2019年5月30日木曜日

越後線 越後曽根駅での169系

1991年12月 越後線越後曽根 169系の臨時団体列車。長野から寺泊への買い物列車だったようだ。169系「みすず」色でもっぱら団体や臨時用として用いられていた。
越後線では団体列車の他地域からの乗り入れは多くなく貴重な場面だった。

オロネ24 プルマン式A寝台

2008年8月15日 新大阪停車中の青森発大阪行き4002レ 「日本海」のオロネ24型の寝台部分。中央通路に寝台が左右にあるプルマン式。一般利用者の立場で言えば取り立ててこれといった設備のない古代の遺物的なA寝台車だった。広々とした空間が売りで(下段に関しては)良き時代の寝台列車を味わうことができたと考えられる。

2019年5月29日水曜日

車内販売からホットコーヒーが消える



2007年3月25日 燕三条駅で200系12両F19編成の引退を前に行われた車両公開で。
237型ビッフェ。抽選で当選された方は内部見学とコーヒーのサービスがあったようだ。
200系としてはこの編成の引退でブッフェの完全消滅となった。

さてJR東日本から6月30日でホットコーヒーの車内販売が廃止される 。
また北陸新幹線の「かがやき」「はくたか」での弁当、土産品の販売も取りやめとなる。

つまらなくなる一方の新幹線。ビッフェの無い今 車内販売のコーヒーが往時をしのぶアイテムだったがそれもできなくなり国鉄時代がさらに遠のく。

新幹線駅では駅構内に多数売店がありその辺で調達すれば何とかなるようだ。ただ地方の駅では売店がなかったり品数が少なかったり、そもそも余裕のないスケジュールを組んだりすると長時間欠食ということにもなりかねないので注意が必要である。

2019年5月28日火曜日

EF81105牽引広島座敷「旅路」

1988年6月27日 EF81105牽引の広島座敷「旅路」 平成に入って大改造されるがこのころはまだ12系原型の面影が残る姿だった。もみじ色の車体は鮮やかに感じた。

2019年5月27日月曜日

磐越西線 堂島駅

2018年8月11日 磐越西線堂島駅を通過する8233レ DLばんえつ物語号
堂島、笈川、姥堂、会津豊川はわずか5往復が停車するだけの無人駅。
これらの駅の開業が1934年(昭和9)年11月1日
用地と施設は駅の地元が提供した請願駅。当初から無人だった。
というより客車列車が主体な磐越西線ではまるで私鉄買収線(つまりが大糸線の信濃大町~松本間や飯田線など)の駅風で異様な存在だった。電車2~3両分の短いホームと小さな駅舎という存在は磐越西線には似合わない光景だった。

この時代各地で機械式気動車=ガソリンカーの運転が始まり磐越西線でも会津若松~喜多方間での運転があったようだ。ガソリンカー運転で利便性が増し利用者が増えたと考えられる。

この堂島の駅は2キロほど駅わきの道路を進むと郡山方面の広田駅に行くことができる。
磐越西線は会津若松で進行方向が変わる。かつては新津方面と郡山方面直通があったが今は存在しない。ちなみに会津若松へは4キロ程度である。

2019年5月26日日曜日

東三条でのED7951

1989年8月 EF811とED7951 4471レ 手前の線路は東三条駅の1番ホーム反対側の留置線でかつて貨物扱いが行われた名残。1990年に撤去された。今はこの付近はマンションや駐車場となり面影はない。

ED7951は五稜郭から吹田へ機関区の一般公開のための展示で送り込まれ一般公開が終了して再び五稜郭への帰路のついたものである。
ED7951は1989年に造られ青函区間から東北本線盛岡貨物ターミナルまでの運用があった。現在は廃車されて現存しない。

2019年5月24日金曜日

DD51745 磐越西線「野沢臨」

1991年6月 磐越西線馬下 DD51745牽引の12系「野沢臨」
この時期に西会津にある大山祇神社への参拝客を乗せた団体列車。
「山の神様」として親しまれ6月の祭礼には新潟県内各地を拠点に運転されていた。
12系や14系の客車、キハ58などの編成が中心であり大いににぎわっていた。

