2018年12月31日月曜日

平成最後の年の瀬後編

2018年7月15日 C57180が故障し同じダイヤでDE10牽引の臨時快速が運転された。
夏休みを前に無念のリタイアでった。当初臨時快速だったが8月後半からヘッドマークを付けた指定席の快速として連休前後に運転された。12月はDLクリスマストレインだった。

梅雨が終わると炎暑が延々と続いた。
2018年7月28日 新潟市秋葉区の鉄道資料館 ここでかつての鉄道友の会会員氏より「丸谷洋一追悼写真集ふるさと」を入手。新潟日報事業社から出ているが新潟県を話題にしていないためか郷土のコーナーでは見かけないしごく少数出版ですでに絶版だったのかと危惧していたが鉄道友の会会員T氏が出展ブースに居られ数冊置かれてあったことでようやく入手に至った。内容は中国、インドネシア、ミャンマーなどのおもに鉄道で一部にバスなど自動車、風景もある秀逸な作品集だった。
サイトも残っていて詳細を知ることもできるがもはや新しい記事や情報の乗ることのないサイトとなっている。
打ちかけの碁  2011年5月4日 大阪府吹田市の民族博物館での「ウメサオタダオ展」での標記から・・・


丸谷氏も「まさか」いきなり人生を失うとは考えていなかったと思う。
サイトも書籍も充実して楽しい内容であるだけに若き死は惜しまれる。

人生には三つの坂があるという上り坂、下り坂、そしてまさか!ある方の葬儀の法話で聞いた話である・・・・

9月までは炎暑との闘いだったが空気の澄んだ朝は濃い青と色づき始めた水田を走る115系を見聞することもできた。
2018年8月11日(祝) この日は朝はいくらかひんやりDE10牽引の臨時快速を見聞しつつ会津へ。午後からは暑くなってきて会津若松では33度となった。山を見るとなんとまだ雪がある。8月に雪を見るのは初めての体験であった。(猛暑だったがいったん涼しくなった時期が数日ありなんと北海道大雪山系では初雪が・・・・)

8月13日は早々に墓参を済ませて横川の碓氷峠鉄道文化むらへ。行は上越新幹線MAXとき308号で帰りは上越線普通列車乗り継ぎ。あいにくの雷雨だったがまったりと見学できてよかった。なお、12系のD51498牽引「SLみなかみ」を見聞した。蒸気運転では新津より高崎が老舗。駅の掲示も硬派路線となっているのが特徴。
上越新幹線も2019年ダイヤ改正でE7系が導入されE4MAXも一部が引退していく。
MAXとき308は 高崎で前方にたにがわを連結する。極めて異例な列車だったが・・・
E26系「カシオペア」の回送。定期運用のなくなったE26系は「カシオペア紀行」での運用となっているがめずらしく日曜の午前に当地通過となった。
9月には北海道での地震や関西を台風が・・・幸いに新潟県では大きな影響はなかったがかつては中越地震、中越沖地震、梅雨末期の豪雨に伴う水害、大停電なども経験している。
また時折豪雪も・・・・
2018年10月21日 EF510-510 広島車両所で全般検査施行後西日本豪雨災害で足止めを食い山陽本線が復旧したことでようやく復帰。
2018年10月7日 燕三条にて E3系現美新幹線展示 女性の撮影者が多かった。
側面は花火の絵があしらわれている。
2018年11月11日 EF8197〔長岡〕牽引のEL日本海庄内号の原色のEF81
エアフィルターも全く汚れていない。ばんえつ物語12系と初めての組み合わせだった。
イベント系はあまり追わないのでこのあとは近隣の115系と貨物だけになる。
2018年12月31日 224M寺泊行き普通 
昨年はN3編成もあったが今はN40編成だけになった。昨年は並びと湘南色N38の重連で締めくくったが今年はN40が弥彦線N38が信越本線快速というばらけで終わることになった。115系もファイナルが近づいていると考えられるが当面は各色を楽しませてくれるのであろう。

今年買ったおもな書籍
沖田祐作著 機関車表・・・2014年にネコパブリッシングより出ている。膨大なデータベースでDVDで構成。 機関車の移動などのデータは出典を明らかにすれば引用してよいとの記述あり。メルカリで購入

連合軍専用列車の時代 ・・・敗戦後占領軍の走らせた専用列車の記録。興味深いのが食堂車のメニュー。ときどきイメージしながらメニューの料理を作っている。ブックオフで購入

