2018年10月29日月曜日

晩秋の闇にたたずむ

2018年10月29日 月潟の旧新潟交通電車線保存電車たちがライトアップを受けて闇に浮かんでいた。まもなく冬囲いされて冬眠する。

2018年10月28日日曜日

EF8179牽引のお座敷列車

1990年1月 EF8179〔田端〕牽引のスロ81系お座敷列車水戸座ふれあい
1989年に国鉄色風に塗り直されて登場した。1990年夏に廃車となっている。
1979年に品川に配置されたお座敷列車が国鉄末期に水戸に転属して運用されていたが老朽化のため引退となった。

EF8179は国鉄色でレインボー機95号や御召色の81号を期待したが単なるローズピンクで当時は残念な思いをした記憶がある。

参考文献  機関車表から
 EF8179 日立製作所水戸工場=10180-5 1973-08-25 E100.8tBBB(1067)
車歴;1973-08-25製造→納入;国鉄;EF8179→配属;関西支社→配置;富山二→
1980-10-14内郷→1984-02-01田端→1987-04-01JR東日本;EF8179→
配置;田端運転所→2010-04-01現在;田端運転所→
2011-06-04廃車;JR東日本旅客鉃道田端運転所

この機関車はカシオペア色でも活躍した。

首都圏色キハ47の只見線直通臨時快速

2018年10月28日 五十嵐川 只見線直通臨時快速「奥只見紅葉満喫号」 首都圏色キハ47の2連 雨上がりの青空に映える。
後追いで 三条駅付近 

2018年10月23日火曜日

磐越西線電化区間のDD51重連セメント貨物

1994年9月 磐越西線 DD51重連のセメント専用貨物 磐越東線の大越から会津若松までの運転。郡山~会津若松間には急こう配区間があり重連運転の必要があったがED75ではなくDD51(東新潟)が間合い運用する形で運用していた。
磐越西線の電化区間にはもう1往復コンテナを主体にした貨物もあった。
1995年以降トラック代行や大越のセメントの廃止などで貨物列車は減便していく。
 

2018年10月22日月曜日

711系試作編成の引退~1998年

1998年10月31日 711系900番代の引退列車。函館本線白石
1967年製造の711系試作編成で窓が二重窓ではない特徴があった。
当初は扉も両開き折り戸だったが1968年7月に改造されている。

711系は近郊型電車であるが扉が2か所のため急行型電車の様にも見えた。
不思議な魅力のある電車だったが乗車することなく終わってしまった。

2018年10月21日日曜日

青空を背に~EF510-510帰還

 2018年10月21日 EF510-514 4061レ
 EF510-5 4076レ
 EF510-510 4076レ  全般検査を広島車両所で施行。そのころ西日本豪雨災害に巻き込まれ検査後も広島に留め置かれたがようやく富山に帰還。縦貫線に復帰。
すでに側面には汚れが目立つ。
 弥彦線227M 115系N35とN38の組み合わせ。 午前10時を回ると混みあう商業地もこの時間帯は閑散としていた。
115系N38編成 セイタカアワダチソウとすすき 燕三条にて

2018年10月17日水曜日

485系「きらきらうえつ」終焉迫る

2014年9月9日 485系「きらきらうえつ」 通常は新潟~酒田間運転であるがこの日は小千谷片貝の花火臨として信越本線に姿を見せた。

485系「きらきらうえつ」は年末年始の弥彦線二年参り列車などの運転もある。
この編成は車体を新造しているため古さを感じないが足回りが485系ということになると引退の時期も遠くないと感じざるを得なかった。

後継のハイブリッドの観光列車「海里」が来年秋にデビューする予定となっている。
コンパートメントやダイニングを持つ編成となっている。」

2018年10月16日火曜日

鉄道の日朝練!

