2018年1月28日日曜日

雪煙を上げて湘南色が走る

2018年1月27日 434M 115系n38湘南色編成他。連日の低温と地吹雪で苦戦したがようやく落ち着いたので・・・ 信越本線も長岡~直江津間に不通区間があるため快速と特急「しらゆき」は運転していなかった。

2018年1月24日水曜日

北陸新幹線E7系 はくたか571号

2018年1月20日 東京駅 北陸新幹線E7系と左手には上野東京ラインE233系など。

115系N3編成の快速 3373M

2018年1月21日 新井からの快速3373M この日は70系新潟色のN3編成。塗り替えられてちょうど1周年である。次のダイヤ改正ではATS-Pを持たないN33編成より前の編成つまり1978年に70系電車を置き換えるために配置された新潟生え抜きの編成はすべて引退すると言われている。

EF510-509 4091レ

2018年1月21日 EF510-509牽引 4091レ 日本海縦貫貨物牽引で銀色の車体もさびで汚れが目立つ。

2018年1月21日日曜日

むさしの号~205系大宮~八王子

2018年1月20日 MAXとき302号 E4系 8連+8連 
乗車は4号車を。いずれ消える二階建て新幹線の旅。
燕三条~大宮間の利用。 今回は昨年の暮れに亡くなった親戚への弔問が目的。
なので前半は慎んだ行動を。(したがって列車の撮影はあまりありません)
親戚もリハビリに励んでいたのであるがなぜか急逝してしまった。
葬儀は1月4日だったが首都圏のメンバーだけで済ませるというので落ち着いたら弔問をする約束をしていた。なお、老母も一緒なのでハードな撮影行はできない。
列車内ではビールとおつまみ(亀田製菓の柿の種)。故人もお酒は好きだったので大目に見てくれるであろう!
新幹線からの風景は浦佐で八海山が霧の中から浮かび上がる光景が見事だったが暗いので撮影はできず。あとはどんより天気の関東平野を走るだけ。
浅間山も富士山も見えなかった。
MAXとき302号内で買い求めたビールとおつまみ!座席は4号車のリクライニング席である。ごくごく普通の新幹線の旅を・・・・飲んでも違反切符は切られないし!
下りのガーラ湯沢に向かう「たにがわ」は自由席は立ちが出ていた。スキーに行く方々だろうか?
大宮は8時22分。ここで老母はトイレタイムそして故人の祭壇に備えるお花を調達。
朝の8時から大宮駅では花屋さんがやっているのをスマホで調べたのでこのお店で仏花を調達。移動は八王子まで205系の「むさしの号」
それまでの間E233系やE231系の電車と貨物EF210牽引の石油列車を眺める。
大宮8時53分発八王子行き「むさしの号」 大宮から東北貨物西浦和から武蔵野線そして国立で中央本線経由で八王子は9時45分着。
親戚宅ではお骨となった故人と対面。静かに手を合わせた。
暮れに亡くなったため火葬場が開いていなくて年を越しての葬儀。さらに葬儀所を見つけるのも一苦労だったとか。
しばしの間故人をしのんでティータイム。思い出話に花を咲かせる。
昼食後個人宅を辞し帰宅となるがせっかくなので都内で精進おとしを!
老母も一緒なので派手撮り鉄はできないので東京駅界隈を散策することに。


ご存知東京駅。八王子で東京経由の乗車券と新幹線特急券を。帰りも自由席で乗る新幹線を特に決めていなかった。なので行けそうで行きにくい皇居を見学することに。

皇居はかなり広いエリアを歩くことに。アップダウンがあり日ごろの運動不足を感じた。
実は二重橋を見たかったのだが全然方向違いのところに行ってしまったようでいったん出て生き直すことに。(大手門からはいけないようだ)なお入場時に警察官の手荷物の検査があった。
客層はほとんどが海外の方々で中国の人が多かった。
一度は見たかった二重橋を撮影できてよかったが老母はあきれていた!(若いころここに来たことがあるようだ!)
東京とくれば銀座、新宿、原宿、渋谷、品川、浅草などがあるがもちろん皇居も重要な観光スポットである!午後から天気も回復して陽光の中散策できた。
帰路はとき333号でE2系10両。自由席であるがそれほどの混雑はなかった。
JR東日本ご自慢の新幹線が一堂に。奥にはJR東海の東海道新幹線も。1964年の開業である老舗の東海道新幹線はいまだに東京駅から乗車したことがありません!
暮れなずむ東京を後に帰路に。夕食は東京駅で買った弁当とお茶。
乗り込みは上野と大宮でそこそこあったが満席にはならなかった。
高崎からは下車が目立った。乗車中の感覚は新幹線というより在来線特急の末端区間の様だった。弁当殻は上毛高原で捨てたが捨て場所を間違えたので通りがかった車販の女性に助けてもらった。
越後湯沢の手前で車販が戻ってきたのでコーヒーを。列車内のコーヒーはおいしい。
聞いたところによると東京~新潟間一日2往復との頃だった。40台前後のベテラン商売人風の女性であった。
車販も在来線からは次々撤退新潟県では「いなほ」に残るのみ。新幹線も列車によっては全くない場合もある。このあたりの普通にみられた光景もいつの間にか貴重になってしまっていく。
上越新幹線も200系12両の時代にはビュッフェがありそこでコーヒーを飲んだり軽食を食べることもできた。2001年の暮れに廃止されたが・・・・
新幹線の車販もいつまであるかという保証もない。なぜなら関東の高崎や大宮、上野、東京の各駅のエキナカも見事何でもありそこで購入して乗るのが当たり前になっているためだ。
小雨舞う燕三条には18時35分着。弔問のミッションも無事終わった。

