最後の国鉄電車ガイドブック・・・国鉄時代の最晩年に在籍している電車たちの解説。形式写真の巨匠広田尚敬氏ほか・・新本

鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション 国鉄幹線の記録上越・信越線
碓氷峠鉄道文化むら売店で購入。碓氷峠と上越国境区間いずれも詳しい解説。
この本を見ながら雷雨の上越線普通列車に揺られて帰ってきた。

丸谷洋一追悼写真集「ふるさと」
新津鉄道資料館で鉄道友の会会員T氏より購入。


ほか雑誌は不定期に少々・・・JTrainと鉄道ジャーナルそれにピクトリアル。
購入は資料として使えるものに限る。


 あと1時間少しで2018年も終了する。2019年は平成31年4月30日まで。5月1日から新元号元年へ移り変わる。30年務められた今上陛下も半年を待たず退位される。








平成最後の師走の115系その2

2018年12月31日曇り空と寒い朝。弥彦線北三条を走る115系N40編成 懐かしの70系新潟色の寺泊行き。後ろのけやきは八幡宮付近のもの。高架から築堤上の線路との切り替え付近で近くに踏切がある(車両通行不可)
後追い。晴れていると逆光に苦しまなければならないポイント。高架からいったん築堤上を進んでまた高架になって信濃川を渡って燕三条駅に向かう。
寺泊まで追っかけたいが掃除が多数あるので今回はパス!
(朝4時に起きて朝食を作り、部屋を掃除して、朝練)
227M 燕にて 115系N34編成とN35編成
E127系と交換 雪は相変わらず少ないが気温が低くなかなか解けない。
N35編成は人気投票で1位のもの。
帰宅後掃除をして4381Mを。湘南色の115系N38編成 快速の幕がりりしい。
E653系の「しらゆき」4号とすれ違う。

これで2018年の撮影は終了。また掃除と買い出しに!夕食は早めに済ませた。





平成最後の師走の115系

2018年12月30日 弥彦線燕三条付近 寺泊行きの222M ようやく仕事納めが終わり最後の日曜日。なのでどこのご家庭も朝はのんびりスタート??日中は買い物客がごった返す新潟県央の一大商業地。115系N33編成 第二次新潟色がわずかに雪煙を・・・・
マイナス気温と凍った雪時折吹く風が越後路の年末年始を彩る。
ちなみに昨年は雪は無くて少々温かだった・・・年明け後に豪雪になったが
125~227Mは115系N38編成とN34編成のペア。ごみごみした街も雪をかぶると風情が出る。奥の低山は良寛和尚が過ごした五合庵がある国上山。
(ごみごみしたのが弥彦線の魅力です。かつて洋食器工場がひしめきプレスの音が響き分かったこのあたりも今は住宅街であるが・・・
燕駅の115系N34編成とE127系 学校も休みなので静かな朝。左の道路はかつての新潟交通電車線の廃線跡。ことしの始まりは弥彦線からだった・・・・
115系N37編成の快速3481M  新潟への買い物客で混雑だろうか? 
この第一次新潟色も雪景色のマッチする。


年末の雑用の合間を縫って撮影!




2018年12月30日日曜日

平成最後の年の瀬前編

2018年12月16日 新津駅から キハ40系shu*kura、国鉄色キハ47、キハ48の2連、リゾートしらかみ(青池編成)、さらにGV-E400型など・・・

年末になり冬型が強くなり時折強風が吹き荒れ、雪も積もってきた・・・
新潟県の年末年始の様相である。先日の天皇誕生日で陛下が最後の誕生日の挨拶をされていた。あと半年たたないうちに平成時代が終わる。長かったような短かったような平成時代・・・
一番の思い出は1996年10月のベルギー国王来日に伴う東北・両毛線で運転されたEF5861牽引の1号編成お召し列車であろう。大勢の撮影者に交じって見送ったのも思い出である。
撮影場所は400名くらいがあつまり、警備の警察官も多数・・・・
激闘の一日であった。1号御料車では両陛下が窓を開け手を振られておられた・・・

ほかEF81置き換えの新型機関車の製造もなかなか難儀であり、平成の初めに登場したEF200、EF500であったが諸処の問題でうまくいかず東海道線などで使うEF200は登場したものの本来の能力を下げて使う始末、交直両用のEF500は量産されず、実用的なスペックのEF210が1996年に登場し派生バージョンとして東北本線のEH200が先に出て、その後山岳用EH200と同時に2001年EF510の1号が登場。その後も増備は遅く完全に置き換わったのは2016年のダイヤ改正からだった。EF510はJR東日本にも登場し「北斗星」「カシオペア」用500番代が15両あるがこれも寝台特急廃止のあおりで短い活躍に終わって貨物に合流でようやくの縦貫線新性能化が実現したが15年以上もかかっている。
EF510も相当な「苦労人」であることに偽りはない。