現在は磐越自動車道の貸し切りバスに移ったようで野沢臨の運転の話を聞かなくなった。

沖田祐作著機関車表から

DD51745 日立製作所水戸工場=20090-5 1971-05-31 D84.0tB2B(1067)
車歴;1971-05-31製造→納入;国鉄;DD51745→配属;旭川局→配置;旭川→
1971-09-11五稜郭→1986-10-24東新潟→1986-10-24長岡→
1987-04-01JR東日本;DD51745→配置;長岡運転所→
2002-07-01廃車;長岡運転区

2019年5月22日水曜日

秋田お座敷気動車

1987年5月17日 磐越西線 南秋田運転所のお座敷3連
当初はキハ58系塗装で窓周り茶色だったものがJR移行後茶色主体に変わった。
車輛には愛称がつかられて「ねぷた」(弘前地域)「竿灯 (かんとう)」(秋田地域)花笠」(山形地域)のお祭りにちなんだものが用いられていた。

エレガンスアッキー

1987年5月31日 白新線 秋田運転区の欧風気動車エレガンスアッキー
1985年10月に登場している。
キロ59503、504とキハ29503の構成で車内は3列座席が並ぶ構造。

2019年5月20日月曜日

ED75715牽引12系奥羽本線

1991年6月3日 ED75716牽引12系5両 団体列車? 奥羽本線の陣場付近
この日下りの寝台特急をのんびり狙っていた。なんと近くには美人のおかみさんがやっている食堂があり朝早くから営業をしていたので合間を縫って食事をした。

さてここで狙った列車は寝台特急「日本海」1号、寝台特急「あけぼの」寝台特急「鳥海」寝台特急「日本海」3号、他に583系の急行「津軽」とこの12系だった。
貨物列車は仙台のED75牽引のものとEF81牽引のものほかにED75700番台牽引50系だった。この撮影の3年後には701系電車により50系は消滅への道をたどる・・・

参考沖田祐作著機関車表から
 ED75715 東芝府中工場=5108450-1 1971-07-07 E67.2tBB(1067)
車歴;1971-07-07製造→納入;国鉄;ED75715→1971-07-07配属;東北支社→
1971-08-14到着配置;秋田→1986-10-21(10/31?)青森→
1987-03-01青森東運転区→1987-04-01JR東日本;ED75715→
配置;青森東運転区→1988-03-14秋田運転支所→1991-05-01南秋田運転所→
1994-01-01廃車;南秋田運転所

この機関車は本来の場所で使命を終えた幸運な機関車かもしれない。

昨日上記のような編成で秋田~青森間で急行「津軽」のリバイバル運転がされた。


2019年5月18日土曜日

信越本線加茂駅通過の485系特急「鳥海」

1983年9月 信越本線加茂 485系特急「鳥海」 1982年11月15日前日まで夜行急行列車だった「鳥海」はあらたに日中の特急に格上げ。廃止された「いなほ」青森便の時間帯で運転を開始。食堂車付きの12両編成で上越新幹線上野開業による1985年3月14日の定期運用廃止までの短い期間での活躍だった。485系は青森運転所の運用で特急「白鳥」とも共通運用だったのが特筆される。この列車の使命は大宮暫定開業で新幹線のメリットがない新潟県下越、山形県庄内、秋田県日本海側の利用者救済が目的だった。

下り2041M上野10時30分→新津14時30分→青森21時13分
上り2042M青森07時56分→新津14時31分→上野18時34分

 

2019年5月17日金曜日

蒲原鉄道村松車庫 モハ11


1983年9月 蒲原鉄道村松車庫のモハ11 いまは村松城跡公園で保存されている。
現役時代最も人気の高かった形式。1930年(昭和5年)日本車輛製

2019年5月16日木曜日

DD51576 磐越西線日出谷

1983年9月19日 磐越西線日出谷駅にて 旧型客車の普通列車。
古びたオハ35、オハフ33、スハフ32などで組成。
国道49号線をゆっくり走るよりさらに時間がかかる鈍行が磐越西線のDD51牽引の客車列車である。新津~会津若松間は3時間。客車鈍行の神髄を楽しむことができた。

