り場と改札があったがいまは痕跡はない。
わずかに残る待合所がかつての駅舎の存在を残している。





2019年11月6日水曜日

秋色~冬鳥越

2019年11月4日 蒲原鉄道モハ61 遠い現役時代を思い出す。

2019年11月5日火曜日

磐越西線紅葉満喫号

2019年11月4日 キハ47515、キハ47514、キハ48523、キハ471514の4連である。
場所は馬下。周りに何もなくどことなく北海道の原野を思わせる風景。
列車はSLばんえつ物語と同じ時間で連休期間は運休し磐越西線は気動車列車となっている。
SLは11月2~3日に、村上~酒田間 快速SL日本海美食旅で運転され、4日は快速EL上越線美食旅で新津~水上間の運用に入っている。SLのC57180は庫で週末まで待機。

この気動車のイベントは10年前の新潟DCの時にも多数運転されていた。この頃はキハ58系とキハ52国鉄色編成であり1970年代を思わせる編成だった。

気動車4連は低速で馬下の駅を通過していった。後部はキハ471514の急行色。首都圏から来た方々と静かに見送った。

ひと時の邂逅~EF641051

2019年11月4日 115系N35編成新井行きの快速とEF641051牽引のEL上越線美食旅との一瞬の邂逅。いまはEF64が日中走る光景を見かけることは少なくなった。そして客車牽引列車となるとほぼ見かけない。新潟庄内DCに関連した新津~水上間臨時快速列車としてばんえつ物語12系を牽引して晩秋の上越線へ運転された。停車駅は新津始発、東三条、長岡、越後湯沢、水上で停車駅だけ見ればかつての特急「とき」をおもわせた。

この列車は東三条の次は終点新津。全席指定で指定券が必要なことをアナウンスしていた。撮影者は30~40名ほど。多くは首都圏などから来られた方々。いまではEF64自体が珍しい存在なので多く撮影者が集結したようだ。

列車停車中の下り本線のホームにも何名か撮影をしている人がいて女性撮影者はミラーレスで素早く撮影し、瞬時にバッグにしまった。まるで「必殺」を見ているような雰囲気で重装備な三脚組に対し極めて鮮やかに見えた。