さて前振りはそれくらいにして本年の見分・・・といっても遠征もほとんどしないうえ撮影者が集結するような場所に出向くこともしてないが・・・

主だったものは1月親戚の弔問で関東へ・・・
久しぶりにEF210のタンクを眺めた・・・また201系の「むさしの」号で武蔵野線を乗車帰りは皇居を探訪 インバウンドさんがあまりに多く圧倒された。このころ新潟県の信越本線で豪雪のため列車が立ち往生し乗客多数が閉じ込められるという事件が発生した。幸い死者はなかった。
この豪雪以降ことしの漢字が「災」であるように 大阪北部の震度6弱の地震、西日本豪雨、40度越えの猛暑、台風21号の大阪付近の災害、北海道胆振地方の震度7の地震と次々起きていく・・・・

こちらでは115系の70系新潟色が一時的に2編成となって仲良く重連運転したり同色交換があったりと楽しませていただいた。
また485系NODOKAが引退した。
 2月は豪雪そして3月は1978年に旧型の70系電車を置き換えた115系がすべて引退した。
現在残っている物は2013年以降に長野から転入した7編成である。ほかL99長野色4連もあったがこれも高崎の115系廃車処理の運用についたのち廃車となっている。

3月は村上にてE653系のはまなす色、瑠璃色、いなほ基本色が並ぶイベントがあり参加。
町屋のおひな様を見聞しつつE653系のカードを集めた。
また 地平の新潟駅の最後の利用となった。4月15日に高架となったためである。
3月25日は羽越本線新津始発となったC57180「SL村上ひな街道」を。坂町の保存機「D51735」の公開もかねて参加。坂町ではOBさんより解説も聞くことができ有意義な春の一日であった。また坂町の転車台も見学した。
このときは押入れから出てきた古いレンズシャッターカメラを使いフイルム撮影を行う。
白黒撮影を行ったが本体価格、現像価格、焼き増しもきわめて高価となり贅沢な行為となってしまった。なお国産フイルムは富士フイルムは製造を行わないアナウンスがされた。戦前、戦中、戦後、と歩んできた白黒フィルムがいよいよ途切れる・・・
4月14日は新潟駅の構内切り替えが行われる前日。長岡方面列車は新潟まで行かないで越後石山止めとなりE653系の「らくらくトレイン信越」は単なる快速「直江津行き」となって運転。仕事帰りE653系に初乗車となった。料金なしでも新潟駅とつながっていないためほぼ空席状態だった。


5月は3日に四季島の新津駅入庫を見聞、また鉄道資料館を訪ねて保存車両内部を見学、東三条で四季島の見送りを・・・雨であったが多くの方が見送りされていた。またC57180のばんえつ物語も見分。
5月4日は月潟駅の保存車の公開を見学、ボランティアさんにいろいろ解説をしていただいた。また115系N40新潟色を越後線で見分。
5月5日はくびき野レールパークを見学し(この日は出店無)午後は越後線で115系。
この日の朝の3371M快速は115系N38湘南色だった。
5月12日は新しくなった新潟駅を見聞。5月26日は越後線、信越本線、飯山線、ほくほく線、只見線の串刺し撮影を行った。新しくなった国道253号線新八箇バイパスも初通行した。この日は旧高柳町の荻ノ島集落を見聞。多数あったかやぶき農家も半減し無人と思われる住宅も。急速な過疎化と高齢化が進んでいることを実感した。
6月は23日に解体が進む新潟駅地平ホームを見聞した。4番線から奥は高架に飲み込まれ1~3番は解体が進行中。思い出多い地平ホームも消え去る直前の見分。
 新潟日報事業社の写真集「新潟の鉄道百年」には旧新潟駅(現新潟駅から5分くらい。代々木ゼミナールの前付近)解体の写真が掲載されているがまたまた新潟駅の解体場面に遭遇できる時が来るとはこの本を購入時点ではまったく想像すらできなかった。


8~9番は取り残された離れ小島となっていた。新幹線と「いなほ」への乗り換えはスムーズになったかもしれないが白新線、信越線と越後線の乗り換えは場合によってはタイトになるケースも多数ある。