2018年8月14日 EF510500番代 4061レ まだ刈られない稲を入れて。
4076レ EF510赤 青森方面と関西を結ぶ貨物 
4075レ この列車も青いEF510

旅客の長距離列車が消滅した昨今 これら貨物列車にその時代を思い起こしながら眺めるのも悪くはない。
昭和40年代であれば新潟から大阪に向かう普通列車や青森に向かう列車、直江津から羽越本線に直通する普通列車など多数あったがそれらもダイヤ改正ごとに消えている。
長距離の特急は「白鳥」が2001年3月まで運転されていた。晩年は短距離乗客主体のパッとしないすがただったため「北越」と「いなほ」などに分断されてしまった。
 ほか「雷鳥」も運命を共にしたが盆暮れには「ふるさと雷鳥」としてわずかではあるが運転されていた。今ではそれも思い出であるが・・・これは2009年の5月の運転を最後に無くなっている。
夜行の寝台特急「つるぎ」「日本海」「北陸」「鳥海」「あけぼの」や急行「きたぐに」「能登」快速「ムーンライトえちご」も過去のものとなって久しい。
2015年の北陸新幹線開業で直江津から先は第三セクターとなり縦貫線の時代は終わった。

高速貨物列車がいまでは縦貫線の主役となっているがJR発足時より本数は削減されてしまった。



2018年10月10日水曜日

秋晴れの保存電車

2018年10月7日 午前中は暴風だったが午後には収まり秋晴れが帰ってきた。
燕三条でE3現美新幹線を見学した後は南区月潟へ。鉄道の日特別公開が行われていた。
モハ11の車内は鉄道模型の新潟交通電車たちが走り回っていたが調子が今ひとつらしく
「鉄道は金を失う道だ」ぼやいておられた。
現役時代を思い起こせるようモワ51のドアを入れないでモノクロームで。運賃表や時刻表もそのまま残っているのがうれしい。
天気が安定したためかこの時間からやってくるお客様も多数。
先頭のラッセル キ116は傷んだ塗装をはがして塗り直す作業が行われていた。保存ボランテアの方々が 忙しく動き回る。保存車はこれらの方々の不断の努力で支えられている。

鉄道の日のヘッドマークが取り付けられた。1週間後は鉄道の日である。

猛暑から強風と豪雨そして秋晴れ目まぐるしい天気の変化だった。
後しばらくするとここの車両たちは長い冬に備えてシートで覆われる。

車両を見学した後は月潟図書館で新潟交通電車線に関する資料を 閲覧した後帰宅した。



2018年10月8日月曜日

現美新幹線~燕三条展示

 2018年10月7日 燕三条駅 現美新幹線E3系700番代の展示
 11号車は指定席でこの車両は公開されなかったようだ。
 元グリーン車なのでゆったりしている座席が特徴。
 E2系と並んだE3系現美新幹線
 女性に人気なのだろうか?撮影者多数だった。
 長岡の花火を側面に描いているが迫力がある。 この車両はミニ新幹線用のためステップが扉下に出ている。
16号車新潟より
 見学者のためにコーンで仕切られていた。

 工場の祭典が行われていた。7日が最終日でもうすぐ終了といったところだ。
分厚いガイドブックを配布していたので頂いた。
日本語と英語で開設が書かれて写真はモノクロで各工場とそこで従事する方々の写真が多数あった。険しい表情で作業と向き合う職人各位が印象的だった。
 工場の祭典 販売ブース
民謡の披露も行われた。

台風25号通過のため午前中は暴風が吹き荒れ雨も強かったが午後からは回復した。

NHKドラマ「花へんろ特別編 春子の人形」

2018年10月6日 夕方のNHK総合でドラマをやっていた。戦時中の海軍の兵士たちが出ている。現在の山口県防府市にある海軍通信学校が舞台となっていた。昭和20年あの戦艦大和が沈没しもはや乗る艦もなくなってしまった厳しい戦況の様子が描かれていた。
主人公良介には妹がいたがその子は主人公が幼いころ実家の松山のへんろ道に沿った商家の軒先に人形とともに置き去りにされていた血縁関係のない子だった。春子は主人公の3歳年下の妹として仲睦まじく育てられたが戦争がはじまり主人公は瀬戸内海を渡って海軍兵学校へ。主人公の母は春子に血縁関係がないことを告げる。