石油輸送貨物

2018年1月20日 大宮駅 EF210牽引の石油貨物。
タキ43000などの編成。首都圏各地を走り回る。

E4系「MAXとき」の自由席

2018年1月20日 MAXとき302号 3号車 3人掛け転換式座席。
通勤仕様の座席。 まあすいていればそれほど苦痛ではない。
E4系は8両の場合1~3号車はこの通勤仕様の自由席である。4号車はリクライニング2対3の座席という違いがある。
どちらを選ぶかはお好みで。1階席は1~3号車はリクライニングがある。
大量輸送のため登場したE4MAXも引退の時が近いとされている。

2018年1月14日日曜日

115系N40とN3の「懐かしの70系新潟色」6連

 2018年1月14日 燕三条付近 弥彦線の115系6連 「懐かしの70系新潟色」の重連である。
数日前に降った大雪で近づける場所もあまりない中なんとか場所を確保!
この色の6連は迫力がある。6連の「懐かしの70系新潟色」を見るのは40年ぶりである。
 雪で築堤もすっきりした。
 連結面。どちらかというと気動車の編成を思い起こすと面白いかも。
115系E129系を問わず雪と闘う姿は心を打つ。

大雪のためか撮影者は大型のワンボックスカーで白いレンズをお持ちの方が1名のみ。
いろいろ伺うと本日新潟に帰区の段階で懐かしの70系新潟色重連は解消との事だった。
115系N3編成もダイヤ改正までのようだ・・・・

雪は海岸部がかなりの豪雪になっていて新潟市内中央区でも65㎝だそうだ。
一昨日まではダイヤが乱れて列車内で大混雑の中長時間閉じ込められるという事件があったがJR関係者のご尽力でダイヤが回復してこのような珍編成を見ることができたのはうれしい限りであった。

山陽本線105系

 1995年6月 稲を植える前の水田に姿を映す105系4連 福塩線の運用のほかに岡山までの運用もあったようだ。この電車は1980年度に福塩線の旧型70系電車を置き換える為導入されている。新製である。1985年度からは103系からの改造組も登場して西日本各地に登場する。


越後線初詣臨

1993年1月1日  越後線を走る臨時団体「アストル」キハ65とキハ28の改造車。
運転区間は金沢~吉田間(客扱は市振から)漁師さんたちが安全祈願のため弥彦神社に参拝するためのものだったのだろうか?

2018年1月10日水曜日

新潟交通電車線の遺構

2017年8月20日 旧新潟交通電車線燕~灰方間 線路こそ撤去されているがところどころに遺構を見ることができる。枕木が残る橋は貴重かもしれない。

115系N40~3372M

2017年1月7日 新井快速3372M N40編成
ダイヤ改正後はこの時間帯の快速は廃止され普通列車で長岡で乗り継ぐ方式に改められる。かつて糸魚川までの快速があった時間帯に長岡までの快速が新設される。


2018年1月7日日曜日

惜別NO・DO・KA~最終運転

2018年1月7日 いよいよNO・DO・KAの最終運転「惜別NO・DO・KA」が新潟~六日町~新発田~新潟の経路で運転された。1990年欧風の「シルフィード」として登場し臨時団体列車を中心に走り、2001年からはカーペット仕様に改められて現在に至っている。
時代の要請で生まれ、時代とともに幕を引く。長かった活躍を ねぎらうように青空が広がった。

今も残る新潟交通電車線の架線柱

2018年1月1日 燕市内 燕駅から新潟交通電車線を利用した廃線跡を少し入ったら道路が途切れて歩道になり架線柱が!通常水田地帯では旧灰方~小中川付近で見かけるがまさかしがちにも残っていたとは驚き!ちなみに廃止になったのは平成5年(1993年)7月末日ですでに24年が経過している。この歩道は市街地が切れて水田になると廃線跡そのままとなる!一部に橋梁跡が枕木付きで残っているのでこちらも必見である。

弥彦線を走るキハ472連 (快速初詣弥彦号)


2012年1月3日 この年はNODOKAの運転が無く快速初詣弥彦号のキハ47の2連 (514と515)が初詣の輸送任務をこなしていた。1984年4月8日の越後線と弥彦線の電化開業までは主力として走っていた気動車の最新系列であったキハ47は越後線の運用が主力だったが朝の2往復のみ弥彦線でも走っていた。3両編成であった。それいらいの入線であり往時をしのばせた。(画像は吉田から燕への回送で燕で一時留置後吉田へ回送)」
NODOKA亡きあと初詣列車は何が入るのか?