7月分は後ほど



2018年12月27日木曜日

雨晴海岸DE10 客車列車~氷見線

1984年10月 氷見線 雨晴海岸を走るDE10牽引の氷見行きの普通列車421レ。雨晴は奥州へ落ち延びる源義経が岩陰で雨が晴れるのを待ったという故事にちなんでいる。快晴であれば背後に立山連峰も見える場所だがこの手前の伏木付近は高岡の工業地帯である。
見事なギャップを楽しめた。客車列車は1985年3月のダイヤ改正で廃止され気動車列車となった。現在この付近は大きな変化はないようで車両はキハ40系が主流である。

2018年12月24日月曜日

氷見線雨晴

1984年10月 氷見線雨晴 キハ35とキハ45の2両編成 後ろには能登半島が連なる。
当時DE10牽引の客車列車が6往復運転されていた。
またそれ以外がキハ23、45、30、35で運転されていた。

2018年12月23日日曜日

EF510-509 4091レ 冬枯れを走る

2018年12月23日 4091レ EF510-509牽引 水田も冬枯れて雪に覆われる時を待っている。
銀色の車体のEF510-509とEF510-510の人気は高い。 485系やEF81が消えた後訪れる人もない場所で遠来から来られたと思われる方が・・・
EF510-14 朝の4075レ 朝霧が切れたので・・・・
EF510-503 4060レ あと7日後には運休に入るであろう貨物列車たちも師走の縦貫線を懸命に駆け抜けていた・・・



2018年12月18日火曜日

北陸新幹線にのりたいな

2002年10月10日 北陸本線列車内から 
越中宮崎付近で見かけたE2系を使った看板。
開業は2015年3月でありまだ10年以上待たなければならなかった。
E2系は「あさま」タイプでありこの編成が富山県を走ることもなかった。


2018年12月17日月曜日

1979年1月1日 弥彦駅舎

1979年1月1日 弥彦線弥彦駅

東三条9時54分234Dで吉田10時17分着そこで10時25分弥彦行きに乗り換えて10時34分着 234Dは新潟運転所本所の気動車4連でキハ35系以外の車両も連結される。乗らないときは急行型も結構連結されていたがいざ乗るとなるとキハ17やキハ20など一般型編成ばかりだった。この日吉田には全部冷房付きのキハ58系4連が待機まぶしい存在だった。
金沢局(七尾?)の編成で市振の漁師さんたちが安全祈願の参拝にやってきたと思う。

弥彦神社を参拝し13時8分東三条行きに乗車だがそれまで何をしてなにを食べたか思い出すことができない。売店で鉄道関連の書籍を買って読んでいたような・・・・

2018年12月16日日曜日

リゾート美食旅(ガストロノミー)

2018年12月16日 ハイブリット気動車HB-E300系「リゾートしらかみ青池」編成
新津運輸区を出区して長岡寄り引き上げ線に。
青空に青い車体。 新潟~酒田間の「リゾート美食旅」の運用のため秋田より借り入れた編成。
新津駅の着発線に停車 新潟への回送を待つ。この時期まだ日が低く影がかかる。

ちょうどホームの屋根の陰に入った。晴れているときれいに撮影できない。
3号車の青池の表示 
2号車はコンパートメントそれ以外はリクライニング座席が並ぶ。座席向きは長岡方向を向いているが新潟駅で方向転換して酒田方向に座席が向く。
2号車の窓が欧風に見える。窓割がほかの車両と異なりアクセントが付く。

 1号車、3号車、4号車はリクライニング座席のため小窓が多数連なるが2号車はコンパートメントのため窓の間隔が広く欧風車両のような雰囲気がある。





2018年12月14日金曜日

サロンエクスプレスアルカディア

1987年4月 鯨波海岸を走るキハ58系サロンエクスプレスアルカディア 115系第一次新潟色と同じコンセプトの塗装を採用したが115系より大胆な印象だった。
キロ59508キロ29505キロ59509の3両でリクライニングシートの編成、キロ29505は売店カウンターがあり冷蔵庫、コーヒーマシン 、流し台があった。
JR発足前の1987年3月25日に新津車両所で改造され4月より運用開始。引っ張りだこの運用となったが1988年3月30日上越線越後中里~岩原スキー場前で火災を起こしキロ59508は廃車。そのほかは休車となりのちにKenjiとして再起した。むしろKenjiとして生きた時代の方が長かったかもしれない。本年の9月に運用を終えて長い生涯を閉じた。

アルカディア事故は国鉄時代のDMH17Hエンジン換装を行うきっかけとなった事件である。
アルカディアの後任は本年引退した 485系(189系)改造のシルフィード→NODOKAで2018年1月まで運用された。他、わき役として12系お座敷、カーペット気動車と絢爛たる時代だった。