写真の日出谷の駅も国鉄民営化後に徹底的に合理化が図られてホームがあるだけの無人駅となり跨線橋も撤去されて存在していない。

DD51576車歴 沖田祐作著機関車表から

 DD51576 三菱重工業三原工場=1566 1967-07-11 D84.0tB2B(1067)
車歴;1967-07-11製造→納入;国鉄;DD51576→配属;門司局→配置;鳥栖→
佐倉→1975-03-10米子→1980-10-21東新潟→1986-03-31廃車;東新潟

2019年5月15日水曜日

磐越西線郡山行き普通列車

1983年9月19日 磐越西線会津若松付近 ED77に牽引されたオハ35、オハフ61で組成された客車列車が郡山に向けて走り去っていった。手前の水田は収穫段階にあり金色に輝いていた。

会津若松でみかけたキハ52国鉄色

1983年9月19日 会津若松駅の只見線・合津線の乗り場 キハ52はツートンカラーだった。当時の只見線・合津線には郡山機関区のキハ52が126、127、143の3両が配置されていて127がまだツートンだったようだ。せっかくの貴重なキハ52も隣のキハ40のためこんな画像しかならなかったのが痛いところだった。左手の降車客もかなりあった様で磐越西線への乗り換えも多かった。

2019年5月14日火曜日

蒲原鉄道~大蒲原

 1983年9月 蒲原鉄道大蒲原付近 モハ41電車  1985年3月31日に村松~加茂間廃止。この付近は広域農道となっている。
いまもこの写真と大きな変化はなく静かな山村となっている。
左手に見える東北電力の送電線(154Kv)は廃止になり無くなった。
電力網の見直しによるもののようだ。この送電線は五泉市の新潟変電所~長岡変電所までを結ぶ中越線という送電線で加茂市~下田村ではA線とB線にわかれてレトロな烏帽子型鉄塔となって丘陵地帯を超えていた。現在はそれらも撤去されつつある。 


2019年5月13日月曜日

保線機械~磐越西線 山都、野沢

2019年5月4日 磐越西線山都 黄色の「貨車」のような「車両」は保線用でバラストなどを運ぶためのもの。
野沢駅での保線車・・・日中は待機し夜間保線で動き回る。JRの下請け企業が保線を行っている。
機関車の形式その他は不明。
車庫の中からトロッコが・・・・
保線用機械も種類が多数あるようだがあまりなじみがない。



2019年5月12日日曜日

喜多方駅日中線ホームに混合列車

1983年9月19日 喜多方駅 DE1047を先頭に客車が2両そして分かりづらいが駅名標付近にワムが・・・喜多方駅16時4分発熱塩行き623レで最後尾に貨車が連結されていた。会津加納までの貨車だったようだ。磐越西線1233レから

磐越西線もスハフ32やオハ35、オハフ61で構成された旧型客車がわずかに残っていて1985年3月14日ダイヤ改正で50系に置き換わるまで健在だった。もちろんオハフ61も。
1984年2月ダイヤ改正では2往復の残存だった(1往復が郡山、もう1往復が会津若松)
郡山のスハフ32は1984年4月8日の越後線・弥彦線の電化に関連したダイヤ修正で郡山の旧型客車から新津の50系への変更が行われてその際に姿を消している.
国鉄分割民営化前にいったん廃車になったが復活して高崎に、1984年時点では、スハフ32がまさか残存するとは夢にも思ってはいなかった。

2019年5月10日金曜日

日中線記念館 展示品から

2019年5月4日 日中線記念館 硬券の棚 日中線時代はどうだったのか?
いずれにしても現代では硬券は見かけることが極めて難しい。
硬券に日付を入れるダッチングマシーン。後ろの写真はこの界隈で挙式された方々のもののようだ。
さようなら日中線のヘッドマーク
運転取扱心得などの簿冊  
急行「出羽」のサボ 上野~新庄、酒田の区間の運転で奥羽本線、陸羽西線経由の夜行列車。キハ58系気動車で運転。1982年11月15日上越線、羽越本線の寝台特急「出羽」として新にスタートする(同じ時間に走っていた急行「鳥海」を格上げたという説もある)
1993年12月利用者の減少により廃止。