春子は海軍兵学校に行った主人公の後を追って瀬戸内海を渡って 広島に向かう。
広島駅では山陽本線下り列車(岩国経由防府方面・・・当時は三田尻といった)と接続が無く広島で宿をとるが翌日原爆が投下される・・・

ドラマでは混みあって混乱する広島駅構内(セット)に響く蒸気機関車の汽笛と、広島に原爆が投下後救援に向かう主人公良介たちを乗せた列車が描かれていた。

ロケは大井川鐡道のC11と旧型客車が暗闇の中一瞬登場、他客車の様子も描かれていた。
(モケット張り客車だった 扇風機も見えた)
窓も鎧戸も閉めた暗い車内と停車中にみえた多数の青白い光・・・
呆然とする 良介たち・・・
この青白い光は原爆犠牲者魂なのだろう・・・


1945年8月といえば戦争末期で列車本数も削減され、天下の山陽本線であっても列車に乗るのも大変だったことが想像できる。
また広島から三田尻(現:防府)までの行路も相当な時間がかかったものと思われる。

8月の終わり帰宅した主人公は春子がいないことに落胆し悲しんでいた・・・・
その後よく似た人を恋人に持つが結局別れてしまう・・・・
最後に険しい四国の霊場巡りを逆うちし(通常のコースの逆を経由して八十八箇所の霊場を巡る )苦悩と決別する

脚本家故早坂暁氏の最後の作品で自らの体験をモチーフにしている。

広島駅に響く蒸気機関車の汽笛と混雑するホームを行く春子の姿が印象的だった。
戦前の時刻表は持っていないので往時がどのようだったのか・・・・




2018年10月5日金曜日

富士急7000系電車~1982年河口湖

1982年3月21日 富士急行7000系電車 旧型国電クモハ12、クハ16、クモハ14からの改造車両が最後の余生を送っていた。車体は17メートル車両でこの年の暮れに小田急からの譲渡車両に置き換えられた。

旧型国電といえば近隣に身延線、飯田線があるが富士急行もなかなかのものであった。
画像はクモハ12タイプとクハ16タイプで鶴見線や南武線支線を思わせた。
クハ16タイプとクモハ14タイプの7000系編成。 クモハ14は長距離用電車(当時は横須賀線)の先駆けモハ32型であった。本車輛のみは17mであるがそれ以外のサロ45型2等車、サハ48型3等車、クハ47型3等車はそれぞれ20メートルの大型車体であり、以降国電の基本となるものであった。
伝説のモハ32型改め富士急行の7000系電車。往年のモハ32型に乗ることができて感激したことを思い出す。

2018年10月4日木曜日

ED1と古い貨車

1999年9月 五泉~村松間の廃止の1週間前に行われた「かんてつレール祭り」の際の展示。この日77周年を迎えて大いににぎわっていた。ご覧のような特別編成も登場した。
モハ71とクハ10ほか
蒲原鉄道では使われたことはなかったであろう前サボが取り付けられたイベント編成。
元西武のモハ71にはよく似合う演出であった。

2018年10月2日火曜日

蒲原鉄道の記憶~村松車庫

1994年 蒲原鉄道村松車庫 ED1とモハ ED1はウエスチングハウスのコピーといわれている。国産の電気機関車。
 ED1 日本車輌名古屋工場=56/=東洋電機 1930-05-08 E25tBB(1067)
車歴;1930-05-08製造→納入;蒲原鉄道(新潟県);1→改番;ED1→1999-10-04廃車→
1999-10-00保存;新潟県「村松町ふるさと鉄道」;ED1→
2009-06-24移管保存;新潟県「加茂市冬鳥越スキーガーデン」(機関車表より)