2018年12月13日木曜日

EF8174〔長岡〕牽引の12系~1989年7月信越本線関山

1989年7月23日 信越本線(現 えちごトキめき鉄道)関山駅付近 妙高高原まで入線のEF8174〔長岡〕牽引の12系客車の団体列車。山岳急こう配区間にかかわらず平坦線のEF81が入線。発着が交流区間の駅で目的地が妙高高原だったのかもしれない。平凡な色の編成ゆえ誰も撮影する人は見なかった。

2018年12月11日火曜日

115系N40編成~越後線吉田

2018年12月9日 越後線吉田にて E129系と並ぶ115系N40編成 新潟色第2次色の編成と併結6連 曇りで薄暗い冬の日間もなく雪の日を迎える。

2018年12月9日日曜日

快速浪漫shu*kura

2018年12月9日 弥彦線吉田駅 東三条、新津、新発田経由新潟行き「快速浪漫shu*kura」あいにくの荒天だが酒を楽しむのにはうってつけな列車かもしれない。
先頭車は「びゅう旅行商品専用」で地酒とおつまみを楽しむことができる。
日帰りパックは9400円でJR券、藏守利用券500円と昼食、入浴、休憩(四季の宿みのや)とスパークリング純米酒のセットである。忙しい師走の息抜きに最高。

車内では乗客が一献のため雰囲気がどことなく食堂車風。
2号車はイベントスペースでコンサートがなされていた。
3号車はリクライニングシートの指定席。

吉田駅の構内で気動車を見るのも久しぶりのことだった。13時52分エンジンのうなりを上げ吉田駅を離れていった。大幅に迂回するルートなので新津が14時42分発、新発田15時29分発、新潟は16時ちょうど。
115系が最後の活躍をしているがキハ40系も引退の時が近づいている。この形式もそんなに長くない。

参考までにことしの大みそかは「きらきらうえつ」485系編成が最後の入線をする。
快速「きらきら行く年」新潟21時56分、吉田23時15分発、弥彦23時22分
快速「きらきら来る年」弥彦1時32分発新潟は2時32分

他に115系で「弥彦二年参り号」
東三条22時33分弥彦23時2分
弥彦0時50分東三条1時20分も運転される。

2018年12月6日木曜日

EF15165~碓氷峠文化むら

2018年8月13日碓氷峠鉄道文化むら EF15165
機関車表より引用

EF15165 日立製作所水戸工場=192021-1 1958-07-22 E102t1CC1(1067)
車歴;1958-07-22製造→納入;国鉄;EF15165→1958-07-22竣工→
配属[達506];関東支社→1958-07-22配置;新鶴見→1958-07-24試運転→
1962-08-10借入;新鶴見発高崎二へ→1962-11-28高崎二→
1985-10-28廃車[車車731];高崎二→保管[車車1272];高崎第二機関区→
1987-04-01移管保存;群馬県高崎市「JR東日本高崎運転所」;EF15165→
保管;埼玉県大宮市「JR東日本大宮工場」;EF15165→
1999-02-18保存;群馬県「碓氷峠鉄道文化むら」;EF15165
(最終走行距離2,250,772㎞)

この機関車は解体されて今は無いEF15200とともに関東でのEF15の最後を飾る運用についた。1985年3月31日高崎~上越線でのイベント臨時客車の運転を最後に引退した。
EF15200の保存はかなわなかったが165は今日もその姿を見ることができ貴重な貨物電気の歴史を伝えている。

2018年12月4日火曜日

EF8063~碓氷峠鉄道文化むら

2018年8月13日 碓氷峠鉄道文化むらにて 
常磐線などを中心に活躍した交直両用機関車。EF30も碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。この機関車はEF30とは異なり高速運転が可能だった。
この機関車は旅客より貨物輸送に適した機関車といわれている。 なお、EF81と異なり長距離向きではなかった。運用範囲も常磐線を中心とした関東に限られていた。

機関車表より引用
EF8063 日立製作所水戸工場=194011-5 1967-02-25 E96.0tBBB(1067)
車歴;1967-02-25製造→納入;国鉄;EF8063→配属;関東支社→
1967-02-25配置;勝田→内郷→1981-06-10田端→
1986-01-18廃車(車車1025);田端→
1986-04-11着(6871列車田端発)保管(車車1272);群馬県高崎市
「JR東日本高崎運転所」;EF8063
1999-02-26入移管保存;群馬県横川町「碓氷峠鉄道文化むら」