国鉄日中線はわずか3往復しか走らずさらに朝1往復と夕方2往復の運転で日中走らない日中線といわれていた。会津加納までの貨物があるためか廃止まで客車列車だった。
日中線も日光~会津若松~喜多方~米沢の「野岩羽線構想」があったが実現せずその役割は国道121号の高規格道に引き継がれた。野岩鉄道~会津鉄道と列車で走り、会津若松でレンタカーで国道を走り米沢に向かうほかないようだ。






八重桜とDLばんえつ物語

2019年5月4日 磐越西線三川付近 発車直後のDE10牽引のDLばんえつ物語。
蛇のようにくねらせて国道49号線をくぐって阿賀野川にかかる御前橋梁へ。
逆光に映える八重桜。白いフェンスは国道49号線のもの。
馬下駅を通過 長い一日が終わる。

2019年5月9日木曜日

磐越西線野沢付近を走る DLばんえつ物語

2019年5月4日 磐越西線野沢付近 下りのDLばんえつ物語 12系伴走車は最後部に
かつて普通客車列車があったころ連結されていた荷物車を思い出させた。
客車の方も一部検査入場に付き減車となっていて実質は5両編成である。

2019年5月8日水曜日

DLばんえつ物語号のわき役

2019年5月4日 磐越西線の一の戸橋梁 会津若松~野沢間のキハ110系3両の普通列車231D。
DE101700牽引のDLばんえつ物語号通過時は大勢が集結していたがこれらの列車通過時間帯は3~4名が居残って眺めていた程度・・・
新津~会津若松間 232D ごく一般的なキハ47の2連 キハ47もすでに置き換え用のDV-E400型が配置されているので遠くない時期に引退することとなっている。
 野沢駅でのキハ110系3両
 会津若松~新津間の233D  野沢~上野尻

2019年5月7日火曜日

酷道459号線と名残の桜

2019年5月4日 磐越西線深戸橋梁を渡るキハ47の2連 SLばんえつ物語撮影の名所。
国道459号線は鹿瀬駅付近を経由して角神温泉さらに日出谷、豊実、徳沢を通過して飯豊山に近い高地を通って喜多方市に向かう
角神から日出谷の間には睦月~師走の名称がついた橋や素掘りトンネルがあるのが見どころである。この区間は狭いがそれ程交通量があるわけでないので苦にならない。
むしろ素掘りトンネルという貴重な光景を味わえるのが楽しいと思う。
国道459号線豊実付近 
かつては豊実と 徳沢の区間は通行できなかったが今は架橋され通行でき阿賀野川の渓谷を見ることができる。
徳沢から小規模集落が続く国道459号。それほど古い民家が続いているわけではないが水田は耕作放棄され荒れ地が目立ってくる。小刻みなヘアピンカーブに狭隘区間もある。
ただ鋪装され川が洗い越す場所はないみたいだ。
集落は極めて活気がなく高齢者の姿が目立った・・・
山は深くなり新緑なのか紅葉なのかわからない樹木が多数目に着いた。
狭い道に焦りが出てくる・・・
残雪の飯豊山・・・
スケールの大きな風景にしばし足を休めて・・・隠れ秘境スポットなのか見学者が多かった。
足元に残雪があった・・・
見晴らし台・・・飯豊山スポットとは別の場所 ここもツーリングの方々が多数。
首都圏から来た車も多い・・・
そば処の宮古地区 今散ろうとしている桜が・・・・
わかりにくいが桜吹雪である・・・あとすこしすると食事に来る人で賑わうのであろう。
最後のソメイヨシノ?
渓流が続く・・・
民家と菜の花・・・ようやく里へ下りてきた・・・至極大変な国道だったが秘境地帯を経由して残雪の飯豊や最後の桜を楽しめた。
酷道から別れて一の戸川へ
磐越西線山都~喜多方間の一の戸橋梁・・・この橋が見えたときはほっとした。
このあと日中線記念館へ、近くの道の駅で「喜多方ラーメン丼」の弁当を買って上り「DLばんえつ物語」が通過する までのあいだしばらくの休止