弥彦線の日常~E127系

2018年1月3日 矢作付近  E127系回送 一瞬の晴れ間をついて走り去る。
東三条で発車を待つ。信越本線の中線から吉田へ向かう。通常は朝の1本だけだが臨時運転時は11時台の列車も中線発車。
燕駅に到着。この列車はワンマン運転ではない。
2018年1月1日 吉田駅に到着した「弥彦初詣2号」列車内は混雑していた。

地味な活躍をしているE127系電車。165系電車の置き換えとして登場してすでに20年以上が経過。




2018年1月3日水曜日

厳冬の初詣NODOKA

2018年1月3日 正月休み最終日 吹雪き舞う弥彦線へ 
定刻より15分程度遅れて通過。季節風が容赦なく吹く荒天。
弥彦で乗客を降ろして吉田へ回送。

本日の運転をもってローカル線への運用が終わったようだ。あとはラストランのみ。


115系N40快速~3373M

2018年1月2日 予定通り編成が分割されたようで12月31日の3374M~3371Mと信越本線及びえちごトキめき鉄道はねうまラインで新年の運用をこなしていた。
この日の新井からの快速3372Mに入ったN40編成。
もう一方のN38編成は434Mに入っていた。

2018年1月2日火曜日

異郷の地の正月!

2017年1月2日  フィリピン国鉄 さっぱり走らない路線で住民の生活道路になってしまった・・・・この地にいるキハ52や14系寝台、203系も見てみたいが・・・・

年末年始の115系追い回しと初詣NO・DO・ KA

 2018年1月1日 燕にて 115系N3懐かしの70系新潟色とN35編成 226M

 2017年12月31日 115系N38とN40の227M 弥彦線燕三条付近 金網越し
 2017年12月31日 弥彦線  226M 東三条 この編成は新潟到着後編成が分割された。
 115系N40の内部  国鉄時代そのままの車内。
 2017年12月30日 3373M 快速新潟行き N33
2018年1月1日  485系初詣NODOKA  日が出たり陰ったりの煩わしい天候のなかちょうど日が出たところを通過していった。白く薄化粧した弥彦山と切株だけの水田空は雪雲。間もなく引退する485系NODOKAの最後の花道。


撮影等の記録

12月30日 信越本線434~447Mが115系N40とN38 3373Mが115系N33

家事の合間に撮影。 内野で115系N40とN3が並んだ光景を見たときは失笑を禁じえなかった。

12月31日 上記編成が弥彦線東三条に来るので朝練。燕三条のイオンの立体交差で狙うが金網越しで行ったところフォーカスが乱れて一部記録されないコマが。
後は東三条でのんびり眺めて撮り納とした。
夕食は和牛すき焼きと日本酒で19時半には酔いが回り・・・・
0時ころ目が覚めたので近所の神社で二年参り(初詣?)

1月1日
弥彦線にN33とN3+N35 越後線に初詣NODOKA

まずN33の東三条発寺泊行きに乗車。115系のN33とN40は青いモケットで車内が国鉄時代のままなので乗車した。N3も乗りたかったので燕折り返しとした。
吉田までだと折り返しができない可能性があったため。
弥彦線は速度が遅く本来の115系のモーター音が聞こえなかった。
弥彦線の車窓は燕三条地区を貫くためほとんどが住宅地と倉庫、工場に囲まれているので風景的には単調である。
燕で降りて東三条へ引き返す。懐かしの70系新潟色N3に乗車。朝は雨がきつかったが徐々に小やみになり越後線へ出ていく時間帯には風が出て気温が下がった。
撮影は燕でN3+N35とE127系を。新潟交通電車線の廃線跡から狙う。この道を進むと架線柱を見つけた。新潟交通電車線(通称電鉄)は現役時代を知っているだけに気分が沈む。

越後線の巻で115系N3、初詣NODOKA、115系N35+N3を弥彦山バックに撮影して吉田へ出て撮影を終えた。
燕三条の商業地はイオン、ハードオフ、GU など営業していた。
帰宅後は家族との新年会の準備その後新年会を行いたくさん飲んで終了!

2018年1月1日月曜日

あけましておめでとうございます!

2017年12月30日 越後線内野駅  左N40 右N3 懐かしの70系新潟色並び!


越後線の非電化の頃を知っている身としてはキハ45のならびを思い出してしまった。